この世に悩み、苦しみは尽きない。
そして、
ニーチェ的に言えば、
生きることに何の意味もない。
(永劫回帰)
とはいえ、
その意味のない人生を、
いかに遊び楽しんでいくのか?
を知る(悟る)ことで、
その価値は一変する。
いわゆる、
「超人」となる。
ここで言う「超人」とは、
子供のように無垢に遊ぶ人、
すなわち、
「ホモ・ルーデンス」のことを指す。
これは、
「遊び」こそが人間活動の本質であり,
文化を生み出す根源だとする人間観である。
つまり、
「遊び」は、
生活維持を求める生物学的活動を超え,
生活に意味を与えるものである。

(ターザンロープで遊ぶ若者たち)
モノは、必ず壊れるか、失くなる。
人も、いずれ必ず別れがくる。
それも、ベストなタイミングで。
それさえ、理解していれば
悩みも苦しみも後悔も
全く無用になる。。
これは、
ブッダの諸行無常・諸法無我、
荘子の万物斉同論に通じるものがある。
鴨長明の「方丈記」の書き出しに、
「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。
よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」
とある。
変わらないように見える川の景色も、
その流れは絶えることなく、
一度として同じ水が止まることはない。
そして、このあとに続く一文に、
「世の中にある人と栖(住みか)と、又かくのごとし」
とある。
人の住まいもまた同じである。
家を所有するために
あくせく働いたり心を悩ませたりするのは
無意味ではないか。
最小限の物と住まいで、
好きなことに静かに打ち込める環境があれば
それでいいじゃないか、
と言っている。
手放すこと、
執着しないこと。
すべては
いつか必ず消えていく。
自らもまた。