世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

朝日を浴びて

2019年11月02日 | 100の力
起きたら朝日を浴びる。


顔を空に向け、

手をいっぱいに広げる。


      (パジャマのままで)、


ドバドバとセロトニンが分泌する。

幸せホルモンと言われ、

身も心も明るく元気にする。


これで今日も一日

機嫌よく笑顔で過ごす。


さて、今日は、

朝一番のフライトで大阪へ。






いい年をして

2019年11月01日 | 100の力
日本人は今やほぼ2人に1人が50歳以上である。

つまり、

半分以上が「中高老年」なのだ。

それでいて、若者に元気がないと言われる。


これでは日本がいろいろな意味でどんどん低下するのは当たり前である。


ならば、

中高老年層が頑張らなければならない。




特に、アクティブシニアと言われる老年層に期待が集まる。。


元気な高齢者が増えている。

それに応じて

老人、年寄りという定義がどんどんあいまいになっていく。


制度上

65歳から74歳までを「前期高齢者」、

75歳から89歳までを「後期高齢者」、

90歳からは「超高齢者」とされてる。


ところが今、

75歳以上を高齢者と呼ぼうという動きがある。


確かに、70歳を超えても元気な人が多い。

若々しい。


そんな中、

他人の目を気にしてからか、

自から「いい年をして」とか

「年甲斐もなく」と自虐的に言う人がいる。


子供じみたこと、若者じみたことに対する戒めみたいなものだろうが、

良いではないか。


いい年をして、若々しい、

年甲斐もなく無邪気で幼稚でも。


何も自分からやりたいことに制限を設ける必要はない。

自ら可能性に蓋(ふた)をする必要はどこにもない。


いくつになってもやりたいことをやればいい。

新しいことに挑戦すればいい。


自ら老け込むことは無意味というより害悪である。

罪と言ってもいいかもしれない。


若さと元気は、資産なのだから。


好奇心や挑戦心、冒険心は若者だけの特権ではない。

いや、むしろ若者のほうがそういった気概を失いつつあるのではなかろうか。



クラーク博士は"Boys, be ambitious"といったが

その続きがある。

"like this old man"


つまり、

「若者よ、この老人(自分のこと)のように大志を抱け」と。


裏を返せば、

むしろold manこそambitiousがあり、

若者に足りないからこそこの言葉が出たのであろう。


そしてambitousについては以下のようなくだりがある。


 “Boys, be ambitious!

Be ambitious not for money or for selfish aggrandizement, not for that evanescent thing which men call fame.

Be ambitious for the attainment of all that a man ought to be.”

「青年よ大志をもて。

それは金銭や我欲のためにではなく,また人呼んで名声 という空しいもののためであってはならない。

人間として当然そなえていなければならぬあらゆることを成しとげるために大志をもて」


大志とは、

野望であり、目的であり、夢である。


いくつになっても夢多き人生

それだけで幸せである。


"Olds, be more ambitious"

「老人よ、さらなる大志を抱け!」


「年相応」という言葉は今や死語になっている。


夢を持っている限り、

人は老いない。