ひろば 川崎高津公法研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

溝口三丁目散歩(10)

2015年03月17日 09時58分10秒 | まち歩き

 川崎市高津区の中心、溝口は、歴史と文化にあふれる街です。とくに旧大山街道沿い、二丁目、三丁目および四丁目がそうで、私も10代の頃から何度となく自転車で走り回ったりしていました。今は歩いて堪能しています。今回は、三丁目の南東部、二丁目との境界をなす二ヶ領用水の付近を歩きます。

 溝の口駅から田園都市線に沿うような形で歩いて行きます。バス通りを進み、十字屋のそばの交差点から脇道に入り、パチンコ屋にはさまれた通りに入ってそのまま進めば、二ヶ領用水に出ます。

 いくつもの橋が架けられていますが、田園都市線の高架橋に近く、二丁目と三丁目との境界ということでは最も東にある曙橋です。上の写真では右側が三丁目です。

 この名称の由来については、案内板などもないのでよくわかりません。日常的にこの橋を渡る人たちも、名前のことなど気にせずに利用していることでしょう。

曙橋から二ヶ領用水の上流側(西側)を眺めます。左が二丁目、右が三丁目です。曲線を描いているため、旧大山街道が見えませんが、奥に見える高層マンションが大体の位置を教えてくれます。

 今度は逆に下流側を眺めます。すぐに、右側で二丁目と一丁目との境界をなす田園都市線の高架橋(複々線)が見えます。

 それにしても、繰り返しますが二ヶ領用水の浄化ぶりには驚かされます。私が小学生であった1970年代にはヘドロだらけのどぶ川でした。農業用水だったこの人工の河川には生活排水や工業廃水が流れ、微生物はともあれ魚類などは棲めないような汚れ方でした。見られる生物と言えばドブネズミくらいだったでしょう。季節によっては異臭もひどいものであったことでしょう。また、現在と異なり、道路の側溝を大型化したような形で、味気ないものでした。

 1980年代前半まではそのような状態であった二ヶ領用水ですが、いつ頃からか浄化が試みられるようになりました。そして、現在は鯉や鴨が泳ぐようになっています。

 二丁目側から三丁目を写しました。この辺りもマンションばかりになってしまいましたが、たしか田園都市線の変電所があったはずです。梨畑(果樹園と言うべきかもしれません)もあり、即売をやっていた所もあります。川崎と言えば多摩川梨、長十郎という種類のものです。しかし、幸水や豊水といった種類のものが市場を席巻するようになり、長十郎を見かけることは川崎市でも少なくなりました。高津区や多摩区でなら買えるかもしれません。

 ちなみに、長十郎の歴史は意外に新しく、明治期に橘樹郡大師川原村(現在は川崎市川崎区の一部)出身の当麻長十郎が生み出した改良種です。 

曙橋から、二丁目のほうを旧大山街道に向かって少し進んだところに、御覧のような案内板があります。二ヶ領用水の歴史が書かれています。

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