THE SAPPORO TRANSIT AUTHORITY (S.T.A)

札幌で活動しているブラスロックバンド、STA(The Sapporo Transit Authority)です。

完美再生 史上最強 極品録音不朽傑作 極具収蔵價値!

2012-06-08 18:40:21 | free form space

 

1997年に輸入盤のみで発売されたシカゴのベストCD「THE HEART OF CHICAGO 1967-1997(2曲の新曲入り)」が2012年5月末に香港盤で発売されました。

しかも「グライド・イン・ブルー」と同じく限定1000枚!(獨立編號限量1000張)

帯下にはSERIAL NO,が刻印されているところがマニア心をくすぐりますね。

しかもこの盤は初のSHM-CD!!(SUPER HIGH MATERIAL CDの略だそうです)

音質が格段にアップ。

全15曲入り。

デビューからAOR全盛期までのヒット曲が満載。

このアルバムはほとんど同じジャケットとタイトルで日本でも発売されていますが、レーベルの関係で曲目が違います。

帯に書かれている漢字はなんとなくニュアンスとしては理解できるかなあ・・・・。

「華納唱片全球首次發行」

ちなみに友人から教えてもらったのですが、あちらではシカゴのことを「芝加可合唱團」と書くそうです。

内地の大手CDショップでは店頭発売されていたのですが、ここ北国には未入荷。

調べてもらった結果としては少量限定品ということで入手できる可能性薄いかも・・・・と販売員のお兄さん・・・。

でもなんとかギリギリセーフでめでたくゲットの運びとなりました。

面白いことに帯裏下には大きく銀文字で「MADE IN JAPAN」と書かれています。

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THANK YOU SO

2012-06-06 03:44:41 | リハーサル

ノブが敬愛するギタリスト成毛滋氏が他界した時は呆然としました(ミュージックライフ裏表紙のお姿やグレコギター購入特典教則カセットは当時のロック小僧にとってはもうお馴染みでしょう)。

ある楽器店イベント企画でギタークリニックの講師として招いた際、貴重なお話を沢山聞かせてもらいました。

その成毛さんと共にイギリスに渡ったり、つのだ✩ひろ氏と一緒にバンドを結成したこともある柳ジョージの訃報もショックだった・・・。

私が東京に住んで初めて目の前で見たミュージシャンが彼でした。

柳ジョージ氏がスタジオリハの合間、昼の休憩時間にロビーの窓越しに摩天楼を眺めつつ一人、私の横で演歌を鼻歌交じりに歌いだしたのは意外でした。

渋谷公会堂におけるレイニーウッド解散コンサートの後半、前身真っ白の衣装に身を包み官能的に体をくねらせてギターソロを渋く決めまくる姿にホレボレしたものです。

ちなみに私のフェバリットソングは「祭囃子が聞こえる」シングルバージョンです。

「日本人でもここまでソウルフルな歌い方のできる人がいたんだあ」と擦り切れるくらいしつこくレコードを聞いたものです。

ジョー山中氏の存在を知ったのは高校生時代に、ケンジとバンドを組んでいた時、ギタリストに教えてもらったのがきっかけ。

フラワー・トラヴェリン・バンドの名組曲「SATORI」はコピーしてライブで延々と演奏するのが我々の定番でした。

第1回ワールドロックフェスティヴァルで生のジョー初体験。

後楽園ホールではレゲエミュージシャンとしてのジョーも体験。

そして遂に再結成フラワー・トラヴェリン・バンドをケンジと一緒に見ることができたのです。

その直後にジョーの体調が芳しくないとの情報は耳にしていましたが、やはり現実に亡くなったということを知ると寂しさは隠せませんでした。

ついこの間、このブログでも紹介した尾崎紀世彦氏。

一世を風靡した「また逢う日まで」映像が連日、テレビに流れていましたがもっともっとあの日本人離れした迫力ある歌声を聞かせて欲しかったです。

そんな矢先に、またしても突然のニュースに愕然としました。

「ジョニー吉長、享年63歳、肺炎により6月4日死去」

私がジョニーをテレビで初めて見たのはイエローのライブイベント映像でした。

泉谷しげる氏のバックバンドをイエローが担当していたこともあり、彼の初期のメッセージ色濃いナンバー「国旗はためく下に」を渾身のパフォーマンスで演じていた(ボーカルが大きな旗を長髪振り乱して本当に振っていた)のが印象的でした。

バンド解散後、私がジョニー当人を本格的に認識したのはジョニー・ルイス&チャーのデビュー限定日比谷野外音楽堂でのライブアルバム「フリー・スピリット」でした(私は今でもこのアルバムは日本ロック界の中でも、ライブ盤としても重要な1枚であり、そしてJL&Cのある意味では最高傑作だと思います。捨て曲なし)。

同じハーフミュージシャンでもある元ゴールデン・カップスのベーシスト、ルイズルイス加部とアイドル路線からの脱却を図っていたチャーによる日本史上最高のロックトリオの誕生です。

ピンククラウドに改名後も数多くのアルバムとライブによって人気を不動のものとします(3人揃ったルックスは男達から見ても憧れのかっこよさ。これぞロックミュージシャンの鏡)。

ジョニーはバンドと並行してソロ活動も活発で10枚以上ものアルバムを発表したり他にもプロジェクトを組んだりもしました(コンポーザーにプロデュースも)。

また日本のジャニス・ジョプリンと言われた金子マリさんと結婚(1999年に離婚)、2人の息子達もプロ・ミュージシャンとして(DR&B)チャーの息子ジェシーとRIZEで活動。

ジョニーは音楽界以外にもそのルックスをいかして俳優やモデル業にも進出します。

私がジョニーの演技で最もインパクトがあったのは金城武主演で彼の父親役を務めた「2000年の恋」です。

クール且つ言葉少なに演ずるのに存在感たっぷりでした。

ピンククラウドのライブは1度だけ見たことがあります。

1981年、品川プリンスホテルのスケートリンク会場で催された宇崎竜童氏企画のロックイベントでテレビ放映もされました。

左右に2つのステージがセットされて出演バンドはデビュー直後のモッズ、そしてARB,メデューサ、ダウンタウン・ファイティング・ブギウギバンド等・・・。

司会進行は宇崎氏が担当し、原田芳雄氏もゲストで駆けつけてきていました。

そんな中でも最小人数なのに最もハードにロックしていたのがピンククラウド。

舞台右端の楽屋通用ドアを自ら開けて登場した3人の強烈なオーラに瞬間、その場の空気がピーンと張り詰めたのがはっきりと伝わってきました。

チャーとボーカルを分けあって熱唱しながらドラムを決めまくるジョニーに会場中が釘付け。

マーちゃんとのリズムコンビネーションはいぶし銀のうねりを醸し出しています。

特に脳裏にしっかりと焼き付いているのはESPカタログにも載っていて当時話題にもなったギター&ベースのダブルネックをチャーとマーちゃんの2人がプレイした「ディ・トリッパー」。

ベースとギターを交互にチェンジしてリフやソロをバトンタッチする荒業には興奮しつつもそのアイディアに「なるほどなあ・・・」と関心しきり。

もちろんテクニックとセンスあっての演出です。

札幌のピンククラウド・ファンの知人も偶然、コンサート当日に会場近くの歩道で向こうからこっちに向かって歩いてくるあの3人に遭遇したそうです。

でも全員が長髪、髭、ベルボトムを風になびかせて並んでいるのを見て緊張とビビりまくりで何も反応できずにすれ違ったそうです(というか怖かったらしい・・・)。

ジョニー吉長氏は決して真新しい音楽分野には食指を伸ばしたりはしませんでしたが、日本に於けるロック界が本格的に確立、進出、浸透する時代の流れのど真ん中を常にアグレッシブに突きぬけていった人だと思います。

合掌

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MACADAMIA NUTS MILK CHOCOLATE

2012-06-05 06:40:19 | リハーサル

スタジオ練習に向かう途中、久しぶりにSTA・VOL,2のライブを行なった巨大ショッピングモールに寄って行きました。

やっぱり今回も駐車場や目的の店近辺で不覚にも迷ってしまった・・・。

相変わらず中はだだっ広い!!。

Tレコードショップを訪れブラブラしてみたら「シカゴ・ライブ・イン・ジャパン」の視聴コーナーはもちろんのこと、ディスプレイ棚にもずらっと陳列されていて手書きのポップが微笑ましい。

でも内地の方の大型輸入店舗では大きなジャケットパネルがドーンと立てかけられているそうですよ。

某有名CDショップでは「シカゴ・ライブ・イン・ジャパン」が2枚組にも関わらず週間ランキング第1位に輝きました。

とにかくこのアルバムはどこのショップや音楽専門雑誌記事でもとても好意的扱いを受けています。

Tレコード店専門無料冊子にも「シカゴ・ライブ・イン・ジャパン」がほぼ1ページにわたって取り上げられていました(TOP,BS&Tとの比較論あり)。

気分良くなったので思わずジョニー・ウィンター1968年発表のデビューCDを購入。

すぐそばに並べられていたサンタナの新譜は久々のインストものだそうです。

こちらも頑張っていますね。

 

さあ、9人が集結してのリハーサル。

日本の南方面では早くも梅雨入りだそうですが、札幌も暑くなってきました。

マサとノブはシャツを一枚脱いでスタンバイ。

ブラスは今回、4管編成なのですがサックス、トランペットが一人ずつなのにトロンボーンが2人(ミツ&タク)という面白さ。

こういうのもなかなか独特な響きで新鮮。

チューニングとセッティングに20分をかけて、演奏開始。

ヤスの力強いイントロから本編スタート。

2人のボーカル&コーラスのボリュームをケンジがマサの要望でちょっと強めに。

お次の曲のイントロはノブからケンジが被さりご無沙汰気味だったミツ&ケンイチによるソロバトル。

相変わらずケンジは歌にコーラス、パーカッション、ギターに録音担当と大忙し。

この曲でもギター弾きつつもリードボーカル、更に後半に突入したらカウベル2個をフューチャーして「ちゃかぽこちゃかぽこ♬」。

ヤスとケンジのオリジナルソングに対するこだわりがとても良い方向に作用しています。

ケンジ曰く「パーカッションは数が多ければいいわけじゃない。要するにセンス。量よりも質さ」(納得)

シンちゃんが合流して鍵盤の響きがとても心地いい。

STA史上ここまで鍵盤が延々と本格的に鳴り響いたことがないので嬉しいねえ。

「クエスチョンズ67&68」では例のボビー4つ打ちピアノを再現。

感動的です。

(ケンジはキーボード用のモニターとしてアンプをシンちゃんの横に独自に設置)

続いてもシンちゃんお気に入りの曲を披露。

イントロ部ではオリジナルにはないボンゴの連打を叩き出すケンジ。

雰囲気満点の効果を醸し出しているよ。

「一体、現実を・・・」もシンちゃんチャレンジ。

けっこう早いパッセージには苦労しちゃうけどものにできるのも時間の問題だね。

ケンジとマサの交互に入れ替わるボーカルワークにナレーションもけっこう板についてきた?

タクもミツと肩を並べてトロンボーンを吹ける喜びに浸っています。

前回のギターソロでは別人とも思えるような超速弾きを展開したノブを横から食い入るように見入っていたケンスケは「今年1番の出来ですね」と一言(´∀`*)

この日は結局全てがシカゴの曲だったんだけど皆、とても満足そう。

さてさて、ここからは未だ非公開のシカゴナンバーに立て続けで取り組みます。

「イントロダクション」を終えてみて相当に進歩した現実に驚いたよ。

まあ結構な数こなしてきたけれどもフルメンバーでの演奏はほとんどなかったのでノリが俄然違ったね。

ミツ「ドラムがしっかりとリードしてくれるからかっちりと皆が安心して絡んでいけるんだよね」

コード展開がクルクルとめまぐるしい部「サムディ」でノブはコード譜とにらめっこ。

ケンジはシュプレヒコール効果まで演出。

次から次へとマサが提示する曲に真剣に取り組むメンバー達。

ホーンセクションのスタミナ温存や難解なフレーズやハイトーンで延々と吹き続ける旋律と課題も多いけど確実に光は見えてきているね。

時間も来たのでラストは「サタディ・イン・ザ・パーク」で綺麗にまとめあげ。

ケンジとマサのヴォーカル&コーラスの絡みも1ステップアップしたようです。

片付け後はタクにビークルズの近況などを聞きながらミツからのハワイ土産のチョコレートを皆で美味しくいただきました。

御馳走様!!!

帰り際にはマサとオカチャンとヤスとで恒例のウルトラシリーズ、アメコミ、ルパン3世、バック・トウ・ザ・フューチャー、ガンダム話しで盛り上がり。

実はここらの会話の内容だけでこのコーナーがびっしりと埋まっちゃうくらいの濃さなので極力割愛させていただきます。

 

シカゴからパーカッション担当、ドリュー・ヘスターが脱退しました。

プレイもテクニカルでしたがオフにおける姿もナイスガイで人なつっこい笑顔が魅力的だったドリュー、本当にありがとう!!

これからの活躍にも期待しちゃうし、ずっと応援するよ、頑張ってね。

そしてシカゴの新パーカッション・プレイヤーにはウォルフレド・レイエスが加入してもうすでにツアーに合流しています。

スティーヴィー・ウィンウッドのもとでドラムを担当していた人でキューバ生まれ、プエルトリコ育ちの彼のシカゴにおける今後が楽しみです。

さっそく来日してもらって演奏する姿をナマで拝見してみたいなあ。

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麗しき才女

2012-06-03 22:13:47 | free form space

あのマドンナに提供した楽曲「ラ・イスラ・ボニータ」の大ヒットで一躍名を挙げたブルース・ガイチはその後、引く手あまたの超売れっ子ギタリストとして活躍しています。

エアプレイ(ビル参加)&ボストンのボーカリスト、トミー・ファンダーバーグとのプロジェクト「キング・オブ・ハーツ」でも2枚のアルバムを発表、デヴィッド・フォスターから高い評価を受けます(この2枚にはビル・チャンプリンも参加)。

ブルースは数多くのセッション、またソロアルバムも発表(ファーストアルバムにもビルが参加)。

そして同じシカゴ出身でもある、シカゴとの音楽的繋がりは現在も続いています。

コアなシカゴ・ファンの間でも好評を得た全曲がジャズ・スタンダード・ナンバーのカヴァー集「ナイト&ディ」においては前ギタリスト、ドウェインから現在のキースへの橋渡し的重要なる役割を果たします。

また元シカゴのメンバーからの信頼も厚く、ビルのアルバムへの参加、ピーターのツアーにも同行(来日公演にも参加したのは記憶に新しいところ)。

さて前置きが長くなりましたが、そのブルースの奥方ジェイニー・クルーワーのアルバム4枚をここにご紹介しましょう。

「JANEY(デビュー盤)」「CALL ME ROMANTIC」「WHEN STARS COLLIDE」そして最新作「LOVE」。

ビルとピーターの2人が参加しています。

どのアルバムからも極上のヴォーカル・メロディーが紡ぎ出されていて、またサウンドのバリエーションも豊かです。

夫のブルースを筆頭に参加ミュージシャンも豪華ですが、そのことを全く微塵も感じさせないジェイニー。

それもそのはずで、自宅に作られたスタジオにおいて彼女は作曲、ボーカル、アレンジ、プロデュース、ドラムの打ち込みとあらゆる作業をこなすジャケットから見受けられる美豹からは到底想像のつかないほどのマルチ・ミュージシャンなのです。

世界中に数多くいるディーヴァの中でも彼女くらい才能に溢れたミュージシャンはまずいないでしょう。

プロフィール・・・年齢は不詳ですが、クラシックに傾倒後はご多分に漏れずビートルズをきっかけにポップスに目覚めカーペンターズ、スティーヴィー・ワンダーに熱中。

バンド活動を経て音楽大学にて教鞭をとりジャズから幅広いジャンルにわたって素養を身につけていきます。

数々のCMソングやスタジオ・ワークによる実力を認められて、ここから彼女の快進撃が始まります。

フリオ・イグレシアス、パティ・ラベル、サラ・ブライトマン、ヴァネッサ・ウィリアムス、ハリー・コニックJR、エリック・カルメン、ウェンディ・モートン、オリヴィア・ニュートン・ジョン、ジョージ・ベンソンなどとの共演、楽曲提供と活躍します。

マーヴィン・ゲイから「是非とも彼女をプロデュースしたい!」とラブコールを受け絶賛されたという逸話もあります。

そのような流れの中、ジェイニーのソロ・デヴューアルバムが登場したとしてもちっとも不思議ではないでしょう、むしろ遅いくらいで。

来日公演も好評を得て、今現在もマイペースに一人娘のサマンサと夫のブルース3人での幸せなる生活を大切にしつつも音楽活動を継続しています。

どのアルバムも十分に練り上げられた極上ポップワールドがあなたをそっと優しく包み込んでくれることでしょう。

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