石神井川中流、板橋区双葉町付近から稲付川に接続していた用水路が根村用水です。
(石神井川根村堰付近)
江戸時代に灌漑用水として開削された用水路です。
飲料水として開削された、玉川上水をはじめとした多くの上水路と同じく
比高の差の少ない始終点間を、うまく通して稲付川の谷頭まで結んでいます。
もちろん、現在では暗渠化されていて、ほぼ歩き通せるルートとなっています。
(明らかに暗渠の道)
石神井川本流自体の、流路の直線化によって、本来の分岐点は失われていますが
流路に沿って歩くと「あぁ、確かに用水路があったな」と思える遺構が
其処彼処に見え隠れしています。
(護岸の石垣が残る幼稚園)
途中、日曜寺という寺院があります。
この寺院は真言宗霊雲寺派の光明山愛染院という山号院号を持つ寺で
正徳年間(1710年代)に宥慶比丘が堂を結び、比丘に帰依した徳川(田安)宗武によって
伽藍が造営されました。
また宗武が三男の松平定信も篤信していたことから、定信の揮毫による扁額も寄進され
現在でも門に掲げられています。
(日曜寺の扁額)
門前には根村用水を渡る小さな橋の跡があり、流路を確定することができます。
(門前の橋の欄干と日曜寺)
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江戸時代に灌漑用水として開削された用水路です。
飲料水として開削された、玉川上水をはじめとした多くの上水路と同じく
比高の差の少ない始終点間を、うまく通して稲付川の谷頭まで結んでいます。
もちろん、現在では暗渠化されていて、ほぼ歩き通せるルートとなっています。
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石神井川本流自体の、流路の直線化によって、本来の分岐点は失われていますが
流路に沿って歩くと「あぁ、確かに用水路があったな」と思える遺構が
其処彼処に見え隠れしています。
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途中、日曜寺という寺院があります。
この寺院は真言宗霊雲寺派の光明山愛染院という山号院号を持つ寺で
正徳年間(1710年代)に宥慶比丘が堂を結び、比丘に帰依した徳川(田安)宗武によって
伽藍が造営されました。
また宗武が三男の松平定信も篤信していたことから、定信の揮毫による扁額も寄進され
現在でも門に掲げられています。
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門前には根村用水を渡る小さな橋の跡があり、流路を確定することができます。
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