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ハロウィン

2007年11月03日 | 社会
日本も少しずつハロウィンが定着しつつある。

しかし、本場のそれはやはり違う。

サンフランシスコに留学中の息子から、写真が届いた。

  なんだか分かる?



フト、92年の日本人留学生射殺事件を思い出した。

確かにこんな格好で歩けば不審者に間違われるかも。

今や、アメリカに限らず日本も危険がイッパイ。

   心して楽しみたい。



      答えは、「NINJA」だって。




日本人留学生射殺事件

1992年10月17日、ルイジアナ州バトンルージュ市の某所で行われたハロウィーン・パーティーの会場に、日本人留学生(服部剛丈君、16歳)とホストブラザーの2人は、メイクは施していないものの仮装姿で訪れた。だが訪れたのは番地が似た別の家だった。玄関のドアベルを鳴らしたが応答がなかった。

家主のピアーズ(30)は2人を強盗と思い、自宅横にあるカーポートからマグナム44口径を手にしながら、"Freeze"と威嚇する。悲しいことに日本人留学生は"Freeze"という英語が通じなかった。ホストブラザーの「戻ってこい」の制止を無視して「パーティーに来たんだ」と言いながら家に入ろうとしたため、彼は胸を撃たれ、出血多量で死亡した。"Freeze"と"Please"を聞き間違えたと言われる。

刑事裁判では無罪となったが、民事裁判では65万3000ドルの支払い命令が確定した。この惨劇をきっかけに、当時のクリントン政権下(民主党)では銃規制運動が盛り上がった。だがブッシュ政権(共和党)になると、断ち切れた。

YOSHIの会:http://www11.plala.or.jp/yoshic/

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