[ポイント]
1.近江令・飛鳥浄御原令・大宝律令・養老律令の順で4つの律令が作られ、それぞれ天智・天武・文武・元正天皇のとき制定された。
[解説]
1.律は刑法、令は行政法。律は唐とほぼ同じだが、令はわが国独自。
2.天智天皇は、中臣鎌足をを編者に、はじめての法典近江令を668年に、定めたといわれるが、その完成を疑う説もある。
3.その弟天武天皇は、草壁皇子らを編者に飛鳥浄御原令の制定をはじめたが、その完成の前に亡くなった。
4.天武天皇のあとを継いだ皇后の持統天皇はそれらの諸政策を引き継ぎ、689年には飛鳥浄御原令を施行、翌690年、これに基づく庚寅年籍(こういんねんじゃく)をつくる。
5.大宝律令は、701(大宝元)年に刑部親王や藤原不比等らによって完成し、律令制度による政治の仕組みもほぼ整った
6.養老律令は、718(養老2)年に藤原不比等らによりまとめられたもの。大宝律令を大きく変えたものではなく、757(天平宝字元)年に藤原仲麻呂によって施行された。
7.大宝律令は現存せず、養老律令の律は一部が伝わる。令は官撰注釈書「令義解」および私撰「令集解」によって伝えられる。
〈2015関西大・法
(D)694年に持統天皇は飛鳥浄御原宮から藤原京に遷都した。藤原京は条坊制をそなえた最初の本格的な宮都で、京内には市が置かれ、薬師寺などの巨大な寺院も建てられた。この藤原京において( 4 )が完成し、発布されることになる。
(答:飛鳥浄御原令※原問には選択肢30項目あり)〉
〈2014立大・法・経済(経済政策)・異文化コミュ:「
4.下線部4)天武天皇に関する記述として正しいのはどれか。次のa~dから1つ選べ。
a.飛鳥浄御原令の編纂を命じた(〇)
b.額田王に『万葉集』を編纂させた
(×そのような事実はない)
c.皇子の1人、草壁皇子を謀反の疑いで捕らえた
(×そのような事実はない)
d.皇子の1人、有間皇子に、『日本書紀』の編纂にあたらせた
(×そのような事実はない)〉
〈2013青山学院・文
問5.Bの下線部飛鳥浄御原令の説明としてもっとも適切なものを、次の選択肢の中から選びマークしなさい。
1 この法典は天智天皇の命令で編纂が開始された。(×)
2 この法典は天武天皇の命令で編纂が開始された。(〇)
3 この法典は律とともに編纂され、ともに持統天皇のときに完成した。(×令のみ制定・施行された)
4 この法典は今日の刑法にあたるものである。(×)〉
〈2012明大・商:
日本の律令国家の形成は、681年に天武天皇が日本の最初の法典といわれる近江令の改定を命じ、689年に持統天皇がこれを飛鳥浄御原令として施行させたころに始まった。それ以後も律令編纂事業は続けられた。
a【1舎人 2刑部 3早良 4山部 5宗尊】親王を総裁とし、鎌足の子藤原不比等らによって701年、大宝律令が完成し、律令体制が整えられた。その後、
b【1元明 2光仁 3元正 4聖武 5孝徳】天皇在位の718年、養老律令が編纂されたが、大宝律令と比べて大きな変更はなかった。この養老律令が施行されたのは、藤原仲麻呂が政権を担当していた757年である。このように、律令体制は、法制面では整えられた。
(答:a2、b3)〉
〈2009慶大・商
中国では、秦の時代から[ 1 ]に当たる律が編纂されていたのに対し、日本では、[ 2 ]としての令の方が優先された。670年、最初の全国的な戸籍である[ 3 ]を作成した天智天皇が、最初の法典[ 4 ]を制定したといわれている。その後、天武天皇が編纂を命じ、689年、持統天皇の時に[ 5 ]が施行され、690年、それに基づき戸籍である[ 6 ]が作成された。そして、701年、[ 7 ]や[ 8 ]によって大宝律令が制定され、律令制度による政治の仕組みがほぼ整った。その後、[ 8 ]らによって編纂された養老律令は、大宝律令を大きく変えたものではなく、757年、[ 9 ]によって施行された。」
(答:1刑法 2行政法 3庚午年籍 4近江令 5飛鳥浄御原令 6庚寅年籍 7刑部親王 8藤原不比等 9藤原仲麻呂)
3
670年 天智天皇、庚午年籍の作成。
労成れ向後 転じての。
670年 庚午年籍 天智天皇
〈2002センター追
大宝律令によって八色の姓が定められた。」
(×八色の姓(684年)制定後に大宝律令(701年)制定)〉
〈2003センター追
令は、犯罪とそれに対する刑罰について定めた法典である。
(× 律は刑法、令は一般行政・民法を規定)〉
〈2000センター追:「
国家の基本法典としての律令は、日本では7世紀から8世紀にかけ編纂された。」
(答:〇 698に飛鳥浄御原令、701に大宝律令、718年に養老律令がつくられた)〉