幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

泥鰌掬い 笑われて何ぼ

2013-10-27 00:55:14 | ブログ

泥鰌掬いを見られたことがありますか?

泥鰌掬いは安来節と一緒に、泥鰌を取るコミカルな踊りです。

泥鰌掬いを習ったのは、友達がかっぽれを始めたと聞いたからです。ボランティアにはいろいろありますが、何か芸ができると、施設の訪問などでも披露することができます。

泥鰌掬いは歩きが7割と言われています。この歩きがなかなか、難しいです。それと顔の表情も。皆さんに楽しんで笑っていただけるかが上手い下手の差になります。

泥鰌掬いを6年ほど習いました。習い事はマンネリ化を防ぐ意味でレベルがあります。3級、2級、1級、初段、二段、三段、準師範、師範、大師範とあります。三段まで取得して止めました。

老人保健施設に友達のかっぽれとペアで泥鰌掬いで慰問をしたりしました。芸があると楽しんで貰えることもできるのだと実感しました。

工場から本社への転勤時の挨拶は全体研修で行います。そこで挨拶代わりに泥鰌掬いを披露したことがあります。それまでは、そのようなことをする人もなかったので皆さん驚かれました。私の番になると、(事前に頼んでいた)安来節が聞こえてきて、一番後ろから前へ泥鰌掬いの装束で踊りながら前にでて披露しました。そこの工場は1年しかいませんでしたが、泥鰌掬いを踊った人ということで皆さんに覚えてもらいました。それ以来、その工場を訪問しても皆さんとのコミュニケーションがしやすくなりました。まさに芸は身を助けるでした。

泥鰌掬いを習って良かったことがあります。それまでは失敗などして人に笑われることは恥ずかしい、よくないと思っていました。ところが泥鰌掬いは笑われて初めて芸になります。大いに笑ってもらっていいわけです。笑うということはその人に楽しんで貰ったことにもなります。人をその時だけでも幸せな気持ちにさせたことになります。私自身も何か失敗して人が笑うと幸せな気持ちになるように変わりました。

笑われるということは周りを幸せにしたことになる。


うたた寝の気持ち良さ

2013-10-26 01:45:19 | ブログ

うたた寝してしまいました。

食後、ソファーで横になると直ぐに寝てしまいます。お風呂待っているほんの少しの間に寝てしまいます。きっと疲れているのだと思いますが。

電車などでたまに座れると、次の駅で降りないと思っていたら、ドアが閉まる音で目が覚め、ちょうど降りる駅を出たことがあります。不思議なことに降りる駅で目が覚めることが多いです。きっと疲れていて、気持ち良いから寝てしまうのだと思います。今日、NHK放送大学の自習室でいびきをかいて寝ている人がいました。さすがに、近くの人が起こされましたが。気持ち良かったのでしょう。

一方、明日は大切な仕事があるから早く寝ないといけないと思うと、不思議に目が覚めてなかなか寝付けないことがあります。寝ないと寝ないと思いが強くなるほど目が覚めてきます。

ある講演会で精神科医の先生が、「寝られない時は、無理に寝ないといけないと思うのではなく、身体を横たえているだけでかなり身体が休まるからそれだけでも充分と思うことです。そう思っていると知らない間に寝ていることがあります。寝られないからと起きて何かするとますます寝られなくなります」とお話しされていました。実際、そう思っていると知らない内に寝ていることがあります。それまでは朝まで寝られないこともありましたが。実際、一晩くらい寝なくても翌日眠いだけですから。

寝られない時は、寝ようと思わずに楽しかったことを思い出すようにしています。寝られないという現状は変わりません。だったら、その時間を楽しく過ごした方が幸せだと思います。

「明日の心配は今日しなくてよい。明日の心配は明日にすればよい。今日は今日だけのことで充分だ」との言葉をどこかで聞いたことがあります。

掴もうとすると掴めずに、逃げようと思うと逃げられない。こころはなかなか思うようになりません。簡単には思うようにならないからこそ、幸せになれる方法を哲学、宗教、心理学が追求しているのだと思います。その追求を自分もしてみたいと思っています。うたた寝も幸せの一つと思うようにしています。


プラスα長生きする

2013-10-25 01:16:33 | ブログ

朝、駅のトイレに行きました。大に数人が並んでいました。

その光景を見て昔の自分を思い出しました。22年前に胃がんで胃を2/3切除しました。胃の切除により排便機能が上手くできなくなりました。朝少ししか食べてないのに、通勤途中で猛烈な排便要求が来ます。途中の駅で降りてトイレに行くと行列です。どこの駅も行列ができていました。この行列を待っているならもう10~20分我慢して会社までたどり着いた方がよいと思うようになりました。

排便要求を我慢することの辛さは厳しいものがあります。何度ここで出してしまおうと思ったことがあるか。でも出したら大変なことになると思い我慢しました。いろいろ工夫した結果、座っているときは排便要求を少し抑えられていることに気が付きました。電車では座れませんので、そんな時は少しルートを変えてバスを使いました。その結果、編み出したのは手でズボンの上から肛門を押さえるという方法です。物理的に出るのを止める方法です。これは座るより効果がありました。

通勤途中に何度も猛烈な排便要求があり、どうしたら解消するか工夫しました。朝食べなければよいのですが、朝は食べないといけないとの思いがあり、少しでも食べていました。ある時、朝バナナだけを食べた時は、排便要求がくることがないことを体験しました。それから朝はバナナです。

胃を切除するとさまざまな不便さがあります。胃の周りの神経も切断しているので満腹がわかりません。ちょっと食べ過ぎると直ぐに下痢です。下痢をするとその後は便秘になりやすいです。下痢と便秘を繰り返すと痔になります。そしてようやくたどり着いたのが、ヨーグルトでした。毎日ヨーグルトを摂ると整腸作用がよくなるようです。ようやく下痢から解放されました。わからなかった満腹感も食べ過ぎ下痢の体験から、なんとなくわかってきました。

胃を切除してそれまで何でもなかったことがトラブルになりました。牛乳がダメになりました。バターを多くとると直ぐに下痢です。ショートケーキ1個は大丈夫ですが、2個食べるとトイレです。それと時たまお菓子を食べた時に、とってもだるくなることを何度か経験しました。あんこのお菓子の時にそうなることに気が付きました。だるくなった時の解決方法はお茶をたくさん飲むことでした。そうしながら、胃が2/3ない自分の身体の対処方法を一つひとつ学んで行きました。

胃を切除した患者さんの会にαクラブがあります。

これは、胃を切除すると何かと不便だけど、胃を切除せずに従来のままの生活を送った時の人生の長さよりも、食事や睡眠などに気を付けることで、プラスαだけ長生きしようを目標に名前がついています。

製薬企業に勤めていましたが、薬の前に食事、睡眠だと思います。食事、睡眠をきちんとしていても体調が悪い時に薬の力を借りる。

快眠 快食 快便の3つが健康には大切だとつくづく思います。

食事時間も遅くても9時までには摂るようにしました。それまでは残業で遅くなり11時過ぎに摂ることも多かったです。そして、野菜・果汁を500mLほぼ毎日摂るようにしました。睡眠もできるだけ6時間を確保するようにしました。歯は第二の胃袋と言います。胃の機能が低下した分、咀嚼回数を増やすようにしました。胃の調子が悪い時は咀嚼を増やすと胃の負担が少ないです。

 胃を切除する前は健康診断でいくつか引っかかっていましたが、胃を切除して3つの快に心を配るようになってから、引っかからなくなりました。

 胃がんになった。胃を2/3切除した。この事実は受け入れるしかありません。何で胃がんに?と思っても状況は変わりません。今どうするかだと思います。胃がんになってもいのちを長らえていることに感謝してできることをしていくことだと思っています。


(身体とこころの)居場所確保

2013-10-23 14:15:32 | ブログ

9月末で退職しました。これまで学んだことをHPに掲載しています。 

HPの作成やその他の作業は当初自宅で行うつもりでした。ところが、妻が「毎日家にいないでちょうだい」と言われてしまいました。確かに、気持ちはわかります。それまで夕食だけでよかった(朝はバナナ1本、会社で野菜・果汁を500mLとお昼にヨーグルト)のが、お昼も食事を作るとなると大変だからです。

しかし、はたと困りました。居場所がないのです。それまで会社勤めでしたので、職場という居場所がありました。それが無くなったのです。会社を辞めることは、この居場所の喪失でもあったのです。それと名刺も無くなりました。 

どこで作業をするか、悩みました。思いついたのは、公的な図書館、大学の図書館でした。 

近くの公的な図書館は車で行かないといけない、一日いるような図書館でないとのことで諦めました。大学の図書館はちょっと駅から離れたところにあります。 

そこで、気が付いたのはNHK放送大学の自習センターです。幸い近くの駅から徒歩3分くらいにありました。そこでNHK放送大学院の選科コースを申込みました。見学した時に、遠慮がちに職員の方に一日自習センターにいらっしゃる方はおられますか?何人かいるとのこと。 

自宅から二駅、駅から歩いて3分、雨の日もほとんど濡れずに行けます。いつも空いていて毎日同じ机に座ることができます。ただ、机のところで飲めないこと、電話できません。会社では当たり前だったことが実はありがたいことだったのだと今、実感しています。一つ問題は、無線通信が時々入らなくなることです。せっかく作成した文書が通信エラーで消えてしまいます。今は、別途保管するようにしていますが。 

居場所があるということはありがたいことですね。 

アドラー(個人)心理学では、この居場所があることを大切にしています。居場所があると出て行きやすくなります。フーテンの寅さんが日本全国を回ったのも、柴又に居場所があったからだと思います。居場所があるとの安心感があるからこそ離れることができます。子供が親から愛されているとの安心感(こころの居場所)があると親から離れて行動すると言います。

 アドラー(個人)心理学

 1.自分をありのまま受け入れる。自分を愛することができている。自分が嫌いだととても苦しいです。

 2.相手もそのまま受け入れる。相手は相手の気持ちで行動ですから、相手を変えて自分の期待通りに動いてくれるように思わない。

 3.自分が何かの役に立っているとの思いができる。人は誰かの役に立っているとの自覚を持てる時に深い幸せを感じると言われています。

 

居場所があるということの幸せ、身体の居場所とこころの居場所があると良いですね。

人とのかかわりで生まれてくるのでしょう。私をわかってくれている人が、私を無条件(注)に愛してくれる人がいると思うことができた時に、自分の中にこころの居場所ができるのだと思います。

注)良い子の自分だけを愛してくれていると思うと、子供は良い子であろうとします。ところがいずれそれができなくなり、苦しむことがあります。良い子の自分も悪い子の自分も全て、無条件で自分を親が愛してくれていると自覚できると子供は自由に行動できるようになります。

 

 

 


全てに感謝し、いつも喜び、絶えず祈る

2013-10-23 03:54:58 | ブログ

昨日はどんな一日だったでしょうか?<o:p></o:p>

よくなかった。普通だった。よかった。<o:p></o:p>

どちらにせよ、今これを読まれている方は生きていらっしゃいます。<o:p></o:p>

生きて今日を迎えています。このことは、考えてみるとありがたいことなのだと思います。<o:p></o:p>

 

仏教のことばに”唯識”があります。<o:p></o:p>

唯識<o:p></o:p>

1)全てのものがどう見えるかはただ心のあり方次第<o:p></o:p>

2)全ての存在はただ心が創りだしたもの<o:p></o:p>

人生全てこのように思います。<o:p></o:p>

今の自分の生活に対する感情・気持ちは全て自分の認識、創造のように思います。<o:p></o:p>

様々な人生の本を読んで見ても、これに行き着くあるいは言葉を変えて説明しているように思います。<o:p></o:p>

JALをV字回復させた稲盛和夫さんが話題になっています。稲盛和夫著「生き方」には、<o:p></o:p>

  成果 = 考え方 × 熱意 × 能力  <o:p></o:p>

   特に考え方が大切だと言われています。<o:p></o:p>

   熱意とは、そのことに大切な時間とお金をどれだけかけるか。<o:p></o:p>

   能力の差より、考え方と熱意の方が大きいと言われています。<o:p></o:p>

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考え方を変えると見えている世界も変わってくるのだと思います。今の状況は変わりません。しかし、心の持ち方で見えている世界が変われば、きっと行動も変わり、そして今の状況も必ず変わって行くと思います。

今あるものに感謝する心で見るときっと変わると思います。<o:p></o:p>

レーナ・マリアさんの言葉 注)<o:p></o:p>

全てに感謝し、いつも喜び、絶えず祈る

・ここで言う全てとは、欲しくない神様からのプレゼントも含めてです。 そのプレゼントはきっと何か意味がある。神様が考えてくださったプレゼントだと信じると、きっと意味が生まれるのだと思います。

・喜んでいると、身体によいホルモンが出ているそうです。そうすると行動にも繋げられると思います。

・祈るとはそのことを考え続ける。考え続けると前に気が付かなかった解決方法も見つかるか  もしれません。

注) 聖書のテサロニケ信徒への手紙一 5:16-17<o:p></o:p>

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。<o:p></o:p>

  これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなた方に望んでおられることです。」<o:p></o:p>

パウロが、ギリシャのテサロニケのクリスチャンに向けて書かれた手紙の中にある言葉。<o:p></o:p>

 

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