世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

放浪者

2016年02月02日 | 100の力
放浪とは、何も地理的(場所)な移動だけを意味しない。


生き方も、ずいぶんと放浪してきたものだ。

60余年、5万キロも世界を回り、一周してまた戻ってきた。

日本も、全国を回り、結局生まれ故郷に帰った。


何を求めて放浪してきたのか。

何がしたくて彷徨(さまよ)ったのだろうか。


いろんな寄り道をしてきたものだ。

ずいぶん遠回りしたものだ。


自由を求めていた。

自由という言葉に憧れていた。

それはあたかも魔力を持っているかのようだった。

憑りつかれていた。

その本当の意味も分からないまま。

自由という言葉を、自分勝手に解釈し自分の都合のいいように使ってきた。


好き勝手すること?

何ものにも、何事にも捕らわれないこと?

自由気まま?

やりたい放題?


それは、単なる我が儘だったのか。

好き勝手は、自分勝手なのか。


自由と引き換えに、

仕事を失い、友人を失い、家族を失う。

自由とは、

孤独に陥ることなのか。


孤高に生きる。

清貧に生きる。

そうした言葉でどんなに美化してみたところで、

所詮ごまかしに過ぎない。


孤独を気高きものに見立て、

貧しさを清きものと位置づける。


ようは、

一人寂しく、貧乏な暮らしをすることが

自由の行きつく先だったのか。


相手を自分の思い通りにすることが、自由だと思っているきらいがあった。

しかし、相手を思い通りにしようとすればするほど相手に囚われていってしまう。

思い通りにしようとすればするほど、不自由さを味わう。


欲望を解放することもまた、むしろ欲望の奴隷になってしまい

かえって、不自由な思いをすることになる。

欲望に身を委ねることは、最も不自由なことだ。


なぜなら、人生には、限りがある。欲望には、限りがない。

限りある者が、限りないものを支配しようとすれば、己を失ってしまう。

自己を失ってしまったら自由などあり得ない。


つまり、これらの在り方は、自由に見えて、実は、自由の対極に位置する。

自由を求めながら、自由とはまったく正反対の方向に進んでしまっていたのかもしれない。

求めれば、求めるほど遠く離れていく。


何ものにも、何事にも捕らわれず、

自由気ままに好き勝手し、

やりたい放題したいなら、

お金も、時間も空間も、人も必要になる。


そして、

人を蹴落とし、踏みつけて傷つけてしまう。


それが、自由を求めた結果なのか。

違う。

それは、自由なんかじゃない。

もしもそれが自由といのなら、

自由なんかクソ喰らえだ。


自由とは、

自分を解放することだ。


自由の帰結するところは、自己実現にいたる。

自己実現は、意志と愛によって達成される。

故に、自由は、主体的な意志と愛によって育まれる。


自由は、自分自身の問題なのである。



完璧というものがないように

完全な自由なんて、どこにも存在していないのかもしれない。

Have no fear of perfection.

You'll never reach it.
(完璧を恐れるな。どうせ完璧になどなれないのだから)


それは、幸せと同じく、

自分の心の中にあるのかもしれない。

自由とは、何でもない平凡な生活をしている時こそ存在しているものだろう。

本当の自由は、その状態を“感じない”ことこそ自由であることなのだろう。


チルチルミチルのように、青い鳥を求めて彷徨っていたのだろう。

広い世界にこそ求めていたものがあると信じていた。

だが、それは、直ぐ足元にあったのだと気づかされる。

狭い空間に、小さくうずくまっていた。

ボクが見つけてくれるのを、震えながら待っていた。



大草原や大海原に出てみる風景より、

小窓に映る風景のほうが美しい時がある。


一見束縛と思えることに中に、

小さな自由を知った時、

大きな解放感を味合うことができる。


欲望にかられ、

自由という御旗を掲げ、

自分勝手な妄想に明け暮れていたのかもしれない。



いまやっと、

やるべきこと、

探し求めていた人に、巡り合うことができた。

愛する人と共に生きる。

それが、真の自由だと気づいた。




【自由とは(付録)】


カント『自由とは、因果的な自己原因性ではなく、意思通り行為できることを指す』

広辞苑『じゆうとは、他のものから拘束・支配を受けないで、自己自身の本性として従うことを言う。』

j,sミル『自由とは、人に迷惑をかけないこと』

作家『自由という名のもとでの強制』

サルトル『人間は自由という刑罰に処せられている』


デネット『自由は進化する。自由は未来予測能力のなかにある。(略)この可変性が自由の本質』


哲学者『自由への憧れとは、欲望の奴隷として生きることを宣言してるようなもの』


 不明 『自由はわけがわからないが、あっても困るしなかったらなかったでもっと困る。だから自由とは人間の都合次第で解釈 が自在かつ多義的に変更してもさしつかえはない概念』



自由の反対は、束縛や拘束ではない。

自由の反対は、平等である。

裏返していれば、自由であるということは不平等で差別があると言う事。


皆が全て自由ならやりたい放題でアナーキズムのようになる。

しかし、皆が全て平等なら自由は何もない事になる。

だからフランスのモットーを受けついたとされる民主主義などでは、

自由と平等が対立しないように中道として束ねるのは「博愛(友愛・命に対する尊厳)」とされている。
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2月1日(月)のつぶやき

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