THE SAPPORO TRANSIT AUTHORITY (S.T.A)

札幌で活動しているブラスロックバンド、STA(The Sapporo Transit Authority)です。

SPAGHETTI WESTERNS

2013-10-12 14:57:08 | free form space

ロックバンドを楽しむのと同様に、ずっと映画鑑賞もたしなんでおります。

洋画邦画新旧取り混ぜて楽しんでおりますが、スプラッタものだけはノーサンキューですね・・・。

自分が洋画にはまりこんだきっかけはマンダムCMで大ブレークしていたチャールズ・ブロンソン。

ロックがビートルズ亡き後のNEW ROCKで俄然熱くなっている頃(もちろんその中にはシカゴもしっかり入っています)、映画界もニューシネマという革新的ジャンルを確立。

「俺たちに明日はない」「明日に向かって撃て」「イージーライダー」「バニシング・ポイント」などが大ヒット。その流れからパニックもの、オカルトもの、カーアクションを大々的に取り入れた作品などが続々と誕生してしのぎを削ります。

ちょっと遡って1960年代。

007スパイものシリーズは安定した人気を誇り、アメリカ西部劇も当たり前のように観客を大量に動員していました。(ジョン・ウエインというアメリカン・ヒーローなくしてここの部分は語れませんね)。

テレビ・ドラマ「ローハイド」で人気を博していた若手スター、クリント・イーストウッドが格安なギャラで出演したイタリア製西部劇「荒野の用心棒」が予想外の大ヒットを記録します(これ、黒沢作品のパクリ。黒沢監督はあまりにもよくできた内容を見てクレームをつけなかったとか)

これをきっかけに柳の下のドジョウ狙いのごとく量産された作品のタイトルは「用心棒」「ガンマン」「荒野」「夕陽」がお約束・・・。

これさえつければある程度のヒットは約束できたようです。

イタリア西部劇はアメリカと区別する意味で「スパゲッティ・ウエスタン」と本国で読んでいますが、ここ日本では「マカロニ・ウエスタン」と呼ばれています。

「太陽にほえろ」のショーケン演じる刑事のニック・ネーム「マカロニ」もここからきています(「マカロニほうれんそう」の意味は不明・・・笑)。

アメリカ製との大きな違いは、とにかくイタリア製はヴァイオレンス、埃っぽく暗いイメージ。アメリカのように陽気で明るく軽い笑いが散りばめられたような勧善懲悪作品は少ないです。でもハードボイルド好きな映画ファンはこれを目当てにこぞって映画館に足を運んだものです。

そこから生まれたスター御三家は先のクリント・イーストウッド(その後の映画界に及ぼした影響力からしてもう別格ですね)、フランコ・ネロ、そしてジュリアーノ・ジェンマ!

大体マカロニ・ウエスタンの代表作といえばこの3人の作品を薦めれば間違いなし。

フランコ、クリントは髭面、葉巻、ポンチョ、マシンガン、棺桶(!?)比較的口数少なく汗臭いといった印象。それに対してジェンマはがっしりしているけれどスマートな2枚目の爽やか好青年、スタイリッシュで女性にモテモテでラブロマンスもけっこう劇中にあります(先述の2人ももてていますが基本は男の世界)。だから硬派のマカロニ・ウエスタン・ファンからは敬遠される傾向にあったかもしれません。たしかに女性ファンも多かったし、来日もしていて日本の映画にも出演。人気の大きさがわかるエピソードとしてスズキからスクーター「ジェンマ」が発売されたほどです。

また彼の大きな武器は華麗なガンさばきはもちろんですが、運動神経抜群のアクション・シーンにあります。

元体操選手だっただけに、軽業師のごとく空中回転はお手の物、とにかくよく動く体がかっこよかった。

1938年9月2日ローマ生まれの彼も下積み時代が長かったのですが、モンゴメリー・ウッドという名前で出演したマカロニ・ウエスタンで注目されて人気沸騰、これをきっかけに本名にもどして看板スターに成長します。

ここ最近は映画界よりも、もっぱらテレビドラマ、そして彫刻家としての力量を発揮していました。

ただ今月始めに悲しいニュースが世界中を駆け巡りました。

10月1日イタリア・ローマ近郊を運転中のジェンマが対向車と正面衝突、その後病院へ運ばれたのですが死亡したとのことです、享年75歳。

遺作はウディ・アレン監督作品とのこと。

私事ではありますが、修学旅行でSTAケンと東京銀座を訪れたとき、なんとそこのビル会場スペースで「ジュリアーノ・ジェンマ、来日特別トークショー」とあるではありませんか!?

時間の都合で見ることはできませんでしたが・・・ケンは覚えていないだろうなあ・・・・惜しいことをしたと今も悔やんでいます。

マカロニ・ウエスタンは1970代に入り、西部劇自体が人気下降線の一途をたどり、ほとんど消滅してしまいました。

ただ面白いのはそれと入れ替わるように今度はそれまで誰も見向きもしなかったカンフー・ブームが到来したことでしょうね。

「ドラゴン」と名のつく、それまで世界中ではまったく知られていなかった肉弾戦によるアジア・アクションの始まりです。今後の展開を暗中模索していたハリウッドも腰を抜かしたことでしょうね。

ブルース・リーのカリスマ性(この時には既に亡くなっていたというのもショッキングでした)、あのヌンチャクを上半身裸で両手で頭上前方に構えたポーズ、最初にそれを見て「一体これってどういう映画??」と思いましたもん。(ラロ・シフリンのテーマソングも大ヒット)

実際、テレンス・ヤング監督の「アマゾネス」との併映作品としてロードショー時は小さな扱いでした。ところが人間離れした肉体と動きに皆がいっぺんに魅了されて(私もそのひとり)大事件となりました。そしてご多分にもれず第2のマカロニ・ウエスタン現象として「ドラゴン」と名のつく作品がどっと公開されました。

ほとんどが低予算、短期間による製作、チープでどれも似通った内容ばかりです。当然のごとく、やはりこのジャンルも一過性のものでした。

もちろんブルース・リーは全て必見、ジャッキー・チェンなどの後継者も現役組では大成功の人気者。個人的にはジミー・ウォングの「片腕ドラゴン」はカルト的傑作だと思います。

 

映画音楽も皆の心奥深くにそれぞれ数多くの思い出と共に大切に今も流れていることでしょう。

MTV以降は洋楽ミュージシャンと映画がコラボして両方がヒットするのが当たり前の時代になりました。シカゴもその恩恵を授かりました(一昔前はロック映画はヒットしないといわれていました。ビートルズやツェッペリンなどは別として)。

古き良き時代の映画音楽には熟練の作曲家が数多くいましたね。

曲を聞いただけでスクリーンがすぐに蘇ってきます。

フランシス・レイ、ニーノ・ロータ、ミッシェル・ルグラン、モーリス・ジャール(息子はジャン・ミッシェル・ジャール)、・・・・。

そしてエンニオ・モリコーネ。

息子と共に携わった「ニュー・シネマ・パラダイス」なども有名ですが、やはりなんといっても彼の名前を有名にしたのはマカロニ・ウエスタンの膨大なサウンド・トラックです。

鐘の音、鞭の鋭い「ピシッ!」という音、口笛、フラメンコ風ギター、乾いた非情なるトランペットの響き、ビューン・ビューン・・というアイヌが使用するようなムックリ音やコーラスは大砂塵にこだまする インデイアンの雄叫びをイメージしているのか・・・・。

砂埃舞う西部の町の中で向き合い決闘するシーンが浮かんできます。

インディアンの居住地で、それまでほとんどの人が足を踏み入れることのなかったアメリカはアリゾナ州のモニュメント・バレー。

故・ジョン・フォード監督が「駅馬車」でこの景観をいたく気に入りカメラにおさめて公開されて以降、西部劇の舞台として数多くの作品に使われました。

びっくりするのが白黒の半世紀以上前の映画作品を見ても、現在の風景とほとんど変化がないことですね。ここが大昔は海の底だったなんて・・・。

シカゴのメンバーが出演したり音楽も担当した「グライド・イン・ブルー」も全編ここが舞台となっています。サウンド・トラックには「モニュメント・バレー」という壮大なる曲も収録されています。(ジェームス・ウイリアム・ガルシオ作曲)

コメント
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