・私には同い年の双子の弟がいる。母親似で美形の彼は若い頃モデルをしていたが、借金で首が回らなくなり、私が何度も尻拭いしてきた。なぜうちの男連中はやたら首が回らなくなるのか、『エクソシスト』のお嬢さんを見習ってほしい。
・父の死後、弟ともいろいろあって音信不通&消息不明になっていた。これで弟も遺体で見つかったら“家族全員が遺体で発見された女”という中二が濡れる設定になってしまう・・・と思っていたら、なんと弟はユーチューバーになっていた。
・毒親育ちあるあるを述べると、毒親フレンドは「わかる!」と膝パーカッションしてくれる。
一方、毒親育ちじゃない人にはわかってもらえなくて、その「わかってもらえなさ」にも苦しむ。たとえば「親が死んでほっとした」と言うと、人でなしだと思われる。
親が死んで悲しめない子どもが一番可哀想なのに、それをわかってもらえない。私は親が死んで悲しめる人が本気で羨ましかった。
・私は「敵は己の罪悪感」を標語にして、毒親のもとから逃げ出した。逃げなければ、親か自分を殺してしまうと思ったから。
「たったひとつだけ策はある! とっておきのやつだ! 逃げるんだよォォォ――ッ」
・かつての私が酒やセックスに依存したのは、現実のつらさから逃避したかったからだ。また私は北半球一の寂しがりやで、いつも寂しかった。誰かに甘えたかったし、抱きしめてよしよしされたかった。でも誰もタダでそんなことをしてくれないので、セックスをエサに男を釣っていたのだ。セックスしている一瞬は寂しさやつらさを忘れられたけど、そんなのはシャブみたいなもので、リバウンドでさらに苦しむ羽目になる
・ピッチ期は漆黒の時代だったが、その結果セックスが得意科目になり、それをネタにコラムを書けたのでよしとしよう。黒歴史は恥だが役に立つ。
・28歳、セクハラ&パワハラのセパ両リーグな会社を辞めて無職になった。当時はうつ状態だったため、転職活動する元気もなかった。
・そんな20歳のある日、夫に出逢った。・・・
夫は上下迷彩服に身を包んだオタクで、昆虫と恐竜の話しかしなかった。そんな夫に対して恋愛感情は発動しなかったし、股間のセンサーも微動だにしなかったが、試しに付き合ってみた。夫のことを男としてじゃなく、人として好きになったから。また夫が私を女としてじゃなく、人として尊重してくれたから。
性欲薄夫の彼がセックスを求めてこないことにも安心した。また「世間に向かって唾を吐いているきみが好きだ」と言ってくれたのも嬉しかった。今まで男の前で素を出せなかったけど、夫の前ではそのままの自分でいられた。
・過去の私はメンタルが不安定な自分が大嫌いで「こんな自分を変えなきゃ幸せになれない」と思っていた。でも夫に「いろいろ大変なことがあったんだから、不安定になって当然だろう、べつに変わらなくていいんじゃないか」と言われて、「それでいいのだ」と肯定されたことで、メンタルが安定した。そんなアナルガバ太郎な伴侶を得たことで「ようやく生きていける」と自信がついた。そして結婚16年目の現在は「夫が死んでも大丈夫やな」と自信マンマン太郎になった。
もちろん夫が死んだら悲しいし、なるべく長生きしてほしい。
・生きやすくするのに効果的だったこと
①感情を吐き出す
②毒親フレンズを作る
③カウンセラーに相談する
「俺の中に眠る『もう一人の俺』という中二病のアレである」
⑤ジョースター療法
ジョナサンの父、ジョースター卿の「逆に考えるんだ」というアレである。
⑥寝起きほめほめ大作戦
これは田中圭一さんの著書『うつヌケ』で紹介されていた方法だ。
寝起きに自分を褒める言葉を唱えることで、肯定的自己暗示ができるらしい。
私も毎日続けるうちに「最高かも?」という気分になってきた。
⑦WHATとMUSTの整理術
毒親育ちは親から「~すべき/~すべきじゃない」とプレッシャーをかけられて育つ。そのためMUST(すべき/~すべきじゃない)を優先して、WHAT(自分は~したい/したくない)がわからなくなりがちだ。また自分がしたいことや好きなことをするのに罪悪感を抱くようになったりもする。
以上のライフハックを実践するうちに、私は「あれ? なんだか前よりも生きやすい」と気づいた。一朝一夕で変わるものじゃないので、焦らず気長に続けてほしい。
また私が生きやすくなった理由として、フェミニズムとの出会いがある。私はフェミニズムのおかげで、奪われた自尊心を取り戻すことができた。かつジェンダー視点から親の人生を理解できたことが、呪いの解放にもつながった。
・私は『置かれた場所で咲きなさい』という言葉が嫌いだ。置かれた場所がドブだと永遠にドブから抜け出せないし、自分に合った場所を見つけるチャンスも逃してしまう。
・友達作りの一番のコツは?というと「自分から誘うこと」である。
友だちが多い人は魅力的な人とか面白い人とか思われがちだが、実際は自分から誘う人なのだ。というのも、日本人は「誘われ待ち」の人が多いから。
・毒親育ちはイベントにつらい思い出が多い。運動会、音楽会、遠足、修学旅行の時に「親にあんなことされてイヤだったな・・・」と毒親アルバムが再生されてつらい。
・私は20代まで概ね死にたかったけど、今は生きていてよかったと思う。
・トラウマに負けないためには、トラウマを正しく知ることが大事だメーン!ということで、いろいろなトラウマの本を読んで研究してきた。その中で私のおすすすめは、精神科医の水島広子さんが書いた『対人関係療法でなおすトラウマ・PTSD』という本だ。
トラウマの回復には、支えてくれる味方がいたか? 一人で抱えなければならなかったか?がもっとも大きな影響を与えるそうだ。自分の信頼する人(友人、パートナー、家族など)がトラウマを理解してくれること。「つらい目に遭ったんだから、そういう感じ方をするのは当然だよ」と認めてくれること。それによって「自分の感じ方は正常なんだ」と安心して、じょじょに自身が回復していく。
・毒親育ちの良いところ
①人の痛みがわかるところ
②友達を大切にするところ
③サバイバル能力が高いところ
④前半はハードだけど、後半はハッピーなところ
⑤親が死んでも平気、むしろめちゃホリディなところ
⑥スペックじゃなく中身に注目するところ
⑦トラブルに強いところ
⑧家庭を大事にするところ
⑨形にこだわらないところ
⑩婚活に必死のパッチになれるところ
・過去の自分を振り返ると、浮き輪がない状態で生きていたと思う。ここで言う浮き輪とは「じぶんはこの世界に生きていていいんだ」「どんな自分でも生きていてOK牧場」という感覚である。親から無条件に愛される経験をした人は、この浮き輪を持っている。だから必死で泳がなくても浮いてられるし、荒波が襲ってきても溺れずにすむ。
・私は自分を好きになることよりも、好きになれる人やものを見つけることをおすすめしたい。
すると「こんな素敵な人が仲よくしてくれるなんて、私もそんなにダメじゃないかも」「この人といる時の自分はわりと好きかも」とじょじょに思えるようになってきた。
・やっぱり生身の人間との触れ合いや支え合い、お互いにケアし合うこと、他社から肯定されたり愛情をもらったりすることが、浮き輪の材料になるのだろう。
・SOGIとは性的指向(sexual orientation)と性自認(gender identify)であり、素地原とは性的指向や性自認に関する差別的言動、暴力、いじめなどを指す。
・アセクシャルとは、他者に対して恋愛感情や性的欲求を抱かないセクシャリティのこと。他者に対して性的欲求を抱かない人を「アセクシャル」、他者に対して恋愛感情を抱かない人を「アロマンティック」と呼ぶこともある。
・「私、失敗しないので」と思っているより、「私、めちゃ失敗するんで」と思っている方が楽だし、他人の失敗にも寛容になれる。私は他人のミスにイライラしなくなって、人間関係もうまくいくようになった。
・『つくろい東京ファンド』
・『なんて素敵にジャパネスク』氷室冴子著
感想;
いろいろ実践されて来られただけ、言葉に重みがあるように感じました。
同じような悩みを抱えている人に、実体験からの支援・応援のために執筆活動を続けられているようです。
田中圭さんの『うつヌケ』に紹介されているのは宮島先生の本に書いてあったのを実践されて、うつから回復されました。効果はあるのですね。
宮島先生は精神科医ですが、うつ病になり、お薬では良くならずにご自分の回復したことを本に書いておられます。
田中圭一さんは、宮島先生の本だけは読めたと書かれていました。