幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

私は声を上げ続ける “桶川ストーカー殺人事件” 遺族の25年~ ”埼玉県警は、京都府警の爪の垢を煎じて飲んでいただきたい”

2024-11-11 18:20:36 | 社会
「詩織は3度殺されました。命を奪われただけではなく、助けてもらえると信じた警察に裏切られ、事実と異なる心ない報道を続けるメディアに尊厳を踏みにじられたのです」

娘の命を奪われた父親の話に記者はことばを失った。
25年前の1999年、埼玉県桶川市で21歳の女子大学生が殺害された「桶川ストーカー殺人事件」。ストーカーの恐ろしさや対応の難しさを社会に突きつけ、当時警察がとった不適切な対応が大きな問題となった。

決して消えることのない警察への怒り、そして深い悲しみを抱える父親は、事件のあと各地で講演活動を続けてきた。なぜ、みずからの思いを伝え続けるのか、遺族が歩んだ25年の日々とその思いを取材した。
(さいたま放送局 記者 海老原悠太・江田剛章)

娘といまも、そしてずっと
事件が起きたのは、1999年10月26日の昼すぎだった。事件直後の現場埼玉県桶川市のJR桶川駅前の路上で、当時21歳の大学生・猪野詩織さんがストーカー被害のすえに、刃物で刺されて殺害された。猪野詩織さん3人きょうだいの長女だった詩織さん。将来は図書館司書になるのが夢だった。

詩織さんの遺骨は今も自宅にあり、父親の猪野憲一さんと母親の京子さんは毎日詩織さんと一緒に過ごしている。さみしい思いをさせたくないからだ。猪野憲一さん
「本当に明るく、優しい性格の子でした。いつでも笑顔を見ることができるよう写真をたくさん並べて、大好きだったひまわりも飾っています。同じ空気を吸って同じ空間で生活したい。私にとって詩織は今もずっとここにいるものだと思っています」
社会に衝撃与えた桶川ストーカー殺人事件
事件を起こしたのは、詩織さんの元交際相手らだった。別れ話がきっかけとなり、執ような嫌がらせが続いていた。ばらまかれた“中傷ビラ”自宅や憲一さんの勤務先の周辺などには、詩織さんを中傷するビラがばらまかれた。目を覆いたくなるほどの中傷のことばが並んでいた。

元交際相手らは、自宅にも電話をかけてきた。さらに、直接自宅に押しかけて来ることもあったという。嫌がらせの音声の録音
「あーん、てめぇ、一方的にこの野郎、何が好きじゃねーだ、バカやろう。てめぇが悪いんじゃねーかよ」不安を感じた憲一さんたちが助けを求めたのが警察だった。

しかし、警察は真剣に向き合ってはくれなかったという。猪野憲一さん
「『電話で脅しをかけられている、自宅の近くに来て変な嫌がらせもされている』と警察に伝えても、『そんなの男と女の痴話げんかだ。警察は関与しない。はい、帰って帰って』というふうに言われたこともありました。自分の家族が同じ状況に置かれたらどうなのか、よくも平気でそんなことが言えるなと思いました」刑事告訴をした家族に対して、警察は「個人のトラブルには介入できない」などとして告訴を取り下げるよう求めたり、うその書類を作ったりするなど、不適切な対応をしていた。記者が1年以上にわたって憲一さんのもとに通い続ける中で、事件の直後から現在に至るまでみずからの心情を書き記してきたメモを今回初めて見せてくれた。当時の心境を記したメモ「警察に対しては、心の何処かでいつか動いてくれるであろうと信じていた事を完全に裏切られた思いがしております」つづられていたのは、警察への怒りだった。

その後、警察の対応は大きな批判を浴び、埼玉県警のトップである本部長が謝罪する事態となった。

さらに、この事件が大きなきっかけとなって、翌年の2000年には、ストーカー規制法が成立した。憲一さんの講演(2015年)同じような事件を二度と繰り返してはならない。憲一さんは、事件の半年後から講演を続けてきた。

「声を上げてくれたことで、私は救われた」
ストーカー被害を受けた人から声をかけられることもあった。

一方で、その後もストーカー被害はなくならず、中には命が奪われてしまう事件もあった。活動を続ける中で、憲一さんはもどかしい思いを感じるようにもなっていた。猪野憲一さん
「法律は整備されたけれど、それでも同じような事件がなくならない現実を目の当たりにして改めて『亡くなった詩織のために何ができるか、同じような被害をなくすためにどうすべきなのか』考えるようになりました。当初は、誤った情報を正したいし、自分たちが直面した理不尽さをひとりでも多くの人に知ってほしい、関心も寄せてほしいという思いが原動力でしたが、それだけでは何か足りないのではないかと感じるようになっていました」
突然の警察からの電話
2017年のある日、そんな憲一さんのもとに突然、電話がかかってきた。

「京都府警の西田と申します」
警察官への講演依頼の電話だった。憲一さんは耳を疑った。京都府警の西田勝志さん(右)依頼をしたのは、京都府警の西田勝志さん。当時、ストーカー対策などを担当する部署で若手の捜査員たちをとりまとめる役割を担っていた。

京都府警察本部 西田勝志 警視
「組織の中でも講演を依頼することに『どうなんや?』という声もありましたが、ストーカー規制法ができるきっかけになった事件について知ることは対策の面で非常に重要ですし、対応にどんな問題があったのかも含めて若手の警察官に知ってもらいたいと感じていました」憲一さんは依頼を受けることにした。

ストーカー被害の防止には、警察の力が欠かせないという現実に直面していたからだった。

猪野憲一さん
「警察から講演の依頼が来るとは思っていなかったので、電話がかかってきた時、はじめは冗談かと思いました。警察はうそをついたじゃないかという思いは消えないけれども、実際に私たちを助けてくれるのは警察以外にはないわけですよね。だとすれば、しゃべれなくなってしまった、何も訴えることができなくなってしまった詩織に代わって警察官たちに事実を知らせることも、私の務めではないだろうかと感じました」

警察官への講演を重ねて
 警察学校での講演(10月)これをきっかけに憲一さんは各地の警察で講演するようになり、こうした活動はことしで8年目を迎えた。

10月には、京都府警の警察学校で講演した。
憲一さんは、若手警察官などを前に当時の警察の対応や自分の思いを包み隠さず伝えた。「犯人たちがすごい怒鳴り声で自宅に押しかけてきて大変だったことを警察に伝えたら、『あー、見張ってきまーす』といったきり帰ってこなかった。その10日後、詩織が胸をナイフで刺されて殺害されました。こんなことでいいんでしょうかね」およそ100人の警察官たちは真剣な表情で、憲一さんの話に耳を傾けていた。

あえて厳しい言葉で率直に語る憲一さん。そのうえで最後にこう語りかけた。「市民の安全を守ることができる唯一の組織は警察だけなのですから、みなさん、大いに実力を発揮することを期待しています」この日の帰り道、憲一さんは、西田さんからうれしい話を聞くことができた。

講演を聞いた警察学校の教官が「今から授業なので、猪野さんのメッセージをしっかりと学生に伝えます」と涙を流しながら話したというのだ。

自分のことばは確実に警察官の心に届いている。憲一さんは確かな手応えを感じるとともに、これからも声を上げ続けていくことを心に誓った。猪野憲一さん
「講演をきっかけに警察官たちが何かを感じ取ってくれるのはやっぱりうれしいですよ。私の話を聞いた警察官たちが、それぞれの最前線で、全力で頑張ってくれることこそ、一番必要なことですから。講演をする時にはいつも、私の中に詩織がいるような気がしていて、『お父さん頑張って、あともう少しだよ』と言ってくれているような気がします。ストーカー被害がなくなるその日まで、自分にできることを果たしていきたい」

事件が問いかけるもの
事件の翌年に施行されたストーカー規制法はその後、3度の改正を経て今に至る。

相手に拒まれても繰り返しメールを送ることが違反行為に追加され、被害者の自宅周辺をうろつく行為も取り締まりの対象となるなど、改正のたびに対策が強化されてきた。

また、警察もストーカー行為をして「禁止命令」を受けた加害者に積極的に連絡を取って必要に応じてカウンセリングを受けるよう促す取り組みを進めている。一方で、2023年までの統計を見ると、警察に寄せられたストーカーに関する相談や通報の件数はここ10年ほど全国で毎年2万件前後で推移し、高止まりの状況が続いている。

こうした状況を専門家はどう見ているのか。犯罪心理学が専門 東洋大学 桐生正幸教授
「法律や制度を運用していくことと合わせて、加害者になりうる人をいかに孤立させないようにしていくかを考える必要がある。交際相手以外に社会とのつながりを持たない人が関係が破綻して孤立したように感じ、より執着するケースもあり、被害を食い止めるには加害者側ができるだけ多くの人とのつながりを保つことが重要だ。

周囲の人たちの理解や手助けはもちろん、社会全体で改めて対策を考えるべきだ」ストーカーの被害者や加害者の支援を行うNPO法人「女性・人権支援センターステップ」栗原加代美理事長
「なぜストーカー行為をしてしまうのか理解させることができるプログラムを組んで加害者と時間をかけて向き合う必要がある。きちんとカウンセリングを受ければ、自分の誤った認識に気がつくことができる加害者もいる。加害者を確実に更生プログラムに結びつけるべきだ」一方、憲一さんはどのように考えているのか。猪野憲一さん
「詩織の事件をきっかけに、ストーカー被害について世の中の認識が大きく変わり、被害を防ぐためのさまざまな取り組みが行われるようになったので、さらに社会が一体となって被害者を守っていくことが必要です。そのうえで、大切な家族を失った当事者の立場で言えば、命を守る最後のとりでともいうべき警察の対応も重要だと感じます。警察は、いつでも相談できる窓口を大きく開いておくこと。そして、小さな悩みも確実にすくい上げること。そうすることで被害者に勇気を与えてほしいです」
メディアがあるべき姿とは
 記者に話をする憲一さんと妻・京子さん新人記者として埼玉に赴任してから3年間、私は警察担当として取材をしてきた。この事件が発生したとき私は2歳で、記者になるまで詳しくは知らなかったが、事件について書かれた本を読むうちに、何があったのか憲一さんに直接会って話を聞きたいと感じていた。

そのような中、去年取材する機会があり、「また来てね」という優しいことばに甘えて1年以上にわたって自宅に通い続けてきた。
憲一さんとの会話で最も強く印象に残っているのが、冒頭の「詩織は3度殺されました」ということばだ。事件を起こした元交際相手たちだけではなく、不誠実な対応を繰り返した警察、そしてメディアへの強い憤り。ふだんは穏やかで優しい憲一さんが口にした重いことばに、記者として向き合わなければならないと感じた。事件後しばらくの間、自宅には多くの報道関係者が詰めかけてひっきりなしにインターホンが鳴らされ、外出も困難になるなど、心が安まることはなかったという憲一さん。さらに、事実と異なる内容が週刊誌やワイドショーで流されて詩織さんの側に落ち度があったかのような情報が広まり、詩織さんの尊厳が大きく傷つけられたとも感じている。

一方で、当時そうした誤った情報を正したのもメディアだったという。猪野憲一さん
「警察の問題点を追及してストーカー対策の強化を社会に訴えかけたのもメディアでした。弱い立場にある人の声に耳を傾け、本当のことを確実に伝えてほしい」そして、憲一さんはこう続けた。猪野憲一さん
「被害者や家族の揺れ動く心情と状況をしっかり理解し、品格と節度をもって取材してください。自分や組織の手柄より被害者との信頼関係を作ることを一番と考えてください。『この記者に話してよかった』と、そう思われるような記者を目指してください」取材をさせてもらいながら、私は憲一さんから記者とはどうあるべきかを学び続けている。そして、その声を伝えつづけることがストーカーの被害がなくなることにつながるのではないかとも考えている。

記者として、事件の被害者や家族に寄り添えているか自問自答を繰り返すとともに、事実を見極めて報道していきたい。

(10月31日「おはよう日本」で放送)さいたま放送局記者
海老原悠太
2021年入局
さいたま局が初任地
4年目の9月から行政取材も担当さいたま放送局記者
江田剛章
2013年入局
入局以来、警察、国税担当が長いが、最近は地域の話題・文化、選挙と幅広く取材
あわせて読みたい

感想
 防げた悲劇でした。
担当者のレベルが低すぎたのか、それとも埼玉県警は同じレベルなのか?

 埼玉県警は、しっかりと反省して同じような悲劇が起きないようにしていただきたいです。
 埼玉県に住んでいますが、きちんと反省して同じ問題を起きないようにしていただきたいです。それでなければ税金払いたくないです。

 埼玉県警が特に多いのか?
それにしても、犯罪を取り締まる警察が、これでは情けないです。
税金で、自分たちの生活が守られていることに対して、県民への感謝と県民のために、お仕事をしていただきたいです。

1990年代
  • 1999年10月26日 - JR桶川駅前で、女子大学生(21歳)が、ストーカー被害にあった末に殺害された。被害者は身の危険を感じ、上尾警察署に何度もストーカー被害を訴えていたにもかかわらず、上尾警察署は真剣に取り合わず、捜査をしなかった。県警本部長ら12人が懲戒処分され、県警の捜査怠慢は国会でも問題となった。また、この事件を契機にストーカー行為等の規制等に関する法律が制定された[2]。詳細は「桶川ストーカー殺人事件」を参照。
2010年代
  • 2015年9月3日 - 浦和警察署地域課の男性巡査部長(31歳)が、朝霞市の男性(58歳)宅に侵入し、首をロープで絞めて殺害した。また、金庫内にあった現金100万円を盗んだ。取り調べに対し、男性巡査部長は「金銭目的で男性宅に侵入した」という趣旨の供述。13日、県警は殺人と住居侵入の疑いで、男性巡査部長をさいたま地方検察庁に送致した。男性巡査部長は、妻子がいるにもかかわらず、捜査過程で知り合った不倫相手と二重生活しており、経済的に困窮していた。支払期限の迫った借金もあったが、事件後に返済し、不倫相手と旅行もしていた。殺害された男性宅には、2014年10月、男性の父親が自宅で亡くなったため、同僚と遺体の検視で訪れており、その時に金庫の場所や施錠状況を把握していた。県警本部は12日午前4時頃に逮捕会見を行う予定だったが、県警本部長を出席させず、写真やテレビカメラの撮影を冒頭だけに限ったことで報道陣が猛反発。午前5時45分に捜査第一課長による会見がようやく始まった。「本部長は質問を受け付けない」という条件で県警本部長ら県警幹部が会見したのは午前11時40分のことだった。「被疑者、ご遺族をはじめ、関係者に深くおわびする」と発言。「被害者」を「被疑者」と言い間違えた[3]。2018年10月2日、強盗殺人などの罪に問われた元巡査部長の上告を最高裁判所第二小法廷が棄却したことで、無期懲役の刑が確定した。詳細は「埼玉県警察浦和警察署警察官による資産家強盗殺人事件」[4]。
  • 2015年9月13日 - 熊谷市内で9月14日、16日に小学生女児2人を含む一般市民の男女6名が殺害された「熊谷連続殺人事件」のペルー人の犯人が熊谷警察署に案内され、署員が対応していた。しかし犯人が喫煙休憩を求め、署員1名が付き添い玄関外の喫煙所で一服し、庁舎に戻ることを促されたが現金約3,400円やパスポート、携帯電話が入った荷物を署内に置いたまま何も持たずに署員を振り切って警察署前の国道17号(中山道)を赤信号を無視して横断し、向かいのファミレスに逃げ込み、署員1人が追い掛けたが見失った。その翌日、翌々日に逃走していた犯人によって市民が殺害された。県警は不審者情報を自治体や教育機関に提供していなかった。詳細は「熊谷連続殺人事件」
  • 2015年9月 - 交通部交通捜査課の男性警部補(62歳)が、2009年9月熊谷市で小学生男児(当時10歳)がひき逃げされ死亡した事件に関連した証拠品の腕時計を紛失したことを隠蔽するため、証拠品に関する書類計2通を熊谷警察署のシュレッダーで細断し、破棄した上うその書類を作成していた。証拠品の紛失は2019年1月に発覚。県警は定年退職していた元男性警部補を公文書毀棄と虚偽有印公文書作成・同行使容疑で書類送検した。男性元警部補は不起訴処分となったが地検はその理由を明らかにしていない[5]。
  • 2018年7月13日 - 本庄警察署地域課の男性巡査(54歳)が2月22日午前11時ごろ、熊谷市内のコンビニ駐車場で、酒に酔った状態で軽乗用車を運転して駐車中の乗用車に接触、乗っていた男性(50代)と女性(40代)に頸椎捻挫の怪我を負わせたとして、7月13日、県警は男性巡査を道路交通法違反(酒酔い・酒気帯び運転)と自動車の運転により人を死傷させる行為等の処罰に関する法律違反(過失傷害)の疑いで書類送検し、停職6ヵ月の懲戒処分にした。男性巡査は同日、依願退職[6]。
  • 2018年10月19日 - 草加警察署刑事課の男性巡査(22歳)が9月27日、草加警察署内で、病死した父親の届け出を行った女性(48歳)に「死体検案書のほかに82万円かかります」などと嘘をついて現金を詐取した。10月18日にも「200万円足りません」などと嘘をついて現金をだまし取ろうとしたが、不審に思った女性が草加警察署に問い合わせて事件が発覚した。県警捜査2課などは10月19日、詐欺と詐欺未遂の疑いで男性巡査を逮捕。男性巡査にはスマートフォンゲームの課金などで数十万円の借金があった[7]。
  • 2019年3月 - 川越警察署刑事課強行犯係の男性巡査(25歳)が、病死した川越市の無職男性(67歳)の遺族で北海道に住む女性(69歳)に対し、「部屋の清掃でお金がかかる」「消防車やレッカー車が来たので40~50万円かかる」「私が預かってもいい」などとうその電話をかけ、現金を詐取しようとした。不審に思った女性が葬儀会社に相談し、葬儀会社から川越警察署に連絡があり、犯行が発覚した。刑事部捜査第二課と川越署は4月4日、男性巡査を詐欺未遂の疑いで逮捕した[8][9]。
  • 2019年6月26日 - 浦和東警察署地域課の男性巡査(32歳)が、さいたま市内の路上で、徒歩で帰宅途中の女性(10代後半)に声を掛け、付近の駐車場に引き込み身体を触るなどのわいせつな行為をした。県警は8月15日、強制わいせつ容疑で男性巡査を逮捕。男性巡査は容疑を認め、「好みの女性だったのでムラムラして身体を触った」と供述[10]。
  • 2019年11月 - 川口市立の中学校でいじめを受け不登校になった元男子生徒(17歳)が2016年10月、被害届について武南警察署に相談した際、署員が経緯を内部文書にまとめたが、「元男子生徒が先に加害生徒を蹴った」と事実に反する内容を書いた。作成された文書は、いじめを巡る訴訟に証拠として提出されていたことが県警と関係者への取材で明らかになった。県警は内容を訂正して謝罪するとしている[11]。
2020年代
  • 2021年4月4日午後1時頃、羽生警察署須影駐在所勤務の巡査部長(当時34歳)が、同県羽生市内の商業施設駐車場に止めた車の中で20代女性の体を触ろうとした疑いで逮捕された。勤務していた須影駐在所の業務でこの女性に応対したことがあり、この際に聞き取った女性の携帯電話番号に連絡して呼び出した。「性欲を満たすためにやった。被害者に申し訳ない」と話しているという。同年5月21日、埼玉県警察は巡査部長を懲戒免職したと発表。(埼玉新聞記事 2021年4月9日)
  • 2023年6月16日 - 川口警察署の留置場に勾留されていた東京都の40代男性が、留置場の食事が原因で脚気になったなどとして、県に損害賠償を求めた訴訟で、さいたま地方裁判所は、食事に健康上必要な量のビタミンB1が含まれていなかったことを発病の原因と認め、埼玉県に55万円の支払いを命じた。男性は2017年11月に詐欺容疑で逮捕され、川口署の留置場に勾留された。2018年7月の健康診断で手足のしびれを訴え、8月に病院で脚気と診断された。一方、県警は2019年11月、同署の留置場で20~30代の男性4人が栄養不足による脚気と診断されたと公表している[12]。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿