第4問 世界史上の言語について述べた次の文章A~Cを読み、下の問い(問1~9)に答えよ。(配点 25)
A 話し言葉に基づいて書き言葉を創出すること、すなわち言文一致は国民統合の重要な課題とされた。
言文一致は、近代日本だけでなく、中国や朝鮮でも試みられた。
例えば、朝鮮では旧来、エリート層の学ぶ漢文が公式の書き言葉とされ、大多数の民衆はその世界から排除されていた。しかし、1)19世紀末に朝鮮政府は、民衆世界に普及していた2)固有の文字ハングルと朝鮮語を公用文に採用することを決定し、朝鮮語の書き言葉の形成を推進した。
言文一致の条件はこのようにして整備されたのである。言文一致体は3)近代的知識を広める重要な媒体とも考えられ、このような動きは、日本統治期には危険視された。
問1 下線部1)の時期に起こった出来事として誤っているものを、1)~4)のうちから一つ選べ。[28]
1) 日本は、台湾出兵を行った。
2) インド国民会議が結成された。
3) ドイツは、オーストリア・イタリアと三国同盟を結んだ。
4) 韓国(大韓帝国)は、日本と日韓協約を締結した。
問1 「19世紀」でないものはどれか。1)台湾出兵は世界史なら明治維新(1868)後まもなく、という程度でいい(1874)。
2)ボンベイで開かれたこの会議は1885年。
3)1881年にイタリアがフランスがチュニジアを保護領としたことに対して怒った、もちろん自分がほしかったためですが、ドイツのビスマルクと組むことになったものです。フランス孤立化政策の一つです。
1882年 三国同盟 (ドイツ・オーストリア・イタリア)成立。
人派閥組み毒多い。
1882年 三国同盟 (ドイツ・オーストリア・イタリア)
4)日韓協約は3つありますがどれも20世紀の初めなので、これが正解。日露戦争初期のもの(1904)、戦後のもの(1905)、そして1907年とあります。2005年のA問題も似てました。以下。
問4 下線部4)に関連して,19世紀後半の朝鮮の政治や対外関係について述べた文として正しいものを,次の1)~4)のうちから一つ選べ。[13]
1) 日朝修好条規によって.釜山など3港の開港が決定された。←正解。
2) 甲申政変(事変)は,清の支援によって決行された。
3) 甲午農民戦争を契機にして,清と日本は朝鮮から全面的に撤兵した。
4) 日本と第二次日韓協約を締結した。(←1905年、19世紀後半ではない)。
問2 下線部2)に関連して、アジアにおける固有の文字の形成について述べた次の文 a ~ c が、年代の古いものから順に正しく配列されているものを、下の1)~4)のうちから一つ選べ。[29]
a 朝鮮(李朝)では、訓民正音(ハングル)が作られた。
b 遼では、契丹文字が作られた。
c ヴェトナム(陳朝)では、字喃(チュノム)が作られた。
1) a → b → c
2) a → c → b
3) b → a → c
4) b → c → a
5) c → a → b
6) c → b → a
問2 文字の歴史といいながら実際は王朝の時間順の問題でもあります。a 1446、b 遼は耶律阿保機の建国年でいい)、c 陳朝はモンゴルが襲ってくる13世紀。
問3 下線部3)に関連して、1910年代における中国・朝鮮の言文一致と啓蒙運動について述べた次の文章中の[ ア ]と[ イ ]に入れる語の組合せとして正しいものを、下の1)~4)のうちから一つ選べ。[30]
中国で胡適や魯迅などによって推進された白話(白話文学)運動は、知識や思想の革新を主張する[ ア ]を進展させた。
しかし、朝鮮では[ イ ]によって、このような啓蒙運動の展開が著しく制限された。
1) ア ─ 文化大革命 イ ─ 武断政治(武断統治)
2) ア ─ 文化大革命 イ ─ 羈縻政策
3) ア ─ 新文化運動 イ ─ 武断政治(武断統治)
4) ア ─ 新文化運動 イ ─ 羈縻政策
問3 1910年代ということは日韓併合(1910年)以降ということです」。正解は3)。憲兵による統治が武断政治で、三・一運動の後が嘘臭い「文化」政治です。まさか文化大革命がいつか分からないひとはいないでしょうね。毛沢東の奪権闘争です(1966~1976年)。
B 中古来、4)南アジアには、様々な人種・民族が到来するのに伴い、多様な言語がもたらされた。
それらは、併存しつつ互いに影響を与え合うことで、複雑な言語状況を作り上げた。現在、南アジアの諸言語は、[ ア ]などのドラヴィダ系、[ イ ]などのインド=ヨーロッパ系、さらにアウストロアジア系、シナ=チベット系に分類されるのが通例である。
19世紀以降の言語をめぐる問題は、こうした複雑さを反映し、しばしば激しい対立に至った。
5)1950年1月に施行されたインド憲法は、連邦レベルの公用語を定めるとともに、特に重要なものとして14もの言語を認めざるを得なかった。
問4 下文章中の空欄[ ア ]と[ イ ]に入れる語の組合せとして正しいものを、次の1)~4)のうちから一つ選べ。[31]
1) ア ─ ヒンディ一語 イ ─ タミル語
2) ア ─ ヒンディ一語 イ ─ アッカド語
3) ア ─ タミル語 イ ─ ヒンディ一語
4) ア ─ アッカド語 イ ─ ヒンディ一語
問4 今年の難問の一つ。ドラヴィダ人がインダス文明を建設したかも、という話は世界史の初めに出てきますが、今はタミル地方に南下して住んでいる、という話を聞いていたら容易です。
上の文脈からは今のインドのひとたち大半がしゃべっている言葉だろうと予想はつきます。もちろんアッカド語はメソポタミアなので省けます。
とりあえず、ドラヴィダとタミルを「タ行」で結びつけよう。正解は3)。
問5 下線部4)の地域(南アジア)の言語について述べた次の文 a と b の正誤の組合せとして正しいものを、下の1)~4)のうちから一つ選べ。[32]
a インダス文字は、20世紀に解読された。
b ムガル帝国では、ペルシア語が公用語(公式文書に用いられる言語)であった。
1) a ─ 正 b ─ 正
2) a ─ 正 b ─ 誤
3) a ─ 誤 b ─ 正
4) a ─ 誤 b ─ 誤
問5 これも今年の難問でした。a 誤文と判断できても、b は判断に迷った受験生は多いようです。これは正文です。正解は3)。教科書(詳説世界史)にはムガル帝国の説明に「公用語のペルシア語がインドの地方語に融合したウルドゥー語も誕生した」とあります。
なんでインドでペルシア語なのか。ペルシア語はアケメネス朝ペルシアの言語ですが、それがササン朝で変容し、さらにイスラーム教の支配下にはいってアラビア語の影響が出て、現在のペルシア語ができてます。
このペルシア語とムガル帝国の関連は何なのか。元々アラブ遊牧民は帝国をつくってしまったものの帝国の支配というものを知らず、征服したササン朝ペルシア帝国の真似をしました。官僚制も税制(ジズヤ・ハラージュ)も。それでアッバース朝になって登用されたイラン系の人々が幅をきかすようになり、ペルシア語が流布したと考えられます。
ガズナ朝でもゴール朝でもデリー=スルタン朝でも公用語はペルシア語でした。
イラン系の絵画(細密画)もムガル帝国につたわりムガル絵画・ラージプート絵画になりますが、これもイラン系の人々が伝えたものでした。
アラブ人が始め、トルコ人が広めたイスラーム世界は、文化的にはペルシア(イラン)人の影響が強いのです。
問6 下線部5)に関連して、1950年代に起こった出来事について述べた文として正しいものを、次の1)~4)のうちから一つ選べ。[33]
1) インドとパキスタンが、相次いで核実験を行った。
2) ハンガリーで、反ソ暴動(ハンガリ一事件)が起こった。
3) 中華人民共和国が、国連における代表権を獲得した。
4) ソ連が、キューバにミサイルを配備した。
問6 1)両国の核実験は時間差があります。1974年と1998年と。いずれにしろこの年代は知らなくても、この両国の前に5国=安保理事会の常任理事国が実験・保有していることを覚えておこくことです。米1945年、ソ連(ロシア)1949年、英国1952年、仏国1960年、中国1964年です。
2)これは1956年なので正解。1956年は、スターリン批判・コミンフォルム解散→ポズナニ暴動・ハンガリー暴動、とソ連東欧が揺れた年。
3)台湾(中華民国)がもっていた国連代表権が移りました。
酷く泣いたよ中国に。
1971年 台湾 中華人民共和国
4)この配備がキューバ危機になります(1962年)。
C 6)ヨーロッパでは19世紀以降、言語を一つの核とする7)ナショナリズムが高まる。
南部アフリカでも、南アフリカ戦争(ボーア戦争)の前後には、オランダ系入植者の子孫がその話し言葉を、書き言葉のアフリカーンス語として確立していった。アフリカーンス語は1920年代には、英語と並ぶ南アフリカの公用語となる。
しかし、アパルトヘイト政策が本格化すると圧制者の言語のイメージが強まり、1976年には、8)アフリカ人などがアフリカーンス語での教育に反対し、ソウェト蜂起(ほうき)を起こした。アパルトへイトが終わった今日、英語が共通語であり続けているのに対して、アフリカーンス語の地位は大幅に低下している。
問7 下線部6)の言語の歴史について述べた次の文 a と b の正誤の組合せとして正しいものを、下の1)~4)のうちから一つ選べ。[34]
a ギリシア人は、異民族をバルバロイ(聞き苦しい、訳の分からない言葉を話す者)と呼んだ。
b ルターは、神聖ローマ皇帝の保護の下で『新約聖書』をドイツ語に翻訳した。
1) a ─ 正 b ─ 正
2) a ─ 正 b ─ 誤
3) a ─ 誤 b ─ 正
4) a ─ 誤 b ─ 誤
問7 a 正文。理解できない言語はバーバーとしか聞こえない。
b 皇帝ではなくザクセン選帝侯フリードリヒの保護の下で、が正しい。ヴォルムス帝国議会で皇帝から法律の保護外(殺してもいい)と宣告されたので、ルターを助け出して、自分の城ヴァルトブルク城で騎士として変装させて住まわせました。正解は2)。
問8 下線部7)に関連して「未回収のイタリア」に含まれる地域の名と、その位置を示す次の地図中の a または b との組合せとして正しいものを、下の1)~4)のうちから一つ選べ。[35]
1) 南チロル(南ティロル) ─ a
2) 南チロル(南ティロル) ─ b
3) トリエステ ─ a
4) トリエステ ─ b
問8 「未回収のイタリア」にという用語は、統一を実現した後や第一次世界大戦後のイタリアによく出てくることばです。
パリ講和会議でイタリアの首相オルランドが怒って会議場から出ていった理由です。オルランド、おらんど、どこ行ったー、となりました。しかし何も得られなかったのでなく、この a のティロルやトリエステを得ています。
オルランドは東のイストリア半島とフィウメ港もほしかったのですが得られず怒ってました。この半島はしかし1920年のユーゴスラヴィアとのラパロ条約で得ています。フィウメもムッソリーニのときのローマ条約(1924)で得ています。
b はサルデーニャ島です。これは1861年のときに既に名前のとおりサルデーニャ王国の領土でした。正解は1)。トリエステの位置は a の南に垂れ下がっている半島の西側です。第一次世界大戦まではオーストリア=ハンガリー帝国の領土でしたが、これをもらいます。
問9 下線部8)(アフリカ)の地域の歴史について述べた文として正しいものを、次の1)~4)のうちから一つ選べ。[36]
1) ザンベジ川の南では、アクスム王国が栄えた。
2) 西アフリカから大西洋を越えて、奴隷が輸出された。
3) 1970年は「アフリカの年」と呼ばれた。
4) アフリカ連合(AU)は、アフリカ統一機構(OAU)に発展した。
問9 1)ザンベジ川って知ってます? 知らないなら棚上げしておくのもいい。後で紋ろう、でもいい。モノモタパ王国のあったところと言えば分かりますか? アフリカ史は川ごとに見るといいのです。
モノモタパ王国の基礎になったのがジンバブエでした。
アクスム王国はエチオピアに前2世紀から後6世紀まで存在したキリスト教国家です。
2)これが正解。「★大西洋三角貿易は主に西ヨーロッパと西アフリカ、西インド諸島をむすぶ貿易(西西西西)」。大西洋三角貿易の主商品は奴隷なので奴隷貿易ともいいます。
3)1970→1960年。
4)アフリカ連合(2002)は初出です。ヨーロッパのEUを真似た機構です。が、アフリカ統一機構は前にできていて、これは時間順が逆です。1963年にケニアの独立と同年にできてます。
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