THE SAPPORO TRANSIT AUTHORITY (S.T.A)

札幌で活動しているブラスロックバンド、STA(The Sapporo Transit Authority)です。

rickenbacker(chicago)

2021-06-12 13:31:28 | CHICAGO

リッケンバッカーリッケンバッカー・インターナショナル・コーポレーションRickenbacker International CorporationRIC社)はアメリカ合衆国楽器メーカー。主にエレクトリックギターを主力製品として、アコースティックギターストラップなどを製造している。日本の代理店は、山野楽器(2013年2月1日 -)同年1月31日までは新星堂

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albert hammond

2021-06-12 13:29:19 | CHICAGO

アルバート・ハモンドはてっきりアメリカ人だと思ったらイギリス人だったのですね。

1944年5月18日生まれ、いくつかのバンドを渡り歩いたのち、アメリカに移住。

あの大ヒット曲「カリフォルニアの青い空」でブレークします(ビルボード誌1972年12月16日最高5位を記録。年間チャート記録33位)。

このタイトルはラジオ一般公募で決定したといういわくつきの曲。ちなみに歌謡曲にもしっかりとぱくられてそちらも大ヒット。今も歌い継がれています。

その後も出す曲、出す曲がヒット。

「カリフォルニアより愛をこめて(007の拝借タイトルですね)」、一転ハードな曲調の「ザ・フリー・エレクトリック・バンド」「ダウン・バイ・ザ・リバー」・・・・などなど多数。

来日公演も行いテレビ出演も果たしています。

当時のルックスは長髪にもみあげ、長い脚、ジーンズ姿にワイルドで面長ハンサム、フォークギターを座って弾く演奏スタイルが強烈に焼きついています。

1970年代に青春時代を過ごした方たちならば必ず彼の曲でお気に入りが1曲はあるはず。

その後もコンスタントに自身の作品を発表しながらも、良質な曲を数多くのアーテイストたちに提供し続けています。

シカゴも「19」の2曲目に収録している「I DON'T WANNA LIVE WITHOUT YOUR LOVE」でお世話になっています(もちろん大ヒット。プロモーション・クリップも存在します)。

その他ホリーズ、レオ・セイヤー、そしてカーペンターズの「青春の輝き」なども彼の作品です。

面白いところでは吉田拓郎の肝いりでデビューしたフォークグループ「ネコ」も「コスモス」「君の心はおもちゃ箱」というタイトルでアルバートの作品を取り上げています。

「落ち葉のコンチェルト」・・・写真の輸入ベスト盤には彼のヒット曲が一通り網羅されているのですが、その肝心の「落ち葉の・・・」だけが収録されていない・・・。

あれは日本だけのシングルカットだったようです。

ベスト盤購入時はお気を付けください。

ちなみにザ・ストロークスのメンバー、アルバート・ハモンドJRは御子息です。

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night view(chicago)

2021-06-12 12:14:31 | CHICAGO

夜景(やけい)とは、時間帯で区別した景色のうちの、夜の景色である。 第1義に、夜の景色、夜の眺めをいい、夜色(やしょく。 「夜の気配」「夜の風情」の意もあり)、ナイトビュー(英語:night view, night-view)ともいう。 日本語では、古く、夜色、もしくは、夜之景/夜の景(よるのけい)といった。

masa's art chicago logo respect gallery

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jack Bruce

2021-06-12 12:12:47 | free form space

私が学生時代に多大なる影響を受け、ずっと尊敬しているミュージシャンの一人がジャックブルースです。
もちろん彼のことはクリームで知りました。
ギブソン・ベース(晩年は自身のシグネィチャー・モデルのワーウィック・フレットレスを使用)をフィンガー・ピッキングでアグレッシブに弾きまくりながら歌いまくるスタイルが圧倒的にかっこよくて憧れたものです。

シカゴもまだシカゴ・トランジット・オーソリティ時代には「サンシャイン・オブ・ユア・ラブ」をレパートリーに加えていました。

ジャックは天才集団ゆえ、才能とエゴのぶつかり合いで短命に終わったクリーム以降もマイペースでツアー活動、バンド結成、レコーディング、セッションにと多忙の日々を送っていました。
ジョニー・ウィンターをゼップ札幌で見られた時も夢のようでしたが、このジャック・ブルースが札幌のライブハウス、ペニー・レインに来た時も同様に至福の時でしたね。
(クラプトンが当たり前のようにドーム公演なのに対してジャックはライブハウスというのがなんとも切ないけど間近で見れたのは嬉しい限りです)
時は1992年3月16日(月)のこと。
メンバー構成はもはや説明不要の天才ドラマー、サイモン・フィリップス、ギターは当時売り出し中の若者でポイズンにも在籍していたテクニシャン、ブルース・サラセノ。
トリオ編成での来日。
今か今かとステージを見つめていた時、ふと視線を感じてチラッと右サイドに目をやると暗闇からじっとこちらを見つめているジャックがすでにそこにいるではないですか!?
思わず感動のあまり硬直状態に陥ってしまいました。
周囲は誰も気づいていなかった…。
オープニングこそソロからの「ライフ・オン・アース」で幕開けでしたが(イントロのベースラインがしびれます!)セット内容7割はクリームとアドリブの応酬でしたね。
ちょっとズングリ体系でシワシワのお顔でしたが貫禄のプレイ・スタイル、振り絞るようなボーカルはまさにレジェンドの風格に満ち溢れていました。
何故かナックの「マイ・シャローナ」の有名なリフなんかもお遊び程度に披露してくれたりもしちゃいました。

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shoulder keyboard(chicago)

2021-06-12 10:52:21 | CHICAGO

ショルダーキーボードシンセサイザーの鍵盤部分をギターのように肩からストラップで吊るして、演奏出来るようにした楽器の総称である。なお、ショルダーキーボードは和製英語であり、ローランドや英語圏ではkeytar(キーター)と呼ばれている。

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柳ジョージ&レイニー・ウッド

2021-06-12 10:45:21 | free form space

大人のジャパニーズロックとして数々のヒット曲を輩出した伝説のバンド「柳ジョージ&レイニーウッド」
このバンドほど夜、酒、タバコが似合うバンドはいないでしょ。
下積み時代の長かった柳ジョージさんはあの成毛滋さんやツノダ☆ヒロさんと活動を共にしていた頃もありましたが、レイニーウッドで大ブレイク。
当時日本のロックシーンとしては珍しいリズム&ブルースを大胆に取り入れて、玄人筋からも絶賛されました。
私が個人的にお気に入りなのは、「祭りばやしが聞こえる」のシングルバージョン。
レイニーウッドが演奏してはいませが、柳ジョージさんのあの渋いハスキーボイスで魂を振り絞って歌う様に痺れつつ何度も聴きまくりました。
どうしてこんなにソウルフルな味が出せるんだろ?羨ましい。
柳ジョージさんの髪型、ファッション、歌い方、ストラトキャスター、そしてブルースフィーリングの曲調から、絶対に日本のエリッククラプトンを意識しているんだろうなあと感じてもいました。
でもボーカルの表現力は断然、柳ジョージさんに軍配が上がると思いますよ。
めちゃ上手い。
私が東京在住して初めての仕事がレイニーウッドのリハーサルスタジオにフェンダーツインリバーブアンプを持って行くことでした。
初日で、まだ慣れない都会の生活…。
私が仕事の合間にスタジオロビーの窓から眩しくそびえ立つ摩天楼を1人ぼうっと見つめていると、いつのまにか休憩に入った柳ジョージさんが1人で真横に立っていて外の同じ景色を眺めながら小声で歌っていたのです‼️
しかも自分の曲ではなく、なんと演歌をめいっぱいにコブシきかせ、私にだけ聞こえるようにね!(曲名は失念)
それがまた、なまらかっこいいくらい自然にハマっている。
見事な柳ジョージ節。実力派のプロって桁違い。
あっけにとられていた私と柳ジョージさんは、一瞬目が合いましたが即お互い自分の持ち場に戻りました。
結局その年の1981年に柳ジョージ&レイニーウッドは解散。
私は渋谷公会堂でのライブを観ました。メンバー全員が真っ白の衣装を着こんで安定したサウンドを次々と披露。
柳ジョージさんが身をよじりながらストラトでギターソロを弾きまくる姿を見て「凄い!」と圧倒されました。
柳ジョージさんは当時グリーンのポルシェに乗って私が勤務する会社のスタジオにリハの為に横浜から通っていましたが、その車はレイニーウッドのメンバーに譲ったそうです。
その後、柳ジョージさんはソロに、レイニーウッドはザ・ウッドとして再出発しました。
そして柳ジョージさんは亡くなり、ザ・ウッドも解散してしまいました。

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HAMMOND(chicago)

2021-06-12 10:43:57 | CHICAGO

ハモンドオルガンとは電気楽器の一種。 1934年にローレンス・ハモンドによって発明された。パイプオルガンのパイプの代わりに、トーンホイールを回転させて、近接して設置された電磁ピックアップにより磁界変化の波を音源として出力する。 ウィキペディア

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sergio mendes&brasil

2021-06-12 10:19:59 | CHICAGO

今は亡き元シカゴの名パーカッショニスト、ラウジール ディ オリベイラ(1940年1月6日リオデジャネイロ生まれ)
彼の存在を世界中に知らしめたのは、もちろんセルジオメンデス&ブラジル'66(後に'77)
数多くの名演を残しています。
ラテンはもとよりボサノバ、サンバのリズムにレゲエとバラエティ豊かに活躍。
この島国日本にカラッと明るく陽気に弾けて、ちょっぴりセクシーでトロピカルなサウンドを浸透させたトップクラスのバンドに在籍していたのです。
なんと「ライブ イン ジャパン1973」まで発売しています。いかに当時のセルジオメンデスが日本において人気絶頂だったかが伺い知れますね。
この公演をちょうど同時期に来日して観ていたシカゴのメンバーらにいたく気に入られ、めでたくシカゴに迎え入れられます。
その後、セルジオメンデス&ブラジル'88に改名しての1979年アルバム「マジック レディ」でもゲスト参加しています。
テクニックはもちろんのこと、誰からも愛される温厚なるキャラクターから、音楽ジャンルを超越して多方面のミュージシャンたちから頻繁に参加要請があったようですね。

ちなみに写真にはラウジールが在籍していないものもあります…(^◇^;)…

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