■メイン写真
これは楽しい! 観光化されていない(歩道や照明などがない)、自然洞に潜る!
奈良県川上村を拠点に、ケイビング(洞窟探検)、カヤック、トレッキング等のアウトドア
アクティビティを展開する「ヨイヨイかわかみ」さんとのコラボで、
川上村の非公開(入洞に地元の許可が必要)の洞窟探検をしてきた。
日本ケイビング連盟認定のケイビングガイドに案内していただけるので安心だ。
滅多に入れない洞窟に、「つなぎ」の服とゴム長靴、ヘルメットにLEDヘッドランプという
イデタチはフルレンタル。気分が盛り上がる。これは「使用前」の姿。
集落のはずれから山中に入り、洞窟に到着。左が、今回潜る洞窟。右は単なる岩屋で、
奥に続いていないとのこと。
洞窟の手前には、ギンバイソウが群落を作っていた。
入ると、ひやっとした空気に包まれる。年間を通じて温度は一定だとか。
入口を振り返ると、ちょっと斜めのハート形。
奥へ、奥へ。意外に広いぞ。
いわゆる鍾乳石が垂れ下がっているような洞窟ではないが、石灰岩質特有の滑らかな岩壁、
かつて水流に満たされていた形跡が明らかな複雑な地形と、ヘッドランプに照らされて
キラキラ輝く水滴。すべてが美しく、珍しい。
昔、水晶が採れたというがのは正確には水晶ではなく、石灰岩質の方解石だったようだが、
さぞかし美しかっただろう。
ところどころ漂うアンモニア臭は、コウモリの住処であるしるし。わずかに地衣類か粘菌なのか
コロニーがある。
クライマックスの一つ、ほふく前進しないとくぐれない細い穴。
こうしてズリズリと這いまわるうちに、ドロドロになるのだ(笑)。
闇に食われてしまう~!!
2時間ほどの洞窟探検だったが、まったく時間を感じさせない。
無事、スタート地に戻りる。「使用後」のドロドロの姿。がんばった証だ。
着替えを済ませると、大峰参拝の重要な宿場だった柏木に今も残る老舗旅館「朝日館」に
連れて行ってもらった。大正ガラスの趣は、当時のハイカラぶりを物語る。
ここでお弁当をいただく。名物の柚子ようかんが美味い。お茶も、川上村産の茶葉だそうだ。
最後に「湯盛温泉 ホテル杉の湯」で温泉入浴。なんという贅沢な"探検"だろうか。
非日常を楽しむとは、まさにこのことだ。
ところで川上村には、かつて「川上七洞」とも呼ばれたように多くの洞窟があり、
不動窟のように観光洞として公開されているのもある。しかし、そのほとんどは非公開で、
土地の所有者や自治体の許可がないと立ち入れない。また、七洞の中にも、国道やダムの建設で
失われた洞窟もあるようだ。
森沢義信氏著「大峰奥駈道七十五靡」(ナカニシヤ出版)によれば、天保十年(1839)に、
雄仁親王(幕末の皇族)が岩屋巡りをしたという。当時の村人は、一人一穴30文で、不動ノ窟、
釈迦ノ窟、弁天ノ窟、正禅ノ窟、菊ノ窟など柏木付近の鍾乳洞を案内していたそうだ。
また、大台ヶ原探検で知られる松浦武四郎も、今回我々が入った洞窟を訪れている。
「乙酉(いつゆう)紀行」に、「深三十丈、洞内鍾乳牀にして鍾乳はなし。炬火をともして入。
文殊岩、戎子岩、大国岩、鈴の棚。道左右に分れ、日顕法眼が仏眼、胎内潜り、不動坂、
多宝塔、薬師瑠璃の壺、行者目洗水、役行者腰掛岩、三途姥、行者法螺介石、大天井、
小天井、水晶燈籠、華蔓、瑤珞、旗、天蓋、蛇水池、役行者、同法螺介。右鍾乳牀にて
形象をなすものなり」と記されている。
今ではどの鍾乳石、どの壁がその名称に該当するのか定かではないが、興味深い記録である。
ヨイヨイかわかみのIさん、Yさん、楽しいひと時をありがとう!
これは楽しい! 観光化されていない(歩道や照明などがない)、自然洞に潜る!
奈良県川上村を拠点に、ケイビング(洞窟探検)、カヤック、トレッキング等のアウトドア
アクティビティを展開する「ヨイヨイかわかみ」さんとのコラボで、
川上村の非公開(入洞に地元の許可が必要)の洞窟探検をしてきた。
日本ケイビング連盟認定のケイビングガイドに案内していただけるので安心だ。
滅多に入れない洞窟に、「つなぎ」の服とゴム長靴、ヘルメットにLEDヘッドランプという
イデタチはフルレンタル。気分が盛り上がる。これは「使用前」の姿。
集落のはずれから山中に入り、洞窟に到着。左が、今回潜る洞窟。右は単なる岩屋で、
奥に続いていないとのこと。
洞窟の手前には、ギンバイソウが群落を作っていた。
入ると、ひやっとした空気に包まれる。年間を通じて温度は一定だとか。
入口を振り返ると、ちょっと斜めのハート形。
奥へ、奥へ。意外に広いぞ。
いわゆる鍾乳石が垂れ下がっているような洞窟ではないが、石灰岩質特有の滑らかな岩壁、
かつて水流に満たされていた形跡が明らかな複雑な地形と、ヘッドランプに照らされて
キラキラ輝く水滴。すべてが美しく、珍しい。
昔、水晶が採れたというがのは正確には水晶ではなく、石灰岩質の方解石だったようだが、
さぞかし美しかっただろう。
ところどころ漂うアンモニア臭は、コウモリの住処であるしるし。わずかに地衣類か粘菌なのか
コロニーがある。
クライマックスの一つ、ほふく前進しないとくぐれない細い穴。
こうしてズリズリと這いまわるうちに、ドロドロになるのだ(笑)。
闇に食われてしまう~!!
2時間ほどの洞窟探検だったが、まったく時間を感じさせない。
無事、スタート地に戻りる。「使用後」のドロドロの姿。がんばった証だ。
着替えを済ませると、大峰参拝の重要な宿場だった柏木に今も残る老舗旅館「朝日館」に
連れて行ってもらった。大正ガラスの趣は、当時のハイカラぶりを物語る。
ここでお弁当をいただく。名物の柚子ようかんが美味い。お茶も、川上村産の茶葉だそうだ。
最後に「湯盛温泉 ホテル杉の湯」で温泉入浴。なんという贅沢な"探検"だろうか。
非日常を楽しむとは、まさにこのことだ。
ところで川上村には、かつて「川上七洞」とも呼ばれたように多くの洞窟があり、
不動窟のように観光洞として公開されているのもある。しかし、そのほとんどは非公開で、
土地の所有者や自治体の許可がないと立ち入れない。また、七洞の中にも、国道やダムの建設で
失われた洞窟もあるようだ。
森沢義信氏著「大峰奥駈道七十五靡」(ナカニシヤ出版)によれば、天保十年(1839)に、
雄仁親王(幕末の皇族)が岩屋巡りをしたという。当時の村人は、一人一穴30文で、不動ノ窟、
釈迦ノ窟、弁天ノ窟、正禅ノ窟、菊ノ窟など柏木付近の鍾乳洞を案内していたそうだ。
また、大台ヶ原探検で知られる松浦武四郎も、今回我々が入った洞窟を訪れている。
「乙酉(いつゆう)紀行」に、「深三十丈、洞内鍾乳牀にして鍾乳はなし。炬火をともして入。
文殊岩、戎子岩、大国岩、鈴の棚。道左右に分れ、日顕法眼が仏眼、胎内潜り、不動坂、
多宝塔、薬師瑠璃の壺、行者目洗水、役行者腰掛岩、三途姥、行者法螺介石、大天井、
小天井、水晶燈籠、華蔓、瑤珞、旗、天蓋、蛇水池、役行者、同法螺介。右鍾乳牀にて
形象をなすものなり」と記されている。
今ではどの鍾乳石、どの壁がその名称に該当するのか定かではないが、興味深い記録である。
ヨイヨイかわかみのIさん、Yさん、楽しいひと時をありがとう!