〔今回は、「待合室」の第285回(2008年9月24日から10月1日まで)として掲載した記事の再掲載です。かなりの時間が経過したこともあって、一部を修正しております。なお、写真撮影日は2008年9月7日です。〕
西鉄甘木駅に到着し、秋月までのバスに乗ろうと思って甘木鉄道甘木駅へ向かいます。西鉄甘木線のほうが利用客が多いという話なのですが、バスターミナルは甘木鉄道甘木駅のほうにあるのです。私のように西鉄福岡(天神)駅を利用するのではなく、JR博多駅から行きたいという方は、鹿児島本線の快速電車に乗って基山駅で降り(一旦、佐賀県に入ります)、甘木鉄道に乗り換えるのがよいでしょう。但し、接続がよいかどうかはわかりません。時刻表でよく調べておくのが無難です。
甘木鉄道甘木駅の前です。ポールの先端にある顔は何なのか、よくわかりませんが、民話か何かから題材を得たのでしょうか。旧甘木市、そして現在の朝倉市は、この辺りを卑弥呼の里として宣伝しているのですが、どう考えても卑弥呼がモティーフになっているとは思えません。
奥のほうがバスターミナルになっているのですが、バスは1台も止まっていません。時間帯が悪かったのでしょうか。私が西鉄甘木駅に到着するより何十分か前に、秋月行のバスは発車していました。日曜日の午前中とはいえ、ほとんど人が歩いていません。私は、時間をつぶすのが苦手なほうでもあるので、ここでどれくらいバスを待てばよいのか、などと考えました。
甘木鉄道甘木駅です。前回の西鉄甘木駅よりも立派な駅舎です。 すぐ隣が朝倉市の観光案内所の建物です。朝倉市の玄関口は、あくまでもこちらの駅であるということなのでしょう。それにしては、乗客などが少ないように見えます。
しかし、この駅のほうが立派であることは、歴史などを紐解けばわかります。ここはかつて、国鉄の駅だったのです。
1939(昭和14)年、基山から甘木までの甘木線が開業します。途中に太刀洗陸軍飛行場があり、その軍需輸送のためです。終戦後、当然ながら軍需輸送は終わりましたが、飛行場の跡に麒麟麦酒の工場が建てられ、ビールなどの輸送も行われていたそうです。しかし、旅客は西鉄甘木線に奪われ、一日10往復を下回る列車の本数となって不便な国鉄甘木線は第一次特定交通路線として廃止の対象になります。そこで、当時の甘木市や大刀洗町などの地元市町村など(福岡県は入らず)が第三セクターとして甘木鉄道を設立し、国鉄甘木線を受け入れて、1986(昭和61)年から甘木鉄道線として営業されることになりました。
国鉄時代は不便な盲腸線でしたが、甘木鉄道になってからは昼間でおよそ30分毎というように本数を増やし、小郡駅を移動して西鉄天神大牟田線への乗り換えを改善したら利便性が増し、第三セクターの優等生とまで言われるほどになり、株の配当こそ出なかったらしいのですが黒字決算基調となりました。しかし、2006(平成18)年に大雨の被害を受け、復旧にかなりの時間を要したことから、2006年度と2007(平成19)年度は赤字決算となっています。
なお、お断りしておきますが、「たちあらい」を漢字で記す場合、町名は「大刀洗」となりますが、飛行場の名称や駅名などは「太刀洗」となります。「大」になったり「太」になったりする訳です。一説には、本来ならば太刀洗を自治体の名称とするはずだったのが、国のほうで登録を間違え、大刀洗となったとか。
バス停で時刻表を確認すると、30分以上も待たなければなりません。平均して1時間に1本ですが、間隔はバラバラです。やはり「天神か薬院あたりでレンタカーでも借りたほうがよかったかな」、あるいは「天神から急行に乗ったんだから、小郡で降りて甘鉄に乗り換えたほうがよかったのかな」などと考えつつ、駅の待合室に入りました。
タイルに絵が書かれていて、それが組み合わされて絵地図になっています。わかりにくいのが難点ですが、ツボは押さえられています。旧甘木市が朝倉郡地域の玄関口であり、中心地でもあることが、上の絵地図でも示されています。それにしても、色々な絵が描かれていますが、具体的に何を意味しているのだろうか、などと考えながら眺めるのも面白いでしょう。右隅には、2007年に訪れた日田も登場します。
もう少し、駅の周囲を見てみようと思い、駅舎を出ました。すると、上のような案内板(いや、広告板か)がありました。まだ甘木市のままです。
周囲に駐車場と駐輪場があり、パークアンドライドを進めようとしていることがわかります。ここから福岡市方面に出ようとすると、筑紫野市あたりから博多区内までの交通量が多く、国道3号線などは渋滞しますので、それなりの意味はあるでしょう。
この案内板を見て思ったのですが、旧甘木市のシンボルは藤の花だったのでしょうか。朝倉市のシンボルは何なのでしょうか。もし、藤が市の花であるとすれば、ここには藤棚の名所があるのかもしれません。そこまで調べていないのですが、御存知の方はお教えください。
少し歩くと、上の写真に登場する看板を見つけました。バスを待っているのであれば、自転車を借りて目的地に行ったほうが速いかもしれない、と思ったのです。バスの時刻は既に見ており、30分以上も待たなければならないことがわかっています。それなら、観光案内所で距離と所要時間を尋ねた上で、自転車を借りればよい、という計算が成立しました。問題は地形ですが、地図で見る限りは、秋月城址の周囲を除いてそれほどの急勾配はなさそうですし、距離からしても、次のバスが秋月城址に到着するよりも早い時間に到着できるはずです。
大学院生時代までは、 何かと言えば自転車に乗っていましたし、大分時代の初期も自転車に乗っては大分駅周辺などに行っていたものですが、2度も盗まれてからは近所に買い物へ行く時以外は乗らなくなりました。大東文化大学に移ってからは、最寄の駅へ行くには自転車よりも歩くほうが結果として速いため、あまり乗らなくなったのでした。何ヶ月ぶりかで自転車に乗るのもいいだろうということで、借りることにしました。福岡県内を自転車で走るのは、今回が初めてのことです。
観光案内所で手続をして、甘木駅前を出発しました。北上して行けばよいことがわかっています。どのような風景を楽しむことができるでしょうか。
上の看板に「卑弥呼の里」と書かれているので、それについて。
朝倉市は「卑弥呼の里」を自称しています。旧甘木市もそうでした。ただ、邪馬台国の場所は今も全くわかっておらず、大きく分けて九州説と近畿説があり、その中であれこれの説が存在するのです。少しばかり調べてみたところ、九州だけでも、ここ甘木の他、福岡県みやま市〔旧瀬高町。ここは山門(やまと)郡に属していました〕、太宰府市、大分県宇佐市、宮崎県西都市などの説が登場します。近畿地方ですと、香具山がある奈良県の桜井市、同じく奈良県の天理市などの説が出てきます。この他、北海道説もあり、岩手県、千葉県、愛知県、岡山県、沖縄県、さらにはジャワ島などの説があるようで、どこまで明確な根拠があるのかよくわからなくなります。
そもそも、卑弥呼は誰なのかということについても見解が分かれます。これまた様々な説があり、卑弥呼は卑弥呼であるという説の他、卑弥呼は神功皇后であるという説、熊襲の女酋長であるという説などがあります。後の大和朝廷との関係もわかっていませんし、天皇家九州起源説との関係も不明です。天岩戸が高千穂にあり(一般的には宮崎県ですが鹿児島県説もあります)、神功皇后が応神天皇(第15代天皇)を生んだのが福岡県宇美町にある宇美八幡宮であると伝えられることなどを考えると、天皇家九州起源説は有力でしょう。ただ、応神天皇陵とされている誉田御廟山古墳は大阪府羽曳野市にあり、仁徳天皇陵とされている百舌鳥耳原中陵が大阪府堺市にあることを考えると、天皇家近畿起源説もとりえますが、現在の古墳の多くに考古学的な検証の手がほとんど入っていないということにも注意を必要とします。