幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

「国家はなぜ衰退するのか 権力・繁栄・貧困の起源 上」ダロン・アセモグル&ジェイムズ・ロビンソン共著 ”政治の仕組みが国の経済的発展に大きく影響する”

2024-11-12 09:01:18 | 本の紹介
・ノガレスの街はフェンスで半分に分かたれている。その傍らに立ってきたに目をやると、サンラクルス郡に位置する町、アリゾナ州ノガレスが見える。町の平均世帯の年収は約三万ドル。ティーンエージャーのほとんどは学校に通っており、大半の大人は高校を卒業している。合衆国医療制度がいかに欠陥だらけかについては議論がかまぶすしいが、市民は比較的健康で、世界的な基準からしても平均寿命は長い。住民の多くは65歳を超えており、高齢者向け医療保険を利用している。それは政府が提供する、ほとんどの人が当然と思っている多くのサービスの一つにすぎない。そうしたサービスの例を挙げれば、電気、電話、下水道、公衆衛生、地域のほかの都市や合衆国各地とつながる道路網、そして、最後になったがとくに大切な方と秩序がある。アリゾナ州ノガレスの人々が日々の活動に取りかかる際、命や安全を心配することはないし、窃盗や没収、あるいは職場や家庭で自分たちの投資を危険に陥れかねないその他の事態を絶えず恐れているわけでもない。同じく重要なことだが、アリゾナ州の住民は当然のようにこう思っている。効率は悪いし時には汚職が起こるとはいえ、政府は自分たちの代理人である、と。住民は投票によって、市長、下院議員、上院議員の首をすげ替えられる。自分たちの国を率いる人物を決め大統領選挙で投票できる。彼らにとって、民主主義は第二の天性なのだ。
 ほんの数メートル離れた、フェンスの南側の生活は少しばかり違っている。ソノラ州ノガレスの住民は、メキシコとしては比較的裕福な地域で暮らしている。平均的世帯の収入はアリゾナ州ノガレスの約1/3、ソノラ州の大人のほとんどは高校を卒業しておらず、多くのティーンエージャーは学校に通っていない。母親は高い乳児死亡率を心配しなければならない。公衆衛生の劣悪な状況からして、ソノラ州ノガレスの住民が北の隣人ほど長生きしないことに驚きはない。彼らは多くの公共施設をを利用することもできない。フェンスの南側では、道路がひどく荒れている。
 法と秩序は乱れた状態にある。犯罪率は高く、事業を始めるのは危険な行為だ。強盗に遭う危険があるばかりではない。事業を始めるためだけに、あらゆる許可を得たり賄賂を贈ったりするのは、容易なことではないのだ。ソノラ州ノガレスは、メキシコのほかの地域と同じく制度的革命党、すなわちPRIの腐敗した支配の下に置かれていた。
 基本的に同じ都市を半分にした二つの町が、これほどまでに違うのはなぜだろうか。地理、気候、流行する病気の種類に違いはない。病原菌は何の制限もなく、合衆国とメキシコのあいだを行き来するからだ。もちろん、健康状態は大きく異なっている。だが、これは疾病環境とは関係ない。国境の南側の人々が劣った衛生状態のなかで暗し、適切な健康管理を受けていないところに、その理由があるのだ。

・植民地域社会の体制およびそうした社会の制度的遺産の長きにわたる影響が、合衆国とメキシコの、ひいては二つのノガレスの現代における違いを形づくっている。

・本書が示すのは、ある国が貧しいか裕福かを決めるのに重要な役割を果たすのは経済制度だが、国がどんな経済制度を持つかを決めるのは政治と政治制度だということだ。結局のところ、合衆国のすぐれた経済制度は、1619年以降に徐々に表れた政治制度からの帰結だった。世界的不平等に関するわれわれの理論が明らかにするのは、貧困や繁栄を引き起こす政治的・経済的制度がいかに相互作用するかであり、世界のさまざまな地域はいかにして最終的にそれほど異なる制度を持つに至ったのかということだ。

・こうした持続性とそれが生み出す力はまた、世界の不平等を解消したり、貧しい国を豊かにしたりするのが非常に難しい理由を説明する。二つのノガレスの違い、メキシコと合衆国の違いを産むカギは制度であるにもかかわらず、メキシコの制度を変えるコンセンサスが得られるかどうかはわからない。

・スペインが、時期を隔てつつも、蒸気動力、鉄道、電気、機械化、工場生産をとれたのに対し、ペルーはそうしなかった。あるいはせいぜい非常にゆっくりと不完全にそうしただけだった。この技術格差はこんにちにも続いており、より大規模に再生産されている。とりわけ情報義ユつに関連した新たなテクノロジーによって、多くの先進国および急速に発展している一部の国がさらなる成長を遂げているからだ。

・われわれはこう主張する。繁栄の達成はいくつかの基本的な政治問題の解決にかかっている、と。経済学が世界の不平等について納得のいく説明を考え出せなかった理由は、まさに、政治問題は解決済みだと想定してきたところにある。世界の不平等を説明するには、依然として経済学が必要である。各種の政策や社会の仕組みが経済的にインセンティヴや行動にどう影響するかを理解しるためだ。それにはまた政治学も必要なのである。

・わずか半世紀ほどを経た1990年代までに、韓国の成長と北朝鮮の停滞は、かつては一つだった国を二分した両国の間に10倍の経済的成功と対置すると、数百万人を飢餓に陥れた北朝鮮の経済的崩壊は際立っている。文化も、地理も、無知も、北朝鮮と韓国の分岐した進路を説明できない。答えを出すには制度に目を向けねばならないのである。

・韓国と北朝鮮、合衆国とラテンアメリカの著しい相違から、ある一般原則が明らかになる。包括的な経済制度は、経済活動、生産性の向上、経済の繁栄を促すのだ。安全な私有財産権が重要なのは、そうした権利を持つ人しか、投資しようとか生産性を向上させようなどとは思わないからだ。

・イングランドでは、1688年の絶対主義の敗北が、多元的な政治制度を生み出しただけでなく、それまでよりはるかに効率的な中央集権国家を発展させた。スペインでは、絶対主義が勝利したために正反対の展開となった。・・・
 スペインのこうした収奪的な政治・経済制度の行く末は予想がつく。17世紀、イングランドで商業が成長し、急速な工業化が進展しているときに、スペインは全国で経済が衰退していた。・・・スペイン国民はどんどん貧しくなっていった。スペインの収入が減る一方で、イングランドは豊かになった。

・1740年から1780年まで国を治めた皇姫マリア・テレジアは、制度の変更や改善を上奏されると、よく「すべてをそのままに」と返事をした。

・イノベーションへの反対は二つの形で現れた。第一に、フランツ一世は産業の発展に反対した。産業が活発になれば工場ができる。工場ができれば貧しい労働者が都市、とくに首都ウィーンに集中する。すると労働者が絶対主義への反対勢力を支持するおそれがある。彼の政策は、従来のエリートと政治経済を維持することが目的だった。農業中心の社会を継続したかったのだ。そのための最善の方法は、そもそも工場を建てないことだとフランツは考え、直接実行に移した。1802年は、ウィーンに工場を新たに新設することを禁じた。工業化の基盤となる新しい機械の導入と利用を促すのではなく、禁止したのだ。この禁止令は1811年まで存続した。
 第二にフランツは鉄道の敷設に反対した。鉄道は産業革命とともに出現した重要な新技術の一つだった。北部鉄道の建設計画を提示されたとき、彼はこう言った。「いかん、いかん、鉄道などごめんだ。革命がこの国に入り込んでくるかもしれないではないか」

・絶対主義や非中央集権国家など、さまざまな収奪的制度が産業の恩恵に与りそこねた一方で、産業革命という決定的な岐路は、世界のほかの地域に大きく異なる影響を及ぼした。合衆国やオーストラリアといった、すでに包括的な政治・経済制度に向けて動いていた社会や、フランスや日本といった、絶対主義が根幹から揺らいだ社会派、このような新しい経済の好機をつかみ、急速な経済成長のプロセスとスタートさせた。こうして、決定的な岐路と既存の制度の違いとの相互作用を通じて、制度的・経済的な乖離がさらに大きくなるというお定まりのパターンが19世紀に再び現れ、今度はさらに大きな衝撃を、またいっそう根源的な影響を、諸国の繁栄と貧困に対して与えたのである。

感想
 過去10年で韓国は年収が2倍、日本は4~6%低下です。
 日本より平均で40万円高いそうです。日本は20年以上停滞しているからです。

 これはまさに政治の問題だということが、この本を読み、さらになるほどと思いました。
 ジャパン アズ No.1と言われたのは、過去の遺跡になってしまっているようです。
 そして貧困に苦しむ日本人が増えています。
 今回の選挙で自公にお灸をすえることができたかもしれません。
自公が変わるかどうか、野党が日本の貧困を救えるか、成長を取り戻せるか。
先ずは国民は変化を求めたのです。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿