14年間暮らした久住高原。
彼は熊本で生まれてからすぐ、
久住高原に移住し、
中学まで大草原の中で育った。
いわば、自然児である。
彼は20年ぶりにそこを訪れた。
高校時代、アメリカ(カリフォルニア)に渡り、
13年間主にサンフランシスコにいた。
そして今は、東京で暮らしている。
久々の帰省の際、久住高原を訪れたのだ。
彼が少年時代を過ごした
「久住高原メリーファーム」は、
現在、世界的に有名な和太鼓集団「Dram TAO」の基地になっている。
彼は、
感慨深くその光景を見ていた。
そして、
今は竹田市となった久住町の商店街や、
幼稚園、小学校を訪れた。
ボクの当時の記憶も走馬灯のように蘇ってきた。
彼の妹と同様
約10年間、10キロの道を毎日送り迎えしたものだ。
懐かしい。
今は都会に住む彼だが、
彼の魂は
自然児としての逞しさが根付いている。
【追記】
「久住高原メリーファーム」までのいきさつは
拙著『プレーリーホーム - さらに大草原を求めて ー』に認めております。
是非、ご一読ください。
【補足】
19985年、
何もない原野を開拓して
水を掘り(150Mボーリング)、
電気を引き(2K先から)、
道路を作り、
家を自ら設計して建てた。
(合計6軒)
そして、馬や羊や動物を飼った。
九州初の遊んで泊まれる観光牧場『久住高原メリーファーム』として
14年間で、ここに2億円を注ぎ込んだ。
そこが、荒れ地や廃墟になるどころか、
こうして立派に使われ続けているのを見ると、
実に誇りに思う。
ボクの足跡をこうして残してくださっている
TAOさんに感謝です。
ありがとうございます。
彼は熊本で生まれてからすぐ、
久住高原に移住し、
中学まで大草原の中で育った。
いわば、自然児である。
彼は20年ぶりにそこを訪れた。
高校時代、アメリカ(カリフォルニア)に渡り、
13年間主にサンフランシスコにいた。
そして今は、東京で暮らしている。
久々の帰省の際、久住高原を訪れたのだ。
彼が少年時代を過ごした
「久住高原メリーファーム」は、
現在、世界的に有名な和太鼓集団「Dram TAO」の基地になっている。
彼は、
感慨深くその光景を見ていた。
そして、
今は竹田市となった久住町の商店街や、
幼稚園、小学校を訪れた。
ボクの当時の記憶も走馬灯のように蘇ってきた。
彼の妹と同様
約10年間、10キロの道を毎日送り迎えしたものだ。
懐かしい。
今は都会に住む彼だが、
彼の魂は
自然児としての逞しさが根付いている。
【追記】
「久住高原メリーファーム」までのいきさつは
拙著『プレーリーホーム - さらに大草原を求めて ー』に認めております。
是非、ご一読ください。
【補足】
19985年、
何もない原野を開拓して
水を掘り(150Mボーリング)、
電気を引き(2K先から)、
道路を作り、
家を自ら設計して建てた。
(合計6軒)
そして、馬や羊や動物を飼った。
九州初の遊んで泊まれる観光牧場『久住高原メリーファーム』として
14年間で、ここに2億円を注ぎ込んだ。
そこが、荒れ地や廃墟になるどころか、
こうして立派に使われ続けているのを見ると、
実に誇りに思う。
ボクの足跡をこうして残してくださっている
TAOさんに感謝です。
ありがとうございます。