〔今回は、「待合室」の第305回(2009年3月17日から23日まで)として掲載した記事の再掲載です。かなりの時間が経過したこともあって、一部を修正しております。なお、写真撮影日は2008年9月7日です。〕
甘木の市街地に戻ってきました。そろそろ昼食をとろうかと思います。食事なら秋月城址周辺でもとることはできますが、一人で出歩いている時にはよほどのことがない限り、観光地で食事をしないという習慣が、私にはあります(方針というほどのものではありませんが、多少は経験に基づいています)。
そこで、甘木の市街地で昼食をとろうと思ったのですが、日曜日であるためか、開いている店はあまり多くありません。そこで、もう少し、駅の周辺を自転車で走ることにしました。首都圏と異なり、九州では市街地や商店街が駅から少し離れた所にあるという所が多いからです。甘木駅周辺についても同様でした。
ここに来る時には西鉄福岡(天神)駅から天神大牟田線の急行に乗り、宮の陣で西鉄甘木線に乗り換えました。本当は西鉄のほうが便利なのですが、今度は甘木鉄道を利用し、鹿児島本線の基山駅に出るつもりです。基山駅と立野駅は佐賀県にあります。
甘木鉄道甘木駅の構内に車庫があります。第三セクターとなってから投入された軽快気動車が休んでいます。なお、甘木鉄道の歴史については「秋月城址へ行く(2)」(2015年3月2日0時0分4秒付)において記しました。
しばらく、甘木駅の東側を走り回りましたが、商店街らしいものが見当たりません。さらに走り続けたら、とある交差点にアーケード商店街がつながっていることがわかりました。駅から離れていますし、あまりに目立たない入口でしたので、見落とすところでした。自転車でなく自動車であったら、気付かなかったでしょう。
そして商店街に入ってみたのですが、一瞬、絶句しました。日曜日の午後ですが、人は歩いていません。私が自転車で走っているだけです。ほとんどの店が閉まっています。ここにも中心街空洞化の荒波が押し寄せていたのでした。道幅から、以前このコーナーで取り上げた大分県中津市新博多町を思い出しました。新博多町を訪れたのも日曜日の昼でした。あの時は天気の関係もあったかもしれませんが、昼なのに暗く、陰惨な印象を強く受けました。この甘木のアーケード商店街は明るかったのですが、人通りがないと不安になります。
甘木のアーケード商店街は、東西の通りがあり、その途中から南北の通りがある、という構造になっています。私は南北の通りを北から入り、東西の通りに出ました。ここもシャッター通りとなっています。右にある天神愛眼は、西鉄福岡(天神)駅、地下鉄天神南駅の近く、渡辺通四丁目交差点のそばにあります。
こんな所で食堂があるのかどうか不安になります。やはり、ありません。
ここの商店街がいつからこのような状態になったのかはわかりません。ただ、西鉄甘木駅前かどこかから南のほうへ走ると、大分自動車道甘木インターチェンジの近くに郊外型のショッピングセンターがあることは知っています。一度だけですが入ったこともあります。そのショッピングセンターの開店が商店街に打撃を与えたことは、 簡単に想像がつきます。
左側は鉄板でふさがれていますが、これはパチンコ屋の跡です。ここ数年、潰れるパチンコ屋が多くなっています。久留米の六ツ門町でもパチンコ屋の跡を見ましたし、都内でも蓮根などで見ています。
そういえば、2007年頃まででしょうか、パチンコ屋の前に早朝から並ぶ人の列をよく見かけたものですが、2008年から見なくなりました。
しばらく走り、甘木駅に戻ります。西鉄甘木駅が見えます。 天神に戻るには、甘木線を利用して宮の陣で急行に乗り換えるか、西鉄久留米で特急に乗り換える、という方法もあります(どちらで乗り換えるかによって運賃が異なります)。もう一つの方法が、甘木鉄道を利用して小郡に出て、天神大牟田線に乗り換える方法です。小郡は特急通過駅ですが、急行が停車します(小郡始発の普通電車は筑紫から急行になります)。
さて、自転車を返し、これから甘木鉄道に乗ります。秋月城址をゆっくりと周らなかった訳ですが、もう一箇所、歩き回りたい場所がありました。そのためには、まず基山へ出ようと思ったのです。結局、昼食をとらないままでしたが、どこかの駅で弁当でも買って食べようと考えています。
国鉄の駅であっただけに、しかも車庫があるだけに、西鉄甘木駅より大きな規模の駅です。ホームが長いのも国鉄の駅であったからこそです。甘木鉄道は単行、つまり1両だけで運行されることが多いので、かなり長く感じます(もっとも、途中の駅はほとんど無人駅でホームも短いのです)。ちなみに、これから乗る気動車は写真に登場するものではありません。
甘木鉄道のマスコットです。以前私が利用した時には、気動車の前面にこのマスコットのヘッドマークが付けられていました。
そして、何故かミニ庭園に、飲み屋などでもあまり見かけなくなった狸の置物があります。酒が入った瓢箪を抱えていて、腹の出具合といい表情といい、ほろ酔い気分の親父そのままです。そう言えば、霊山のふもとの古狸はどうしているのかなあ……。
普通のお客さんなら、こんな所に目を向けないでしょうが、私は、レールが保存されていることに気付き、少しばかり見ていました。
それにしても、国鉄時代、いかにローカル線が疎かにされ、赤字の拡大を招いたのか、レール一つ見てもわかるというものです。この案内板によると、50年以上も同じレールが使われていたというように読めますが、それは保線作業が行われていたのかどうかを疑わせます。首都圏のように走行量が多ければ、10年から20年で交換するはずです。また、これも一部では有名な話ですが、中国地方にあるJR西日本のローカル線には、ほとんどまともな保線作業が行われていないようで、驚くほどの速度制限(15km/hなど)の箇所がいくつもあります。
レールの規格は1メートルあたりの重さを重要な基準としています。一般的に、レールが重いほど列車は高速で走ることができます。実際、日本で一番重いレールは新幹線で使われていますし、首都圏などの幹線や大手私鉄でも重いレールが使用されています。軽いレールでは列車を高速で走らせることができないのです。
左側が、国鉄時代の30キログラムレールで、右側が30キログラムレールと40キログラムレールをつなぐためのレールです。錆びているだけでなく、磨耗していることもわかります。
私が小学生であった頃には、古レールが積み上げられている場所がいくつもありました。何に利用するために積み上げられていたのかは、今もわかりません。
基山行が到着しました。おそらく、宝くじ協会から援助を受けたのでしょう、「宝くじ号」という愛称も付けられています。
それにしても面白い塗装です。大手私鉄でもラッピング電車が走っていますが(その最初期の代表が、東急東横線と田園都市線のTOQ BOX号です)、その多くは広告を伴いつつも控えめなものが多いのです。それに対し、第三セクターの気動車には奇抜なものが多いような気もします。また、1両ごとに色彩が異なるという会社もあります。大手私鉄では東急世田谷線くらいしかありませんが、第三セクターには多いようです。塗装が異なるのでは、メインテナンスにも結構な費用がかかるでしょうし、赤字の会社でそんな余裕があるのかと不思議に思うのです。甘木鉄道の場合は、比較的に統一されていますが、時々、こうした気動車が来るのです。
2回しか利用したことがないのでよくわからないのですが、西鉄甘木線のほうが乗客が多いように見えます。もっとも、それほど極端な違いはありません。
ここから基山までは30分ほどでしょうか。甘木から基山までの運賃は350円でした(勿論、訪問当時の運賃です)。 甘木駅には自動券売機があって、基山で接続するJR九州線の乗車券も買えます。しかし、小郡接続での西鉄線への連絡乗車券は購入できません。利用客の動向などを考えると、少々不便ではないかと思われます。
発車時間になり、1両だけ、ワンマン運転の軽快気動車は基山へ向かって進んで行きます。乗客は少なく、終点まで乗った乗客は私くらいしかいません。途中、大分自動車道に沿うように走る箇所があります。建設のきっかけとなった太刀洗飛行場の跡である某ビール会社工場のすぐそばを通り、西鉄天神大牟田線の上を通ります。そうするとすぐに小郡駅で、少ない乗客のうちのかなりの割合の人が降ります。また大分自動車道の下を通り抜けるのですが、その箇所に旧筑後小郡駅のホームがあります(現在の小郡駅は甘木鉄道となってから移転の上で設置されたものです)。程なく佐賀県に入り、立野駅を過ぎてしばらくすると、基山駅に到着します。