世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

文武両道

2018年08月04日 | 100の力
熊本県立濟々黌(せいせいこう)高校から早稲田大学へ。

そして、

ソフトバンクホークスで、先日

育成出身の新人として史上初となる初登板初勝利を飾った。



大竹耕太郎。


彼は、

濟々黌を二度、甲子園に導いた。




濟々黌は、

創立136年(明治12年創立)になる列記とした公立の進学校である。

学校名は詩経の一節、

「済済たる多士、文王以て寧んず」から取った。

「黌」は学校の意味。

卒業生を「多士」と呼び、校長を「黌長」、校門を「黌門」と表記する拘りよう。


トップレベルの進学校でありながら、

スポーツ面においても名だたる実績がある。


濟々黌は、なんと昭和33年春、甲子園で優勝を果たしている。

(当時、王貞治の早稲田実業を破って)


なお、

現在でも、

偏差値80、野球推薦もなく、機動力で勝ち進んでいる。


これまで長い歴史の中、

政治、経済、学術、スポーツ界など多くの分野にOBを輩出してきた。


また、現在、グローバルスクールの指定校でもある。



ちなみに、くりーむしちゅうの上田、有田もOBだ。

政治学者の姜尚中もそのひとり。


まさに、多士済々。

(その他、財津一郎など芸人が多いのはなぜに?)



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文武両道という言葉がある。


古来より理想の人物像であるといわれ、

現代においてもスポーツと勉強の両立ができる人という意味で用いられている。


本来は「上に立つ者の心得」「力・武器を持つ者(武士)の心得」として

『人の上に立つ者は、それに相応しい‘文事’と‘武芸’の両方を修めなければならない』

と云う『教え』の言葉であった。


近江聖人と称えられた江戸時代初期の陽明学者である中江藤樹は、

「文と武は元来一徳であって、分かつことができない。

したがって、武なき文、文なき武は共に真実の文ではなく、武でもない。」

と述べている。


「養生訓」で有名な福岡藩の儒学者、貝原益軒は、

「武芸の直接の目的は、

戦場の使、日常の使にあるが、究極の目的は、武徳の涵養にある。

すなわち武芸により、心身を統治することである。」

と述べている。


武道を志す者は、

『武芸と文事の両方を以って武道とし、文武共に修めなければいけない』

のである。


学生時代、

学業のみorスポーツのみと、

どちらか一方に専念すれば確かによい成績を残こせるかも知れない。

目先でなく長い目で見たら、

文武両道は、

とても大切な教えであり「中庸の徳」といえるだろう。


これは、

「才色兼備」にも通じるものであろう。

つまり、

時に、天は二物を与えるのだ。



なお、「バンカラ」という言葉も、

濟々健児にふさわしい言葉であった。

バンカラ(蛮殻、蛮カラ)とは、

ハイカラ(西洋風の身なりや生活様式)をもじった語であり、

明治期に、粗野や野蛮をハイカラに対するアンチテーゼとして創出されたものである。

一般的には、

言動などが荒々しいさま、またあえてそのように振る舞う人のことをいう。



そんな気風の中でボクも育成された。

ま、武骨な言動はお許し願いたい。




【補足】


≪応援歌≫

♬ 若い生命(いのち)の喜びを~

この一瞬にかけてきたー


済々健児は今ぞ起(た)つ

鍛え鍛えたこの技とー

ファイトの前には敵はない~ 🎶



≪三綱領≫



正倫理 明大義 (倫理を正し 大義を明らかにす)

重廉恥 振元気 (廉恥を重んじ 元気を振ふ)

磨知識 進文明 (知識を磨き 文明を進む)



この精神は

今もボクの中に脈々と生きている。