2006 早稲田大学・教育
【問】以下の文を読み,設問1,2に答えなさい。
642年の( A )の戦いでアラブ人がササン朝ぺルシアを破り、イランのイスラーム化は始まった。(1)9世紀に入り、アッバース朝が弱体化し,地方政権が次々に自立し始めると,イラン東部から中央アジアにかけてはイラン系の(2)サーマーン朝が,続いて,イラン西北部にはイラン系のブワイフ朝がおこった。ブワイフ朝は,(3)946年にバグダードに入城し,カリフからイスラーム法を施行する権限をあたえられた。11世紀前半には,トルコ系遊牧民が中央アジアからイラン高原に入り,セルジューク朝が成立した。その最盛期の宰相(4).ニザーム=アルムルクはイラン系であり,(5).
ニザーミーヤ学院を各地に開きスンナ派復興につとめた。(6).セルジューク朝の支配下では,イラン系の知識人が活躍した。 その後,モンゴルの(7)イル=ハン国などの支配を経た後,カスピ海南西岸からおこった(8).シーア派の神秘主義教団の長が1501年サフアヴィ一朝を開いた。この王朝は(9).シーア派を国教とし,(10).アッバース1世の時に最盛期をむかえた。サファヴィー朝は18世紀初頭,アフガン人に首都を占領されて滅びた。その後いくつかのトルコ系王朝の支配を経た後,イラン人の軍人( B )がクーデタでパフレヴィー朝を開き,1935年に国名をイランとした。
- 設問1
- 空欄( A )・( B )に入る最も適切な語を記入しなさい。
- 設問2
- 下線部(1)~(10)に関する問いについて,最も適切な解答をa~eの中から一つ選び,その記号をマークしなさい。
- (1)
- アッバース朝からこの時期自立したエジプトの王朝は次のどれか。
a.イドリース朝 b.サッファール朝 c.トウールーン朝 d.マムルーク朝
e.ムワッヒド朝 - (2)
- 900年以後のサーマーン朝の都は次のどれか。
a.イスファハーン b.カシュガル c.カーブル d.ニーシャープール
e.ブハラ - (3)
- この時カリフから授かった称号は次のどれか。
a.イマーム b.シャー c.スルタン d.大アミール
e.ハン - (4) 彼について述べた次の文のうち誤りを含むものはどれか。
-
a.イクター制を整備した。
b.イスマーイール派に暗殺された。
c.「イマームのモスク」を建てた。
d.『統治の書』を著した。
e.マリク=シャーに仕えた。 - (5)
- ここで教授をつとめたイラン系神学者は次のだれか。
a.ガザーリー b.タバリー c.フィルドゥシー d.マンスール
e.ラシード=ア(ウ)ッティーン - (6)
- セルジューク期のイラン系詩人オマル=ハイヤームの代表作は次のどれか。
a.『西東詩集』 b.『シャー=ナーメ』 c.『シヤクンタラー』 d.『千夜一夜物語』
e.『ルバイヤート』 - (7)イル=ハン国に関して述べた次の文のうち誤りを含むものはどれか。
-
a.ガザン=ハンはイスラーム教を国教とした。
b.『集史』が編纂された。
c.タブリーズやスルターニーヤなどを都とした。
d.チンギス=ハンの末子フラグが建国者である。
e.『東方見聞録』によると,マルコ=ポーロが立ち寄った。 - (8) この長は次のだれか。
-
a.イスマーイール1世 b.セリム1世 c.トゥグリル=ベク d.ナーナク
e.バーブル - (9)
- シーア派の一派イスマーイール派の政権は次のどれか。
a.アッバース朝 b.オスマン朝 c.サーマーン朝 d.ファーティマ朝
e.ムラービト朝 - (10)
- 彼がポルトガルから取り戻した地は次のどれか。
a.アゼルバイジャン b.アデン c.シナイ半島 d.ディウ
e.ホルムズ島
解 答
設問1 | A | ニハーヴァンド | B | レザー=ハーン | ||||||
設問2 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 |
c | e | d | c | a | e | d | a | d | e |
※別解: 設問1 A:ネハーヴァンド B:レザー=シャー
解 説:
設問1 A .
642年 ニハーヴァンドの戦い:ヤズデギルド3世 ウマル率いるアラブ軍に敗れる (651年滅亡)。
無用になるや 惨い死さ。
642年 ウマル ヤズデギルド3世 二ハーヴァンドの戦い 651年 ササン朝ペルシア
B.1925年 パフレヴィ―朝の成立。
特に号令パーフェクト。
1925年 レザーハーン イランパフレヴィ―朝
- (1)8~9世紀、アッバース朝の衰退に乗じていくつかの地方政権が成立した。イランではb.サッファール朝、ついでサーマーン朝(トルキスタンを支配)が成立、エジプトではc.トゥールーン朝、モロッコではa.イドリース朝が成立した。d、eは時期が該当しない。
-
788年 イドリース1世、モロッコに初のシーア派王朝イドリース朝を建国。
名、幅利かし もろ挑む。
788年 シーア派 モロッコ イドリース朝
-
867年 イラン系最初のイスラム王朝、サッファール朝成立。
やろうなイラン サッファール。
867年イランサッファール朝
-
868年 アッバース朝のエジプト総督(アミール)イブン・トゥールーンが自立してトゥール―ン朝を建国(~905)。
やろうや暮れごろ 獲る餌食。
868年~905年 トゥールーン朝 エジプト
- (2)
- ブハラは現在ウズベキスタンにある古都。サーマーン朝の始祖サーマーンの墓がある。
- (3)
- 遊牧系・イスラーム系の国家では各種称号が重要。aはシーア派における宗教上の最高指導者のこと。bはイランでの王の称号。サファヴィー朝で使用。なおムガル帝国でも用いられた。cはセルジューク朝にはじまり、後にイスラーム圏各地に広がった王の称号。オスマン王国のスルタンはカリフを兼ねた。d大アミールはブワイフ朝だが、アミールはアッバース朝時代から提督の意味で用いられていた。
- (4)
- c「イマームのモスク」はサファヴィー朝の都イスファハーンにアッバース1世が建造した大モスク。他はすべてニザーム=アルムルクに関することがらとして正しい。
- (5)
- dをのぞきいずれもイラン系神学者なので間違いやすい。aはニザーミーヤ学院教授の地位を投げ打って諸国を巡礼し、神秘主義信仰を理論化した。〈ザー〉を意識。bのタバリーは9~10世紀にアッバース朝時代のバグダードで活躍した歴史家。〈バ〉〈リー〉。cはイランの民族詩人で『シャーナーメ(王の書)』を著した〈ウ〉〈シ〉。dはアッバース朝カリフでバグダードを建設した人物。eはイル=ハン国に仕え、モンゴル帝国の歴史である『集史』を著した。
- (7) dのフラグはチンギス=ハンの末子トゥルイの子なので誤り。cスルターニーヤは用語集に頻度1で見えている。いかにも早稲田らしい、引っかけ問題。
- ソルターニーイェ(現代ペルシア語 سلطانيه Solṭānīye、前近代の近世ペルシア語・アラビア語ではスルターニーヤ Sulṭānīya )は、イルハン朝第8代君主オルジェイトゥの命によって建設された都市遺跡である。テヘランの北西240kmのザンジャーン州東部にあり、かつて14世紀には、フレグ・ウルスの都であった。ソルターニーヤ(スルターニーヤ)とはアラビア語で「スルターンに関わるもの」の意味し、このスルターンとはオルジェイトゥ(・スルターン・ムハンマド・フダーバンダ)のことであり、スルターンの御座所、すなわち首都ほどの意味になる。2005年、ユネスコの世界遺産に登録された。
- (9)ファーティマ朝〈イ〉〈マ〉。
-