世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

セントラルパークで結婚式 NYへ行こう!!

2012年03月16日 | 結婚
我が子ながら


やってくれるねェ。




ニューヨークにいる娘から


結婚式の通知が届いた。








『お久しぶりです。

こちらはここ数日温かい日々が続いております。


結婚式の日程が決まりましたので、連絡致します。



July 11th 2012 (Wed.)

@ Conservatory Garden North in Central Park

4:00PM~



その後、Receptionの予定です。


それではよろしくお願いします。

季節の変わり目、身体に気をつけてください。



Chieli & David









セントラルパークの中にある


Conservatory Garden はここだ。








彼女は



ダンサー。


21歳。









さすが



我が子。







勝手に決めて



勝手にやる。





ちなみに


B型。







昨年秋ごろ



「来年夏に結婚しま~す」



とメールが届いてから






約半年後、



初のメールが


これだった。






サンフランシスコからは



息子も駆けつけるだろう。






そこで




提案です。






7月11日前後


ニューヨークに一緒に行って




セントラルパークでの


ボクの娘の結婚式に参加しませんか。








ツアーを組んで



ニューヨークにに行こう!!




日程は



たぶん




7月9日から14日までの



4泊6日ぐらいになるかと
思います。






Flight や ホテルなどは



詳しいことは


これからです。






費用は



現在問合せ中ですが



15万円ぐらいかなと思います。






なかなかこんな機会はないと思うよ。



娘の相手は



ニューヨーカーなので





参加者の大半は


アメリカ人だと思うし。



Big Chance!!


さあ


今日から




貯金して



15万円貯めよう!




そして


ニューヨークへ行こう!!!





※ 興味ある人、

行きたい人は



FB上か


このブログにコメントください。




またはメールで。


dreamincountry@gmail.com



追って


詳細ご連絡しま~す。

選択の基準

2012年03月15日 | 人生
人生は



選択の連続である。




進むべきか


退くべきか。





やるべきか


辞めるべきか。







”To be, or not to be, that is the question。”


"Hamlet"第三幕第一場(城内の一室)より。







シェークスピア以前から


人は



常に


選択を繰り返しながら生きてきた。



(洗濯もそうだが)






人生の瞬間瞬間が


選択の連続性で出来上がっている。





その選択が


正しいか




間違いかは





ずっと後にならないと分からないことが多い。







そして


後で


選択の誤りに気付くことが多いことが分かる。





後の祭り。



後悔先に立たず。





死ぬ間際になって



後悔することが多いことでも


分かる。









それはなぜか。




無難な道を選ぶからだ。



常識的な選択をするからだ。



リスクを避けようとするからだ。









ならば


岐路に立ち、



選択を迫られたとき


どうすればいいか。








一般的に言えば






非常識な道、


人の選ばない道を選ぶ





ということだ。





「ふつう


そっち行かないよネー」、



と言わしめる道だ。







では


その選択の基準は何か。




よりリスクのあるもの、


より苦痛が伴うもの、


より困難なもの、



に尽きる。








簡単、

楽、


安全



は、人間の本能の向かうところだ。







多くの生き物がそうであるように



人は本来



苦痛を避け、



快楽を求める生き物である。






だからこそ


人生の岐路に立った時には



常識とは逆を選ぶことで




オリジナリティを発揮できるのである。






理性を働かせ、


最後は



直観に従う。






そして


最終的には


人の道に悖るか悖らないか。





最終判断は


人として



正しいかどうかに委ねる。







これまでは



和を持って貴しとなす




で、



人との調和が重んじられた。





それ故に


人と違うことを言ったりしたりすれば




変人扱いにされることが多かった。






これからは


「『異』を持って尊し」



の時代なのだ。





小泉純一郎や



橋下徹




がもてはやされるのも



その延長線上にあるのではないだろうか。





もちろん



危険性は常に背中合わせだ。








これからは



今までの常識が


非常識になり





非常識と思われてきたことが



常識化するだろう。







今まで


人の歩まない道、



行きそうでない道を選ぶことだ。






好奇心と


冒険心、




勇気


正義感
こそ




これからの時代を生き抜く


必要不可欠の要素となるだろう。







さて


今日は何を食おうか。






誰と飲もうか。




これも日々の選択だ。





敢えて


リスキーな道を取るとするなら、





相手は


悪女を選ぶのがいいだろう。





ただし


後悔の無いように。





【余談】


シェークスピアの名言からもう一つ。




There is nothing either good or bad,

but thinking makes it so.



「物事に良いも悪いもない。

ただそう思うからそうなるのさ。」

(「ハムレット」第2幕第2場)

3月14日(水)のつぶやき

2012年03月15日 | 結婚
08:52 from gooBlog production
斜め45度 blog.goo.ne.jp/dreamincountry…

11:05 from gooBlog production
それぞれのアメリカ goo.gl/UcSZX

11:05 from gooBlog production
AMERICA blog.goo.ne.jp/dreamincountry…

by asaykaji on Twitter

それぞれのアメリカ

2012年03月14日 | 国際
大阪に住む長女が


サンフランシスコに帰った。




帰ったと表現したのは


娘の旦那がアメリカ人で



サンフランシスコが実家だからだ。




何度か述べてきたが


息子もSFで働いている。





これは偶然なのだ。




長女と息子は


異母姉弟だ。







今の女房と



その長女(前妻の娘)との間には




確執があって


それが



今のボクのシングルライフの元となった。






だが


SFで息子を長女に対面させて以来、


二人は姉弟して


仲良くやってくれている。





実に喜ばしい。







問題は


ニューヨークにいる


娘(次女)だ。





まだ


姉妹の面会は


実現していない。





この夏


次女も



アメリカ人(ニューヨーカ―)と結婚する予定だ。





すべてがアメリカという共通項目を抱えている。







そこで



東西に離れているとはいえ




何とか結び付ける手立てはないものか。





オヤジとしては



大きな課題をしょっている。






長女と


息子は



今回もSFで会ってくれる。





長女の旦那ともうまくやってくれているようだ。





お互い英語ができると


こうもスムーズにいくものか。









姉弟仲良く、



そして



妹も

いつしかその輪に加わってくれることを




切に願っている。








【蛇足】



ボクのカラオケの十八番(おはこ)は


浜田省吾の



 ♪AMERICA♪ 


だ。


♪Ahhhh,AMERICA~♪





歌詞が


自分自身を彷彿させる。



3月13日(火)のつぶやき

2012年03月14日 | 結婚
10:44 from gooBlog production
独り暮らしの切なさに blog.goo.ne.jp/dreamincountry…

12:01 from web (Re: @ibumomo
@ibumomo 一度フリートークに寄られませんか?

12:03 from web
問題は「やるかやらないか」ではない。「やるかやられるか」が問題なのだ。そうお思えばやらざるを得なくなる。

by asaykaji on Twitter

ひとり、一人、独り

2012年03月13日 | 人生
風邪をひいてしまったようだ。



こういうとき


一人暮らしは身に染みる。






ヒトリも



ひとりとひらがなで書くときと



一人


独り



と書く時では




まったくニュアンスが違う。






ひらがなで書く


おひとり様




なんとなく



弾けて


ひとりを面白がっている風情が受取れて



楽しそう。






一方


一人と書くと


どことなく




うら悲しさが漂ってくる。






ボクは


「独り」


が好きだ。






敢えて


「独り」 を選んでいる。




独立している


孤高の人といった





凛とした意味合いを感じるからだ。






「独り」 には



誇りがある



気概がある。







なぜか



ローンウルフに憧れる。



(今の状態は


ローンを抱えたウルフだが)





自分の生き方の中で


「自由」ということを



重要視する。








学生時代



親元を離れ


都会での一人暮らしを始めた時



それが



ボクの独立宣言だったとすれば






今、


敢えて



独り暮らしを決めた時



それは


「自由宣言」だったと思う。









もし


飼い犬か


野良犬かを選ぶとすれば




躊躇なく


後者を取るだろう。







動物園のライオンより


サファリで暮らす飢えたライオンの方が好きだ。







33年前


商社から脱サラして以来




今まで


常に




群れない生き方を選んできた。








だが


こうして


熱にうなされ


一人ベッドに横たわっているときは





さすがに


寂しさを覚える。





自ら


傷口をなめる姿に似る。







自然治癒力が


どこまで有効か。







宇宙の気を


体中に噴射中だ。





こうして


幾度となく




心の傷も癒してきた。








自然の懐に抱かれているとき


一人ではなく



独りなのだと


実感する。







所詮


人は




ほとんど


一人で生まれ、


独りで死んでいく。







この世で最も強いものは


孤独の楽しみ方を知っているものだろう。






【追記】






仲間



といった言葉が


美化される一方、




現実は


独り暮らし が急増し




孤独死といった文字が


新聞の紙面を飾る。







決して


家族や仲間



否定するものではないが






現実問題として



災害に備えるように



孤独にも備えが必要なのではないだろうか。


裏切らない

2012年03月12日 | 人生
「ウソをついてはいけないよ」



「人に迷惑をかけないように」




一見


理にかなっている。





だが


よく考えてみると




一生

嘘をつかないで生きることができるだろうか。





「嘘も方便」と言ったりもする。





お世辞やおべんちゃらも


一種のウソだ。





罪のないウソ(White Lie)は




ときに


人間間関係の潤滑油になることもある。






墓場まで持っていく


ウソや秘密は


誰にでも




多かれ少なかれあるのではないだろう。







また


まったく


人に迷惑をかけずに生きることが出来るだろうか。





迷惑はかけたくないという気持ちはいくらあっても


世間で暮らしている以上




何らかの形で


人様に迷惑をかけているものだ。






ただ


受け取る側が




迷惑と思うか


構わないと思うかは





同じ言動でも変わってくる。





生きてるだけで


人との係わりを持つだけで




何らかの迷惑をかけていることになる。






だからこそ



恩返しと同時に


「ありがとうございます」、



「お陰様で」




という言葉が必要なのだ。






そして


迷惑をかけられても



どうぞどうぞ、



構いませんよ




という



譲る気持ちが必要だ。







ウソをつくな


迷惑をかけるなと




教えることは




逆に


人を委縮させる。





落ち込んでいても



空元気を装ったり、





迷惑をかけたくないがために


誰にも相談できず




一人悩むことになる。






むしろ


忠言を言うとすれば



「裏切らないようにしなさい」


という言葉だろう。





約束を守ることも大切だが




時に事情は変わる。





正直な気持ちを



素直な心で



真摯に伝えれば







大概のことは分かってもらえる。





「裏切らない」とうことは



別の言い方をすれば





「逃げない」



ということかもしれない。






責任逃れは


もっとも恥ずべき行為の一つだ。






自分の言動に


責任を持ち



逃げないこと。





取得すべきは


いい訳ではなく、





自分の気持ちを


正直に語る術
ではないだろうか。





日本人は


余りにもこれが不得手である。






「表現力」


「説得力」にもつながる。





ビジネスも


恋も、





「人間関係力」


ある意味




これに尽きるのではないだろうか。






【追記】



目を見て話さないのは


自信の無さの裏付けである。





日本語にしろ


英語にしろ





言葉は


気持ち、心を伝える




単なるツールに過ぎない。





上辺の美辞麗句で綴るより、



心で訴える力を養えば




言葉は後からついてくるものだ。



全否定?

2012年03月11日 | 人生
無理、無理。


ありえない。




最近


よくこの言葉を口にする人がいる。




女性に多いような気がするが。






ボクの知る女性で


連発する人がいた。






これらの言葉を発すると




もうそこで


完全に思考が止まってしまう。





自分で限界を設けて


すべての可能性を打ち消してしまう。





もったいない人だ。








人に対しても同じことが言える。





全否定できる人間は


極めてまれだ。





「一寸の虫にも


5分の魂」 という。






翻って




「どんなに悪い人でも


良いところは必ずあるものだ」



と解釈できないだろうか。







反対に


どんなに良さそうな人でも



欠点や悪いところは必ずある。








人を見る視点で



対人関係は大きく違ってくる。






悪いところばかりを見ると


どんなにいい人でも



悪人に見える。





荒探しばかりする人は


相手の良い面を封じ込めてしまう。







反対に


良いところを見つけようとすると


すべてが善人みえてくる。







人の悪口を言うと



吐いた言葉が


ますますいやな面を助長してしまう。





逆に


嫌いな人でも



良い面を認めてあげると





嫌いな度合いが希釈されていくから



不思議だ。








良きにしろ悪しきにしろ



吐いた言葉は


天に唾するように




自分に降りかかる。











あいつは


「人の言うことをちっとも聞かないけど、


結構涙もろいところもあるんだよねー」 とか。






誰かが


人の悪口を言ったら




「そうだけど、優しいところもあるんだよ」


ってカバーするほうが




一緒になって悪口に加担するより


よっぽど気分がいい。








ちょっとしたことで



人を嫌いになることはあるけど、




意識的に


「でも、いい面もあるし」 って


考えてみるとイイかも。






相手の



「良いとこ探し」


を癖にすると





人間関係もスムーズにいき、



自ずと友達が増える。






要領は


「褒める」


ことだ。






初対面の人でも


「素敵な洋服ですね」


とか




「髪型が素敵ですね」



「いい声してますね」



などと。






ただ



セクハラには気を付けて。








自分が好きになれば



相手も好意を持ってくれるだろう。






食べ物の


好き嫌いが多い人より、




何でも食べる人の方が



ずっと幸せなように








嫌いな人が増えるより


好きな人が多い方が




絶対


人生幸せになれるのは間違いない。

不思議な現象?

2012年03月10日 | 
最近


ボクの身に


不思議な出来事が立て続けに起きている。





ある意味


怪奇な現象ともいえる。





「あったらいいナー」、



と思うことが


ドンドン実現しているのだ。






「こんなものが欲しい」 


と思っていると、




目の前にそれが現れる。





「こんな人に会いたい」 と思うと



実際に会えたりする。





直接その人物人をイメージするのではなく



やりたいことに関連する人物が


ヒョイとあらわれる。







自分でも分からないところで



不思議なパワーが働いているような気がする。





良いこと尽くめだから



嬉しいのだが




なぜに

こうもイイことが起きるのか




怖くもなる。





極端に言えば、



死ぬ間際のような気もする。






桃源郷や


天国が




現世で垣間見ているような、



心地よくもあり、


怖くもあり。







縁を大事に、


出会った人、



起きた出来事を




素直に受け入れ


感謝することで




一気にこれらの現象が


訪れているのかもしれない。







ならば


みんなにこのことを伝えなければ。





すべての人が


そうなれば




きっと


妬みや、


恨み、



そして



苦しみからも解放されるのではないか。






まずは


自分に素直になることだ。