江戸城、今の皇居の北側には、北の丸公園という環境省管理の公園があります。
室町時代には、関東守護神の築土(津久戸)神社社地で
田安台にあったことから「田安明神」とも呼ばれていました。
江戸時代初期には甲斐徳川家や駿河徳川家の屋敷となった後、火除け地となり
吉宗以降、御三卿である田安徳川家(西側)と清水徳川家(東側)の上屋敷となりました。
田安も清水も、屋敷地の地名に由来しています。
(春の田安門)
(清水門)
明治以降は近衛師団兵営地となりますが、戦後公園として整備されることとなり
昭和四十四(1969)年に、昭和天皇の御還暦記念に開園しました。
(北の丸公園の広場)
日本武道館は、開園に先立つ昭和三十九年に、
天皇皇后両陛下(昭和天皇、香淳皇后)をお迎えして、開館しました。
(日本武道館)
清水徳川家の屋敷地には現在、科学技術館や国立公文書館、国立近代美術館が、
田安徳川家の屋敷地には日本武道館や森林地、
国立近代美術館工芸館(旧近衛師団司令部)などがあり
森林地の奥には、都心にありながらヒカリゴケの自生地が存在しています。
(国立公文書館)
(工芸館)
(ヒカリゴケ自生地近くの渓流)
また、田安門両側に広がる濠、牛ヶ淵と千鳥ヶ淵は、桜の名所としても知られています。
(千鳥ヶ淵の桜)
室町時代には、関東守護神の築土(津久戸)神社社地で
田安台にあったことから「田安明神」とも呼ばれていました。
江戸時代初期には甲斐徳川家や駿河徳川家の屋敷となった後、火除け地となり
吉宗以降、御三卿である田安徳川家(西側)と清水徳川家(東側)の上屋敷となりました。
田安も清水も、屋敷地の地名に由来しています。
(春の田安門)
(清水門)
明治以降は近衛師団兵営地となりますが、戦後公園として整備されることとなり
昭和四十四(1969)年に、昭和天皇の御還暦記念に開園しました。
(北の丸公園の広場)
日本武道館は、開園に先立つ昭和三十九年に、
天皇皇后両陛下(昭和天皇、香淳皇后)をお迎えして、開館しました。
(日本武道館)
清水徳川家の屋敷地には現在、科学技術館や国立公文書館、国立近代美術館が、
田安徳川家の屋敷地には日本武道館や森林地、
国立近代美術館工芸館(旧近衛師団司令部)などがあり
森林地の奥には、都心にありながらヒカリゴケの自生地が存在しています。
(国立公文書館)
(工芸館)
(ヒカリゴケ自生地近くの渓流)
また、田安門両側に広がる濠、牛ヶ淵と千鳥ヶ淵は、桜の名所としても知られています。
(千鳥ヶ淵の桜)