幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

販売価格「1枚1万円」から…マイナカード「偽造工場」摘発、河野大臣は「現場がしっかりやれば防げた」の “意識低い” 系発言 ”現場がしっかりしていいと防げないレベル”

2024-05-16 19:57:57 | 社会
 5月15日、警視庁池袋署は、千葉県船橋市のアパートの一室でマイナンバーカードなどを偽造したとして、有印公文書偽造などの疑いで、いずれも中国籍で住居不定の彭楽楽(ポンローロー)・陸成龍(ルーチョンロン)の両容疑者を逮捕した。同日、東京新聞が報じた。 
  報道によると、警視庁は2022年から千葉、東京、大阪で中国人グループの「偽造工場」の摘発を進めており、今回の拠点を4月24日に家宅捜索。  
 偽造されたマイナカード7枚と在留カード約100枚、材料のカード約1万2000枚、プリンター、パソコンなどを押収。捜査関係者によると、偽造マイナカードの販売額は1~2万円ほど。ラミネートにホログラムが施される在留カードに比べ、「マイナカードはホログラムがないから楽だ」と話すメンバーもいたという。  

 マイナカードの偽造をめぐっては、大阪府八尾市の松田のりゆき市議が、本誌の取材に総額350万円の詐欺被害を訴えるなど、詐欺事件が相次いでいる。松田市議は、偽造したマイナカードを身分証として使われ、スマートフォンを勝手に機種変された。その後、携帯を止めているにもかかわらず、ロレックスなどを買われたと証言している。  
 河野太郎デジタル大臣は、5月10日、記者会見で詐欺事件が相次いでいることについて「右上のマイナちゃん(うさぎのキャラクター)がパールインキで印刷されており、偽物は色が変わらないからすぐわかる」とし、「目視でも、ていねいにカードをチェックすれば偽造は見破れる」と強調。偽造かどうかを見分けるチェックポイントを記した文書を、事業者向けに配布する方針を示した。  
 さらに14日の会見でも、「現場でオペレーションがしっかりしていれば、防げたものだと思う」とコメント。そのうえで、「厳格な本人確認をするため、カード読み取りアプリの開発の必要性について検討をおこなっている」と述べた。  
 だが、本人確認時のICチップ読み取りの義務化については未定で、今後、関係省庁と議論していくという。  

 偽造マイナカードによる詐欺被害が相次ぐなか、河野氏が「現場のオペレーションがしっかりしていれば」と語ったことに、「X」では批判的な声が殺到している。 
《マイナ偽造被害をオペレーションのせいにする。責任転嫁の河野太郎》 
《マイナンバーカードを身分証明書にするの止めるべきだな。河野太郎のいい加減なコメント見たけど、マイナちゃんの印刷の色なんて中国偽造業者からしたら一瞬で真似できるだろって話》 
《保険証や運転免許証、銀行口座などを紐づけを計画しているくせに本体のマイナカードが簡単に偽造できるのを重視しないのか。マイナカード自体をいったん止めないのか》  
 マイナンバーには、行政手続きを簡略化する機能もあるが、5月15日、会計検査院が公表した調査では、1258機能のうち自治体が使ったのは年金申請などわずか33機能(3%)。税金減免など485機能(39%)はまったく使われていなかった。  
 また、マイナカードに健康保険証の機能を持たせた「マイナ保険証」の4月の利用率も6.56%と低迷している。まったく便利になっていないばかりか、誰でも詐欺にあいかねないマイナンバー。河野氏のように「現場の意識が低い」と責任転嫁するような発言は、逆効果ではないか。

感想
 現場がしっかりやらないと防げない仕組み自体が問題です。
現場がしっかりやらないのではなく、
河野大臣と関係者がしっかりしていないからトラブっているのではないでしょうか?

「ナラティヴ・セラピー・ワークショップ」国重浩一著 ”抱えている問題を外在化(その人から離す)する会話(言葉)”

2024-05-16 10:37:10 | 本の紹介
・ナラティヴ・セラピーでは、その人をめぐる語りが豊かになるということがポイントになります。いくらつらいことであったとしても、通説通りの解釈に当てはめたような語りではなく、その人が今まで生きてきた人生の、いろいろな側面に関連づけて話すことができたら、豊かに語るということにつながるのです。

・何より興味深いことは、ニュージーランドには<不登校問題>がないんです。なぜかというと、子供が心理的要因で学校にいけない、とは見ないから、不登校問題ではないのです。学校に行かないっていうこと自体は、共通の現象としてありますが。それに対応方法は、親に対する支援が必要だということになります。または、食事を満足に取れないのであれば、学校で朝食を出そうかと。

・相手に文脈を提供する
 たとえば「自分はうつです」という表現を聞いたとしましょう。そのときに「何があなたをそういう状態にしているのでしょう?」と外的な要因を訪ねる質問をすると、そのように考えることができるようになるのです。そして、「実は・・・うちの夫が・・・」「実は、隣の人が・・・」という側面を表現する機会を持てるようになります。
 これは、相手にそのように語れる文脈を提供している、ということなのです。つまり、ここで考えるべきことは、相手にどういう文脈で語ってほしいか、どういう立場から語ってほしいのか、ということです。

・うつ病が人生に入り込んでいるとすれば、次のような質問を考えるkとおができます。
 ①うつがあるにもかかわらず、どうやって日々の生活を、なんとかやりくりしているんですか?
 ②うつがあるにもかかわらず、どうやって会社に行っているんですか?
 ③どうやって自分を奮い立たせているのですか?
 ④うつに抵抗するために、自分のためになることはどのようなことがあるのか教えてもらえないでしょうか?

・四苦八苦苦しみながらのことかもしれません。そこのところをゆっくりと語ってもらいたいのです。
 ①どんなふうにやってる?
 ②それをするために誰が協力してくれているんですか?
 ③それをどうやって身に着けたんですか?
 ④それをすることによってこの問題をどのようにできているのでしょうか?
 ⑤大きくならないようにしてますけど、まったくなくならないにしても、どの範囲までその目を逃れて食べるようにしているのですか?

・しっかりと問題からの影響を聞いたあとで、タイミングを見計らって、次のように問いかけることができるでしょう。
 ①そんなに今までつらい状況だったにもかかわらず、どうやって今までやりくりしてきたんですか?
 ②どうやって乗り越えてきたんですか?
 このような質問は、話のモードを大きく変えることになります。

・ナラティヴ・セラピーの語りとは
 その問題がその人に影響を及ぼしていない領域(ユニークな結果)を手がかりに、その領域はどのようなものか(ユニークな説明)、その領域はどのような意味を持つのか(ユニークな再描写)を求めていく。そしてその領域を維持、拡大することによってどのような可能性があるのか(ユニークな可能性)を探る。そしてそのことに対して、他の人の貢献を求めていく(ユニークな流布)ことである。

・「うつ」を外在化することができます。それは、あたかも「うつ」を擬人化するようなことになるかと思います。
 その時の表現をいくつかあげてみます。
 「うつ」
  ①は誰の力を借りているのですか?
  ②は何を味方につけているのかわかりますか?
  ③が嫌がることを一緒に考えてみませんか?
  ④を弱らせるためには何ができそうですか?

・別の例で、外在化する質問の例をあげてみましょう。自傷行為である「リスカ」(リストカット)です。若い子が自分の手首などをカミソリで切っているのを見て、なんでそんなことをしているのか、という話をするのではなく、次のように問いかけることもできるでしょう。
 「リスカ」
 ①と今後どのようにつきあっていきたいのでしょうか?
 ②がいろいろなことを要求してきたときに、どのようにしてこおわることができるのでしょうか?
 ③との適切な距離感というものはあるのでしょうか?
 ④がもっと切れと言ってきたときに、どんなふうに抵抗しているのでしょうか?

・自閉症の診断を受けて、博士号まで取得した人がいます。テンブル・グランディンという女性です。この人は、牛の屠殺場の設計をしているのです。なぜならば、牛があまりにも惨めに、恐怖におののいて殺されているのを見かねて、安らかに死ねるような設計をしたのです。

・歴史的に見れば、今私たちが当然としていることも、当たり前ではなかったことがいくつも見つかります。・・・
 ここで重要な点は、どんな歴史的な変遷を経ようとも、一度当然のこととなってしまったら、私たちは何も感じることができないということです。

・「今すぐやめた方がいい、不幸になると科学的に証明されている5つの行動」
 ①やたらとSNSを見る
 ②屋内に1日中いる
 ③物質主義になる
 ④いつも忙しくする
 ⑤創造性を押し殺す

①結婚式にお金をかけ過ぎない ...
②オンラインで相手を見つける ...
③ただし、ソーシャルメディアに依存しない ...
④映画をいっしょに見る ...
⑤パートナーのとりとめのない話に付き合う ...
⑥ケンカのときに「私たち」という言葉を使う ...
⑦パートナーを理想化する ...
⑧2人が一緒に楽しめることをする

・マイケル・ホワイトとディヴィッド・エプストンの説明を少し見てみましょう。
 「外在化」とは、人々にとって耐えがたい問題を客観化ないし人格化するよう人々を励ます一つの治療的接近法である。この過程において、問題は分離した単位となり、問題とみなされていた人や人間関係の外側に位置することとなる。人々や人間関係の比較的固定した特徴とされた問題はもちろん、生来のものと考えられていた問題も、以前ほど固定的ではなくなり、限定的な意味を減らしていく。
 このような外在化において、次のように人々の役に立つことがあると、マイケル・ホワイトは述べています。
 ①誰が問題に対して責任があるのかという論争も含め、人々の間の非生産的な葛藤を減らす。 
 ②問題解決の試みにもかかわらず存続する問題のために、多くの人々が持つに至った挫折感を帳消しにする。
 ③人々が互いに協力し、問題に対して一致団結して立ち向かい、そして人生や人間関係に対する問題の影響から身を引く方法の基礎を築く。
 ④人々が、問題やその影響から彼らの人生と人間関係を取り戻す新しい可能性を開く。
 ⑤「恐ろしくシリアスな」問題に対する軽やかでより有効な、さほど緊張しなくて済むアプローチの自由を与える。
 ⑥問題についてのモノローグよりもダイアローグを提供する。 

・外在化することの目的を引用して、振り返っておきます。
 外在化の目的は、人々が自分と問題は同じではないということを理解できるようにすることです。
 ①一つの方法は、人々が自分たちを記述するのに使っている形容詞(「私はうつっぽいんです」を名詞に変えて、この<うつ>は、あなたにどのくらいの期間影響を及ぼしているのですか?」とか(<うつ>は、あなた自身について何と言っているのでしょうか?」)と質問することができます。
 ②もう一つの外来か実践は、人々が問題を擬人化するように誘う質問をすることです。
  「その<いたずら小僧>は、どうやって君をだますの?」とか「<いたずら小僧?が一番やってきそうなときは、いつですか?」。
 このような質問を通して、諸個人と問題との間になんらかの空間が創造され、それによって、諸個人は問題との関係を改訂することができるようになるのです。

・ナラティヴ・セラピーでは、問題を中心化しない会話というものを、単なる雑談ではなく、他にどのようなものがあるのかということを探るためにも取り組んできました。雑談と言うものの意義を十分に認めたうえで、その人の苦しみや辛さに取り組むことができる会話とはどのようなものがあるのかに取り組んできたのです。
 問題が話の中心から外れること、つまり問題が脱中心化することとは、他のもの中心化されるということになります。さて、どのようなことを中心にして会話を続けることができるというのでしょうか。ナラティヴ・セラピーでは、次のようなものを会話の中心に置いていくように誘っていきます。
 問題が脱中心化されると、会話において中心化されるものは、問題の対処において適切な、人々の生活知識や生きる技術です。これらが、探求の焦点となります。

・外在化されるのは、問題だけではありません。内在化されていることの多い(つまり、あたかも個人の内面ないし個人に固有のものであるかのように見られやすい)、「力強さ」、「自信」、「自己評価」のような個人的特質も、ナラティヴ・セラピーの会話では外在化されます。

・ここで、「すごいですね」とか「立派ですね」のような誉め言葉を出したくなりますが、安易にほめるのはお勧めしません。なぜらな、そのような言葉は、先ほど述べて「そうでもありません」「そんなことありません」「自分はまだまだ」という言葉を発動させることになるからです。人の<力強さ>を認めるということは、それは「すごい」という誉め言葉を通じてするのではなく、その<力強さ>の詳細を知ることによって成し遂げられることができるのです。

・カウンセリングのトレーニングの場面を見ていて、私が感じることが多いのは、相手の話に合点してしまう段階が早いということです。相手の表現が、自分にとってすでに馴染みのある、既知のものであれば、早々と納得してしまい、その言葉を使って次に話を進めてしまうようなことがあります。
 そうではなく、大切なキーワードに関しては、少し立ち止まって、そのことをしっかりと語ってもらう必要があります。そのようなときには、次のように尋ねることができるでしょう。
 ①もう少し語られますか?
 ②もう少し詳しくお聞きしたいのですがいいでしょうか?
 ③もう少しイメージをはっきりさせたいと思ってます。もう少し教えてもらえませんか?
 ④そのことはあなたにとってどのようなことだったのか、少し例をあげて話してもらえませんか?

・同性愛が罪であるということは、聖書では触れていません、そこに根拠はないのです。
 すると、同性愛は罪であるとい考えがどこかの時点で組み入れられたということについては、そこに始まりを見出すことができるということです。始まりがあるととは、それが、普遍的なものではないということを示しています。

・ミッシェル・フーコーの仕事はこの思い込みを粉砕することをめざしていました。

・私たちは「有るか無いか」「ゼロかイチか」というような会話を避けるように心がける必要があります。人の語りを聞いていくと、全面的に否定しているかのように語ることが往々にしてあります。たとえば、「〇〇が、私の人生を『すべて』台無しにしたのです」というような表現を受けて、本当にすべてと思ってしまう前に、その「すべて」とは、どのようなことを示すのかを確認することは価値のあることです。たとえば、次のように尋ねることができるでしょう。
 ①「すべて」ということですね。それはどのことだったのですね。それでも、あなたが「すべて」と言いたくなっている気持ちについて教えてもらえないでしょうか?
 ②「すべて」と言うことですが、その「すべて」についてもう少し教えてもらえないでしょうか?

・ナラティヴ・セラピーでは、カウンセラーに「それだけのことを抱えて、あるいはそれだけのことに対応しながら、私の前に現れているのだ」という視点を持つように進めます。これは、相手という存在を、単なる問題に苦しんでかわいそうな人であるというところから、その人なりの力があり、それをなんとか発揮しながら生き述べてきた人であるという、視点の変更をもたらしてくれます。それは、相手にたいする敬意の気持ちであり、慈しみの思いにつながるのだと思っています。そして、そのような思いを持つことができると、相手に問いかける質問の質が変わるのではないでしょうか。

・問題の輪郭をつかむために、問題の程度を探求することについて考えてみましょう。
 この「問題」、
 ①はどの程度大きなものとしてあなたの前に立ちはだかってくれるのでしょうか?
 ②があなたに与える影響を示すような話を教えてもらえないでしょうか?
 ③の深さを1~10のスケールで示すとすれば、いくつであると感じますか? どうしてそのように感じたのか少しお話できないでしょうか?
 ④それは、どの程度深刻なことであると思えるのでしょうか?

・ナラティヴ・セラピーを身近なものにするためには、ナラティヴの質問で人は「答えてくれる」という感覚を積み上げる必要があると思っています。つまり、体感しないといけないのだと思うのです。慣れていない形式の質問を口にすることの難しさを感じ取ると共に、それに人が答えてくれるのだという体験が必要だということです。

・ナラティヴ・セラピーでは、語りには二つの側面があると見なします。一つを「行為の風景」、もう一つを「アイデンティティの風景」と呼びます。行為の風景とは、そのストーリーの<題材>であり、プロット(ストーリーの筋立て )を構成する一連の出来事を示します。一方で、アイデンティティの風景とは、その行為の風景「描写」に付属する意味合いであり、価値なのです。

・私たちは、話していくことによって存在していくのであり、語ることは、意味の生成であり、その人がそのように存在しているのだという声明となるのです。



感想
 本を読み、一つの例が浮かびました。
「姑(義母)と上手くいかないことを悩んでいる嫁(Aさん)の場合」
Aさんは、自分に問題があるからと悩みます。
 しかし、「元来嫁と姑は上手くいかない」ものであれば、上手くいかないのが普通ですから、悩む必要もないし、自分を責める必要もありません。
 悩むのは「嫁と姑は仲良くしないといけない」というデイスコースがあるのです。
また、そのデイスコースは間違っているのです。
 嫁と姑が上手くいくのは奇跡と考えると上手くいかないのが当然ですから、悩む必要はないのです。
 上手くいっている人は、姑も自分の両方のコミュニケーション能力がかなり高いと思っても良いのかもしれません。自分が高くても、相手が普通なら上手くいかないかもしれません。

禅宗で“人惑(にんわく)”という言葉があります。
親や先生や社会から間違った考え方を教わり、それがあたかも正しいと思い、自分の考えになり、自分を苦しめるのです。
禅宗では、人惑から自由になりなさいと教えています。

ナラティブセラピーのディスコースを”人惑”と考えると判りやすいと思いました。
一般に"言質(げんち)”と訳されているようです。
言質は「後々証拠になる言葉 」との意味ですから、分かりにくいです。

 会話により、抱えている問題を自分の性格などから来ている問題とせずに、自分と切り離して、問題を問題としてみていくことで、それまで見えなかった解決法が見つかったり、また、自分の性格や行動の問題でないと理解でき気持ちが楽になるのです。

 発達障害と診断されてショックを受ける人とホッとする方、その中間などいろいろおられるようです。
 ホッとする方は、それまで自分が悪いと自分を責め続けてこられたのです。
親や周りからもそう言われて育ったのです。
 しかし、病気あるいは障害だとすると、自分は悪くなく、その影響を受けているのにこれまで頑張ってきた勇士になるのです。

 カウンセラーの会話で問題を外在化していくのですが、自分で外在化していけばよいのかもしれません。いわゆるセルフカウンセリングです。

 問題が起きると“自罰”タイプと”他罰”タイプ、その中間など、人によりさまざまです。
 他罰の方が気が楽ですが、ずーっと他罰で終わりそうにも思います。
上手くバランスとることなのでしょう。
 ナラティブセラピーは「問題を外在化」してみる視点を与えてくれ、そして気持ちを楽にしてくれるように思いました。かつ外在化することにより、問題解決も進むかもしれません。

石川啄木の有名な詩の一部です。
外在化すると、それは「社会が悪い」のです。
 ただ、石川啄木の生涯の本を読むと、こつこつと働くのは苦手だったようです。
せっかく友人が紹介してくれた朝日新聞の校正の仕事もまじめにしなかったようです。しなかったのではなく、きっと苦痛でできなかったのでしょう。
 感性豊かな石川啄木にとっては辛かったのでしょう。理解して支えてくれるスポンサーがいればよかったし、今のように「詩集」で食べていける社会だったらよかったのです。
 友だちにお金を借りていますが、貸す方も返してもらうとは思っていなかったようです。そういう友だちがいたことは石川啄木の魅力を証明しているように思います。
 生活は困窮し、結核を患い本人も、妻も、子どもさえ亡くなりました。
そんな石川啄木の問題も外在化すれば、やはり社会に問題があるのでしょう。
当時生活保護の制度(昭和21年スタート)もありませんでした。
公的補助の仕組みがあればさらにどんな作品が生まれたことでしょうか。
 ハリーポットの原作者J・K・ローリング は離婚してシングルマザーで子育てをし、一時生活保護の公的補助を受けていました。それがなければ、ハリーポッターは生まれなかったかもしれません。

熟練ナラティヴ・セラピストによるワークショップを再現するシリーズ第一弾。ナラティヴ・セラピーの基本的な知識や背景について,外在化する会話法,ディスコース,脱構築や質問術にも触れながら,対人援助職や初心者向けに話し言葉で丁寧に解説する。ワークによる実践の具体例やデモも一部掲載し,参加者の声も多数紹介。

◆Journey with Narrative Therapyシリーズ 順次刊行予定!
ナラティヴ・セラピー・ワークショップ
 Book I-基礎知識と背景概念を知る-
 Book II-外在化と再著述を深める-(仮題)
 Book III-豊かな描写を目指す-(仮題)
 Book IV-海外のセラピストに学ぶ-(仮題)

目次

はじめに

ナラティヴ・セラピーのワークショップをするようになった経緯
講話することと、それを書籍化すること
根底に流れる姿勢を理解すること
本書の構成


第1部 ワークショップⅠ ナラティヴ・セラピーを知る
 イントロダクション
 第1章 ナラティヴ・セラピーと呼ばれるものとは?
  1節 ナラティヴ・セラピーとは
  2節 〈名〉の話
  3節 〈問題〉を存続させるもの
  4節 文脈の話

 第2章 ナラティヴ・セラピーの特徴的な技法とは?
  1節 外在化して会話を紡ぐわけ
  2節 相手に文脈を提供する
  3節 物語の構造

 第3章 ナラティヴ・セラピーの実践とは?
  1節 ナラティヴ・セラピーの進め方
  2節 アイデンティティ
  3節 ナラティヴ・セラピーの質問
  4節 外在化する会話
  ワーク「擬人化された問題にインタビュー」

第2部 ワークショップⅡ ナラティヴ・セラピーの背景にある理論を知る
 イントロダクション
 第4章 哲学的思想を基盤とする心理療法
  1節 哲学を基盤とするということ①
  2節 哲学を基盤とするということ②

 第5章 ディスコース・アプローチ
  1節 ディスコースと〈権力〉
  2節 ディスコースと〈生きづらさ〉

 第6章 脱構築するアプローチ
  1節 ディスコースと脱構築
  2節 脱構築と〈会話〉

 第7章 外在化する会話法
  1節 外在化する会話と〈問題〉
  2節 外在化する会話を紡ぐ

 第8章 ナラティヴ・セラピーの質問術
  1節 ナラティヴな〈問い〉とは
  2節 問題からの人の人生に対する影響を探索する
  3節 人からの問題に対する影響を探索する

 ダイアログ 【さゆりさん】「オレンジ色に見える世界」

 参加者からの声
  ●Q1 このワークショップはあなたをどこに連れていったのか?
   ナラティヴ・セラピーとの出会い―見えなかった共感的理解[八巻甲一]
   ナラティヴとの出会い―わかりにくさに魅せられて[浅野衣子]
   ナラティヴ・セラピストとしての立ち位置への模索、外在化を通しての会話とは? [藤田悠紀子]
   「私」を生きる物語へ[山下ゆかり]

  ●Q2 あなた自身の実践にどのように影響を与えたのか?
   ナラティヴ・セラピーを「教える」難しさ、「教わる」危うさ[木場律志]
   小学校教諭として[田崎さより]
   この瞬間(とき)の言葉に意味を与えた物語(ストーリー)―今、私が感じる思いを語る[藤森圭子]
   実践への影響[改田明子]

  ●Q3 実践報告(実践してみてどうだったのか? うまくいかなかったことも)
   「外在化する会話」を続けるために[眞弓悦子]
   ふだん使いのナラティヴを実践しての変化(うれしい変化、困った変化)[箱崎琢朗]
   マスクとふだん使い[荒井康行]
   アルコールや薬物に苦しめられたことのある方のためのナラティヴ・グループ・セラピー[藤田純司]
   アイデンティティと向き合う豊かな時間[髙野正子]
  ●Q4 ナラティヴ・セラピーの領域を超えたところでの可能性について思うことは?
   セラピーの領域を越えて(大学生のキャリア支援と対話の場)[箱崎琢朗]
   ナラティヴが開く可能性[髙野正子]
   ナラティヴ・アプローチとコーチング心理学[徳吉陽河]
   領域を超えたところでの可能性[改田明子]
   境域を超えたところ―ラボラトリー体験学習[園木紀子]
   ナラティヴ・アプローチの可能性―生産性の病からの解放[西垣真澄]

  引用・参考文献

「ナラティヴ・セラピーの世界」小森康永/野口裕二/野村直樹編著 ”ナラティヴは語ることで、ほとんどすべてのセラピーのベース”

2024-05-13 10:35:55 | 本の紹介
・そこで想起された過去とはなんだろう。アンナの場合、治療の場で再現された過去は現在に生きている、あるいは現在を用いて過去を再現しているともいえよう。
 アンナのエピソードからここで関連するポイントとして以下の点があげられる。
 ①欲望に裏打ちされた無意識的空想は症状によって代理的に表現される。
 ②情動が密着した出来事、中核場面の想起について、内的論理に見合ったかたちで出来事が語られるときに治療的である。
 ③聞き手とともに出来事を遡及的に筋立て手いくことによって、その出来事は経験として区切り取られる。現在とつながるかたちでの過去の想起が治療的である。
 ④単に語られれるだけでなく、いきいきと再現されることが必要。聞き手と共同して、過去が言語的に再構成されること

・神田橋は、面接初期において、主訴の周辺を注意深く聞きながら、ストーリーを共同で作っていくことを勧めている。ストーリーは、患者をとりあえず「抱える」働きをもちつからである。
 ここで素朴な疑問が生じる。クライエントの話を物語として聞くことがどうして傾聴につながるのか。へたをすると、カウンセラー側のひとりよがりな物語を相手の言葉にかぶせることになりはしまいか。聞いた話を時間のなかに配列して物語として聞く、つまり物語へと変形していく作業がそこに必須のものとなることがうかがわれるが、それはいかにして成り立つのだろう。

フェミニスト・セラピーの特徴を以下のようにとらえることができる。
 ①フェミニスト・インタビューに名前をつけて物語る
 ②セルフヘルプである
 ③クライエントとセラピストの対等で共感的な関係を重視する

・対話精神療法の骨格は共同作業であるが、それを支えているのは、抱えたり包んだりする二者関係である。つまり場の雰囲気やあたたかさである。それは次の4つからなっている(神田橋)。
 ①癒しの力をもつ環境や雰囲気
 ②治療者の内的世界がにじみでる振る舞いや表情や雰囲気
 ③クライエントを包む鳴き声としての治療者の発声
 ④同行二人のイメージを送り込む共感

 ナラティヴ・セラピーの内実が、クライアントのストーリーの書き換えにあることは、異論のないところであろう。その認知変化が起こる過程は、リ・ストーリング(re-storying)という用語で記述されている。一方、家族療法やブリーフ・セラピーにおいては、リフレイミング(reframing)というクライアントの認知を変化させる技法が重要だとされている。

・第一の具体的姿勢が、「相手に対して」語るのではなく、「相手とともに」語るという会話のスタイルです。会話をとおして、いままでにはなかった新しい意味、新しい筋書きを、共同で模索してゆく作業をいいます。いわゆる「変化」を志向する必要はなく、会話の空間を拡げ、そこに新しい意味があたかも嵐が吹き抜けるように入り込んでくる、そんな場所にすること。その際、話されたことについてセラピストがもっと深く知りたいという欲求をもつことが「無知」ということで、その欲求を相手に表すことが「無知の姿勢」となります。セラピストはクライエントによって常に教えてもらう立場にあり、この「教えてもらう」立場こそ無知のアプローチを端的に表しています。

・無知の第二の具体的姿勢では、「理解の途上にとどまり続けること」があげられます。・・・
絶えず変化しているクライエントの経験の視点から理解しようとたずねる質問のことです。そういうスタンスから発せられる質問をグリーシャンらは治療的質問と呼んでいます。

・第三の道標べとして「“ローカル“な言葉の使用」という点があげられます。・・・。この一人称で語られる体験を専門用語に置き換えないで、クライエントの使うローカルな言葉で語り合うこと。これも無知の姿勢を構成するものとされます。

・グリーシャンとアンダーソンは、セラピストが理解途上にとどまる努力をする際に使う「会話的質問」がそれに当たるといいます。会話的質問とは要するに、クライエントの言葉に突き動かされて、いま言われたことに関してもっと知りたい気持ちから発せられた質問のことであるとし、それを聞いてセラピストはそれまで重ねてきた理解を絶えず深め、また更新してゆくことになります。もっと知りたい気持ちから発せられた質問とは、言い方を変えれば、クライエントがその場で出す経験談や物語がそのままあ答えとなるような質問、つまりたったいまクライエントによって言われたこと、たったいま説明されたことが、セラピストが発すべき質問の回答となる由生な質問を、これを会話的質問といっているようです。
 例;
 長い間自分が伝染病にかかっていると信じ込んでいる40歳の男性
 「この病気にかかってどのくらいですか」とたずねました。
 すると男性は驚いたようすを見せ、それから少しずついままでのことを語りはじめたたそうです。

・変化に対応した知のことを、無知と呼ぶことができそうです。変化し続けるのが現実であり真だとすれば、無知とは「知がない」と読むよりも、「本来の知」と読むほうがより適当なのかもしれません。・・・
セラピーは大変な仕事です。心身をすり減らすことも多い作業です。にもかかわらずセラピストをそれに向かわせる一番の原動力とはいったい何か? それは他者の人生を知り、それにかかわってゆきたいと願うセラピスト自身の内なる求めではないでしょうか。それは自分も含め人に対する純粋な好奇心であり、そのことに従事するロマンということかもしれません。人類学者もまたそうだと思います。人を「耕す」野良仕事にかかわっているのです。手も汚れますが、ロマンと好奇心には勝てないのです。

内容説明
 セラピストとクライエントが共同で新しい「物語としての自己」を構成していくナラティヴ・セラピーは、単なる最新種の臨床技法ではなく、「無知のスタンス」によってすべての臨床家に自らの仕事を根底的に省察する手がかりを提示する。
目次
ナラティヴ・セラピーの世界へ
第1部 ナラティヴ・セラピーの背景(社会構成主義という視点―バーガー&ルックマン再考;病いの経験を聴く―医療人類学の系譜とナラティヴ・アプローチ ほか)
第2部 ナラティヴ・セラピーの隣接(精神分析と物語(ナラティヴ)
フェミニスト・セラピー―共感と安全を保障するつながり ほか)
第3部 ナラティヴ・セラピーの姿勢(リ・ストーリングとリフレイミング;セラピーにおけるアカウンタビリティ ほか)
第4部 ナラティヴ・セラピーの実践(老人は痴呆のふりをしているのか?;うつの母親と二人の娘―外在化における意味の再考 ほか)


感想
 ナラティブセラピーは、クライエントに自分の物語を語らせることかと思っていましたが、さらにいろいろな取り組みがあるようです。
 また、ナラティヴ・セラピーだけがナラティヴではなく、ほとんどすべてのセラピーの基本だということだと理解しました。
 ナラティブセラピーは家族療法から発展してきているとの説明でした。

 悩みを抱えている場合、誰かに話をすることが、その悩みから脱却する一番の近道かもしれません。
 相談相手がいないなら、書いてみるのもよいと思います。
書いているといろいろなことに気付くことがあります。
メール相談をして、自分が回答者になるのも良いかもしれません。
 
 ある番組で、若い時の君(自分自身)に伝えたい言葉が紹介されていました。
「君は中学の同級生が好きになって好きと言ったけど、相手にされなかったね。
 高校に入り、好きな人と同じ高校で同じブラスバンド部だったけど、この時も相手にされなかったね。
 大学に入っても、相手にされなかったね。
 でも、落ち込むことはないよ。
 その彼女は、今の君の妻だから」
ずーっと好きになり続けるのはすごいですね。

 5年後の自分が、悩み多い自分に手紙を出すとしたら、どんな手紙を出すか。
希望を信じて持つことが大きいように思います。
「一寸先は暗闇。その一寸先は光があるかもしれない」
やなせたかしさんの言葉です。
これを信じていると、光を見つけるように思います。
それを実践されたのが、まさにやなせたかしさんでした。

 ナラティブセラピーを参考にして、自分で自分を物語るのも良いのかもしれません。
 悩みを抱えているときは、どうしても視野が狭くなっている可能性が大きいです。
解決がないと思っても、実はすぐそばに解決があるかもしれません。
 あるいは視点を変えるだけで、悩みが実は大きなチャンスなのかもしれません。

 河合隼雄氏が物語るをよく言われていました。
それとナラティブ・セラピーはまたアプローチが別だと知りました。

フェミニスト・セラピーも初めて知りました。
 
 「無知の知
これが「無知の姿勢」として生かす対話もあると知りました。

 奥が深いな!が感想です。
それと心は不思議だなあ。
自分の心なのに、自分がコントロールすることがとても難しいです。

”両忘”
過去も未来も忘れ、今やることを考える。
生きていれば、それだけで十分と思う。
先ずは睡眠を確保して、栄養を確保して、便秘と下痢がなければOKと。

妖怪セラピー―ナラティブ・セラピー入門 ”人が問題ではなく、問題が問題”

2024-05-12 09:17:27 | 本の紹介
・ナラティブセラピー
①物語
②語ること・話術

・べてるの家の活動を講演会で話をすると、次のようになる。
「みなさん、こんにちは。今日は2,000人の幻聴さんがぼくと一緒に飛行機に乗ってここに来ました。講演を聴きにきている人は200人ですが、この会場には1,000人の幻聴さんがいます。残りは、市内見物に行って帰ってきません。いちばん前のあなたの肩に、かわいらしい幻聴さんが乗っています。気に入ったら一緒に持って帰っていいですよ」(浦河べてるの家(2002:104))

・外在化を「何か問題があったとき、それまでとは違う因果関係のストーリーを用意するために、問題を客観化/人格化すること」とした。





  • 芥子川 ミカ【著】
出版社内容情報
ナラティブ・セラピーの考え方を分かりやすく解説し、さらに読者が自分でナラティブ・セラピーを実践するための方法を示した入門書。ナラティブ・セラピーにおける「外在化」に日本に昔から伝わる妖怪を登場させ、より実践的で親しみやすい内容となっている。

本書の利用の仕方
1章 妖怪セラピーの基本
 タネ明かし
 社会構築主義
 人々が作りあげる物語
 支配的な物語/もう1つの物語
 変化する支配的な物語
 支配的な物語からの距離をとること
 お粥の話
 外在化(あいつが悪い)
 心地のいい物語を求めて
2章 ナラティブ・セラピーの思想背景
 知と力
 知に抹消された物語としての妖怪話
 パノプティコン
3章 妖怪セラピーの方法
 フローチャート
 妖怪「ぶるぶる」の例
 妖怪シート1 妖怪出没シート
 妖怪シート2 妖怪とわたりあうシート
 セレモニーの時間
 妖怪シート3 妖怪分析シート
 記入例
解説
 妖怪が闊歩する社会を目指して
 自分ですること、大きな目で見ることの意味
使用上の注意
● 妖怪シート
 妖怪シート1 妖怪出没シート
 妖怪シート2 妖怪とわたりあうシート
 妖怪シート3 妖怪分析シート
● 妖怪ファイル
ぬらりひょん/やまびこ/見越し入道/わうわう/ネコまた/あすこここ/にがわらい/貧乏神/アズキあらい/ぶるぶる/いそがし/じゅうじゅう坊/のぞき坊/白うかり/金づち坊/虎にゃあにゃあ/こわい(狐者異)/かみきり(髪切り)/くびれオニ(縊鬼)/口さけ女/カッパ(河童)/夜なきばば/やまんば/酒呑童子(しゅてんどうじ)
● 妖怪インデックス
あとがき
引用文献
参考文献
妖怪関連の参考文献

本書の利用の仕方
 妖怪セラピーは、自分で自分の心をいたわる手段である。語呂がいいのでセラピーとしたが、「治療」や「療法」というよりも、解決のための考え方を提供するものと考えていただきたい。
 何かに悩んでいる人、あることについて考えると夜も眠れない人、イライラする人、考えたくないのについ考え込んでしまう人、思い出したくないことを思い出してしまう人。こうした人々に、その解決法を提案している。特に悩むほどでなくとも、よりよく生きるためには片づけておきたい事柄でもいい。
 悩みのもとをたどると、大きく分けて2つのパターンがあるだろう。1つは、自分の内部に原因がある場合。もう1つは、自分以外の人や集団に原因がある場合。そして人は、問題を解決するためにその原因を探り出し、取り除こうとする。それでもなかなか解決できないことだって多い。自分以外に原因がある場合、どうしようもないこともある。そんなとき、悩んでも仕方がないことは分かっていても、ついつい、考えてしまったりする。そう、分かっていても、つい考えてしまう。だからといって、宗教に走ろうとも思わない。
 そんなとき、この妖怪セラピーをお勧めしたい。悩みがストレスとなって、気分が落ち込んだり、食事がまずくなったり、睡眠時間を奪われたり、肌トラブルが起きたり、ハゲが進んだり、白髪が増えたらソンだ。
 あるいは、こういう場合もアリだろう。もしかすると(もしかしなくても)自分が悪いのかもしれないけれど、自分自身を急には変えられないこともある。それで落ち込んで、明日からの生活に支障をきしたりしても、困るのは自分だ。そこに悪循環が生じかねない。それなら、ひとまず妖怪の「力」を借りるというのも合理的な選択と考えよう。
 これに加えて本書は、最近各方面で注目されているナラティブ・セラピーについて分かりやすく説明することも目的としている。ちょっとナラティブ・セラピーをかじってみたが、ワケが分からなかったという人にも読んでいただきたい内容となっている。

 筆者が『妖怪セラピー』を執筆しはじめたのは、現在の人々の思考パターンに危機感を覚えたことにある。何か人間関係上の問題があったとしよう。この問題を解決するためには、まず問題を把握することが大切とされるだろう。このとき、人の内側にこもるようなストーリーしか用意されていないとしたら、それは大問題だ。
 悩みあるいは気がかりなことがある人は、その原因が何か、考えをめぐらせてきたことだろう。その答えを導き出すために、人はたいてい、何かを手がかりにしてきた。この手がかりにはいろいろなものがある。最近この手がかりとして人気を集めているのは、両親の不和など機能不全家族のなかで育った人をさすアダルト・チルドレンや、トラウマといった概念だ。
 たとえば、トラウマという言葉。トラウマ(精神的外傷)とは、後遺症として残るような心理的なショックや体験のことをさす。この言葉はもともと、心理学の用語であったが、心的外傷後ストレス障害(PTSD)を含め、今では広く知られるようになり、日常語となってしまった。
 斎藤環は、虐待の記憶を含めたトラウマの告白本と「トラウマ・フィクション(トラウマが題材となった小説など)」が流行する状況について、「トラウマ語り」が若い世代を中心とした人々の「実存への欲求」を代弁することになったことと関係づけている。トラウマとは誰もがもつことのできる極小の「物語」であり、「政治にも思想にも、みずからの『実存』を仮託するようなリアリティが感じられないとき、ひとはより断片化、細分化された物語にしがみつくほかない」(斎藤環〔2003:202〕)。
 悩みを抱える人がこの発想に魅力を覚えると、自らを主人公にして、このトラウマの物語を語りだす。現在直面している人間関係や恋愛の問題は、過去のトラウマが関係していると。またトラウマには、癒しがセットとなっていることが多いが、その一定のルールのなかで、人は解決方法を模索しなければならない。
 悩める人自身が、トラウマのストーリーを求めてきた。また取りたてて悩みはないという人にとっても、このストーリーは魅力的であるようだ。最近の映画やドラマ、小説などで過去の傷つき体験のエピソードが氾濫し、トラウマという文字が躍っているのは、その証拠といえるだろう。
 こうした概念が注目され、関心をもたれること自体、筆者は個人的にいいことだと思っている。なぜなら、そこに救われる人がいるからだ。何らかの社会的な使命はあるのだろう。ただ、ここで問題だと思うのは、現在人気を集めているさまざまな問題解決のための糸口の多くが、個人の内部にあることである。
 昔、諸悪の根源は資本主義社会とされ、さまざまな問題の原因は(資本主義)社会の側にあったとされた。マルクス主義がカッコ良かった時代のことである。いろいろな問題を解決するために、資本主義社会の打倒や調整が不可欠だという分かりやすい見解をもつことができた。このとき、問題解決の方法は明らかであるため、問題を解決するためには、シナリオに即した行動を実践すればよかった。また一部の人々は、「資本主義社会=諸悪の根源」を語るだけでカタルシスを得られていたに違いない。両者は対照的であるとはいえ、現在の状況は、これと同様の極端さがあると筆者は考えている。
 妖怪セラピーは、こうした内にこもりがちな現状に風穴を開けるものであると考えている。個人の感じる苦しみは、その個人の内部に原因があるという考えを強要されてきた私たちに、ちょっとした救いの手を差し伸べるものとして。
内容説明
ナラティブ・セラピーの考え方を分かりやすく解説し、さらに読者が自分でナラティブ・セラピーを実践するための方法を示した入門書。
目次
1章 妖怪セラピーの基本(タネ明かし;社会構築主義 ほか)
2章 ナラティブ・セラピーの思想背景(知と力;知に抹消された物語としての妖怪話;パノプティコン)
3章 妖怪セラピーの方法(フローチャート;妖怪「ぶるぶる」の例 ほか)
妖怪シート(妖怪出没シート;妖怪とわたりあうシート;妖怪分析シート)
妖怪ファイル(ぬらりひょん;やまびこ ほか)
著者等紹介
芥子川ミカ[ケシカワミカ]
1970年代、神戸に生まれる。現在、某大学講師。専攻は社会学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

感想
 問題を妖怪に例えることで、問題を可視化、外在化、客観化し、対応方法も楽しみながら行うようです。

 確かに、つい相手が悪くても自分の問題としてしまいがちです。
そうではなく、自分の問題ではなく、相手の問題であり、問題は自分がその相手(妖怪)にどう対応するかのようです。
 職場の嫌な人や困らせている人に「妖怪名」を付けると、これまでと違って見え、感じ方も異なるかもしれません。
 そしてその妖怪をどう退治するか。
ゲゲゲの鬼太郎の気持ちになって退治する。
その前にその妖怪に対峙して戦略を立てますね。
退治できなくても、もう悪さをしなくなれば成功です。
 ゲゲゲの鬼太郎のように、一人でなく、”ぬりかべ”、”いったん木綿”、”ネコ娘”、”砂かけ婆”など、協力者がいると心強いです。
 ネズミ小僧みたいな味方か敵かわからないような人も職場にいたりします。

 べてるの家の彼の話は”笑いの渦”だったように思います。
話で幻聴のことも説明されています。
「もし、皆さんが幻聴さんを一つ持って帰ってもらえると私の幻聴がその分減りますので、ご協力お願いします」と話しても面白いかもしれません。

「皆さんの肩に乗っている幻聴さんに話しかけてみてください。その幻聴さんが答えたら、何と言っているか?教えていただけませんか? 挙手していただけると嬉しいです」
 会場の人が挙手して、
「私の肩に乗ってる幻聴さんは、やはりあなたが良いそうです」
と言うと爆笑かもしれません。
 あるいは、もし挙手して違うことを言われたら、
「ありがとうございます。***」と答える。
最後に
「皆さんの肩に乗っている幻聴さんに話しかけられて、その幻聴さんが答えたら、ぜひ精神科を受診されるか、べてるの家で仲間に入りませんか?」
と話す。これも爆笑でしょう。
 なんか楽しそうです。演者と聴衆が一体化しています。
 幻聴を笑いの種に出来たら、まさに幻聴と距離を置いて自分をみていることになるのではないでしょうか。

「金澤翔子、涙の般若心経」金澤泰子著 ”翔子ちゃんの子育てで気付いたこと”

2024-05-11 10:35:20 | 本の紹介
・生まれなければよかった
 それまでの42年間の人生で、私が初めて「どうしようもない」という絶望感を味わったのが、翔子の出産でした。それまでは、怖いものなど無い、望みはなんでも叶う、何事も思い通りにいくという、申し分のない人生を歩んでいたのです。

・若い頃から知性に憧れて、「知的でないものは、美でない」などとうそぶいていた私です。そんな私が知的障害の子を授かった。
 我儘な生き方をしてきた私への、神様の鉄槌に違いない!と打ちひしがれました。

・もし羊水検査を受けて、障害が判明していたら、あの頃の私ならおそらく翔子を中絶していたでしょう。

・出産も予定外の連続でした。
 高齢出産ですので、私は自然分娩が怖くて、帝王切開を望んだのですが、かかりつけの医師は、四十二歳といっても体は若いからと自然分娩を勧めてくれました。結局、私はその病院に内緒で、千葉の実家に里帰りをして、地元の産院で帝王切開をお願いしたのです。
 ところが、担当医となった医師の学会の都合で、予定日より八日も早い手術日が決まりました。さらに海外出張へ行っていて、立ち会えなかったはずの主人が、スケジュールを調整して手術の日に間に合わせ帰国してくれました。

・翔子は敗血症も起こしていて、一日でも遅れていれば死んでいたという仮死状態で生まれました。・・・
 医師は主人に、生まれてきた子がダウン症であることを告げて、交換輸血の必要性を説明したそうです。帝王切開だったため、私は麻酔でまだ意識が戻っていませんでした。
 医師はきわめて冷静に、主人に説明したそうです。「敗血症ですから今すぐ交換輸血を行わなかければ、生命の火は消えます。しかし、お子さんはダウン症です。知能が無くて、たぶん歩けないでしょう。交換輸血をしてまで助けるのはいかがなものでしょう」
 その言葉を一人で聞いた主人の気持ちはいったどんなものだったでしょうか。クリスチャンだった主人は窓辺に行きました。
 そして、神に向かって迷わず言ったのです。
「主よ、私はあなたの挑戦を受け入れます」
 主人は向かってきっぱり答えました。
「どうか生かしてください。私の血液を使ってください」
 主人の申し出を受けて、ただちに交換輸血が実施され、翔子の命は救われたのです。

・私は恐怖の思いをなんとか抑え込み、医師に訊ねました。
「翔子はダウン症なのでしょうか?」
「そうです」と、医師はあっさり告げました。その躊躇のなさには憎しみを覚えたほどです。
「この子には知能がありません。たぶん、歩くこともできないでしょう」
 真っ暗な奈落の底に突き落とされたようでした。涙が溢れ、背筋が凍り、私はずるずるとその場に倒れ込みそうになりました。
 知能も無く、歩くこともできない、なにを頼りにこの先、育てていったらよいというのでしょう。深い絶望が襲ってきました。
 そして、しばらくすると今度は、恐ろしい自責の念にとらわれたのです。すべて自分の責任なのだと自分自身を激しく責めました。主人や両親をはじめとする周囲の人々に対して、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。主人の両親には会わせる顔がない・・・。・・・ 
そして、翔子がダウン症だという事実を、夫婦で共有するまでに出産から二か月以上もの時間がかかったのです。

・里帰り出産をしていたので、最初の恐怖は「世間体」でした。顔見知りのご近所の方々に、翔子のダウン症を隠さなければなりません。

・知能が無い子をどうして育てられるだろう、と私は絶望していました。
「希望が無いから、育てられない」
 周りに迷惑をかける前に、二人で死んでしまわなくては。ゆりかごの中にいるうちに、私が始末しなければ。
 衰弱死を願って薄いミルクを与えました。
 しかし、ある時、翔子が小さな手を私の頬に伸ばし、私をいさめるかのような仕草をしたのです。まるで「お母さま、駄目。それは愚かなことよ」と訴えるような仕草でした。仕方なく薄いミルクを与えることは諦めたのです。
 しかし、それでも私はひたすら母娘二人で死ぬことばかり考えていました。

・後に主人の母から聞いたのですが、主人は両親に生まれた子がダウン症であったことを泣いて謝ったそうです。
「その大きな目からハラハラと涙と流しながら、裕は手をついて謝ったのよ」
 私たち二人の両親のうち、翔子がダウン症であることをそのまま受け入れてくれたのは主人の母だけでした。エリート志向の強かった主人の父は困った様子でしたし、私の母も困り果てていました。

・暗闇の中で、三年という歳月が流れた頃のことです。「医師になったダウン症者がいる」という話をきいたのです。
 ダウン症でも医者になれる!
 それは深い絶望の底に、差し込んできた一筋の光でした。
 その後、ダウン症の医師の話はまったく聞きませんので、おそらく偽の情報だったのでしょう。しかし、今となってはその真偽はどうでもいいことです。毎日悲嘆に暮れていたあの頃、希望が持てたということがありがたいのです。・・・
 そして私は、翔子をきちんと育てようと立ち上がっていたのです。

・そんなある日、主人が私に言いました。
「やっと、僕が翔子を助けたことに感謝してくれたね」・・・ 主人はよく言っていました。
「生まれなかったより、生まれた方が良かったんだよ」
「僕と君の子なんだから、普通の子が生まれるわけないじゃないか」
 いつでも主人は、なにかと私を気遣い励まして、翔子と私を見守ってくれていました。

・翔子が五歳の時、私は翔子に書道を教えることにしました。友達関係を築くのが不得意な翔子が、いつか私がいなくなった時、孤独な時間にも耐えられるようにと考えたのです。

・「先生、翔子に並ぶことを教えてあげてください」
 すると、園長先生はこう答えたのです。
 「並ばなければ、翔子ちゃんは永久に縄跳びの輪に入れません。そんなことを毎日繰り返しているうちに、自分で並ばなければいけないと判るのです。そのうち自分で判るからいいのよ」
 私はカルチャーショックを受けました。
 たとえダウン症の子供であっても、手鳥足取り教えるのではなく、本人が「気付く」ことが大切なのです。・・・
 ダウン症だからと、これまで私はなにかにつけて翔子に手を貸していました。もしかしたら、そうすることで、翔子の伸びようとする芽を私が摘んでいたのではないか、と思いました。

・また、雪の降る寒い日、私が保育園へ迎えに行った時のことです。
 園舎の入り口で、翔子が小さな手を赤く腫らして雑巾を握りしめ、下駄箱を吹いている姿を見つけました。他の園児たちはみんな、暖かい部屋に集まって親のお迎えを待っているのに、いったいなにをしているのか。
 心配と苛立ちと悲しみが込み上げて、私は思わず声を荒げてしまいました。
「翔子、どうしてそんなことをしているの! やめなさい!」
 すると、私の声が聞こえたのでしょうか、園長先生が出ていらして笑顔でおっしゃったのです。
「金澤さん、みんなが嫌がる掃除をする翔子ちゃんを見て、好きになる人はいても、嫌いになる人はいないわよ。やらせなさい」
 ここで、またカルチャーショックです。
 確かに、人の嫌がることを率先してやる人を誰も非難はしないでしょう。私は、翔子を大事にし過ぎていたのかもしれない、と反省しました。
 この二つの出来事は、その後、翔子を育てる上での基本的な心構えになりました。園長先生は私に重要なことを気付かせてくれたのです。
 先生が常々、おっしゃっていたことがあります。
「教えなくても、子供は自分が体験したら、どうすればよいか気づいて行動できるのです。親はそれを見守って、待っていればよいのです」

・料理も、保育園時代からやらせました。・・・
 幸いにも翔子は料理が好きになり、得意になりました。今ではお客様のおもてなしもできるぐらい上手に、美味しい食事を作ります。得意のメニューはカレー、チャーハン、ハンバーグ、ホイコーロー、等々。
 掃除も、家の中でどんどんやらせました。自分の部屋は当たり前、バス・トイレ掃除、ベッドメイク、庭掃き、洗濯、靴磨き・・・、なんでも上手にこなすようになりました。

・小学一年生の一年間は、まさに学校側との戦いの日々で、さすがに疲弊しました。
 しかし、二年生に進級した時、新しい担任の女の先生から「学校は親が来るところではないので、付き添う必要はありません」との言葉をいただいたのです。普通の小学生にとって当たり前の言葉を、普通にもらえた。その時の喜ぼ歯今でもよく覚えています。
 その先生は健常者と同じように、翔子を扱ってくれました。そして、二年生の一年間、なんと事故もおきなかったのです。
 ある時、その先生に「翔子がいつもお手数掛けてすみません」と謝ったことがありました。すると、「そんなことはありませんよ。翔子ちゃんのいるクラスは、とても穏やかになるのよ」と言われたのです。
 私はたいへん救われた気持ちになったのでした。

・ある時、高まった感情の勢いにまかせ「もう翔子なんか嫌いだ!」と、うっかり言ってしまったことがありました。
 すると、翔子は涙を溜めて、片言で一生懸命、言いました。
「お母さまが大好きだから、私、お母さまのところに生まれてきたのよ」
 その言葉に私はハッとして、胸を打ち抜かれたように思いました。そして、次の瞬間、翔子を力いっぱい抱きしめていました。・・・
 翔子ちゃん、ありがとう。母さまはあの言葉を一生忘れない。

・個展を開いた大きな収穫の一つが、三、四年来の「爪噛み」が止んだことです。・・・
このようにして、翔子に「一人前の書家になる」という目標が生まれました。

・私は、翔子の存在に希望の光を見出していただきたいとの一心で、まだ悲しみの淵にいるお母さんたちのもとに翔子を引き連れて回りました。
「大丈夫! こんなに元気で、輝き、想像を絶するほど優しい娘に成長するのよ」というメッセージを込めて。
 ダウン症のお母さんたちにメッセージを送ることは、私が天から与えられた役目なのでしょう。

・京都・建仁寺のお坊様で、翔子を「普賢菩薩」とおっしゃってくださる方がいらっしゃいます。この方によれば、翔子は「両忘(りょうぼう」という、禅の境地を地で行っているのだそうです。
「両忘」とは両方を忘れる。過去も未来も、善いも悪いも忘れる。あるのは今だけ。それが禅では理想的な状態とされているのです。
 確かに、翔子には過去も未来もありません。今だけを見て、今を一生懸命に生きています。
 禅だけでなく、神道の世界でも、これはたいへん重要だとされていて、「中今(なかいま)」の精神と言うのだそうです。

・これからも、翔子と私の人生にはなにが待ち受けているかしれません。しかし、私たちはそこにまた必ず活路を見出せる、と信じています。
 生きていれば、絶望は無いのです。
 闇の中には、必ず大きな光があるのです。
 そのことを知れば、どんな状態に追いやられても、いずれ活路がも言い出せます。絶望することもないのです。

・NHK大河ドラマ「平清盛」の題字
 文字を書くにあたって、NHKの方々が2012年の秋、翔子と私を清盛ゆかりの地へ案内してくれました。京都の六波羅蜜寺から広島の厳島神社へまわり、広島の素敵なホテルにも泊まらせていただきました。・・・
 ゆったりと二人で湯船に浸かっていた時、翔子がふと言いました。
「お母さま、幸せ?」
 翔子は中空の月を見上げていました。淡い光を受けて、翔子の横顔が輝いています。
「母さまは幸せよ」と私は答えました。心の底から出た言葉でした。
 すると、翔子がまた訊ねてきました。
「お母さま、楽しい?」
「うん、楽しいよ」
「お母さま、嬉しい?」
「嬉しいよ」
 そんな会話に、私は涙が止まりませんでした。翔子と過ごしたこれまでの二十六年間が走馬灯のように脳裏を駆け巡りました。
 何度も死のうとしながらも死にきれなかった日々。そして、翔子を育てていく中で、「生きてさえいれば、絶望は無い」ということを知りました。
「禍福はあざなえる縄のごとし」
 幸福と不幸はまさに隣合わせであり、今では、幸福と不幸は同じなのだ、とさえ思っています。
「今、私は日本一幸せな母親だ」と心から思いました。

・二百人を超える規模となった私の書道教室には、知的障害を持った生徒さんもたくさん通っており、ダウン症の子だけでも三十人はいます。・・・
 そんな中で、驚くような出来事があったのでした。
 半年以上教室に通っているのにいまだに一枚も書かず、ずっと室内をただふらふらと歩き回っていた自閉症の生徒さんがいました。
 ある日のこと、その生徒さんはいつものように筆に一切触れることなく、ひたすら歩き回っていました。すると突然、翔子が、静かですがはっきりした声で言ったのです。
「書きなさい」
 その途端、その生徒さんは席に着き、さっと筆を持ちました。そのぴしっとした様子はまるで別人のよう。そして、翔子がゆっくりとそばに座ると、待っていたかのように字を書き始めたのです。
 私は、奇跡でも見ているような心境でした。
 以来、その生徒さんが来ると、翔子を呼ぶようにしました。そのうちに、「翔子が来るよ」というだけで、大人しく席に座るようになったのでした。

・新たな奇跡
 東京・銀座の画廊におけるセレモニー、集まってくれた大勢の方々の中に、ダウン症の子供を連れたご家族がいました。・・・
「いくつ?」と私がその子に訊ねると、お母さんの方が「三歳になるのに、まだ歩けないんです」と答えてくれました。
 三歳になるに抱かれているのか・・・、私はそのことに少し不満を感じました。
 だから、その子に「おいで」と手を差し伸べてみたのです。彼がとても素直に私の胸に来てくれたので、試しに床にそっと立たせてみました。私の支えもあって、とりあえず立つことができました。
 そこへ、翔子がなにかを感じて素早く飛んできたのです。そして、その子を抱きしめるようにして、背中に手を置き、「歩けるよ、歩ける」と何度も辛抱強く、まるで呪文のように彼の耳に囁きかけました。
「歩ける、歩けるよ、歩ける、歩け・・・」
 その時、周りにいた人たちはみんな、目を見張りました。つい先ほどまで抱っこされ、立つこともおぼつか無かった子供が、一歩また一歩と足を踏み出し、歩いたのです。
 なんと十三歩も。その後、足が崩れてしまし、いったんはお母さんに抱っこされました。しかし、お母さんの足元からまた彼は歩き出したのです。周りの人々からは拍手が巻き起こりました。
 お母さんは翔子に向かって「ありがとう、ありがとう」と何度も言い、涙をこぼしたのです。
「奇跡を目のあたりにしました」と、私に興奮した様子で言ってくれた方も何人かいました。 
 驚きは、それだけではありません。
 初めお母さんの胸に抱かれていた時、その子の顔は左右バランスが少し悪いようで、片方の目だけが細く見えました。また顔色も悪く、あまり元気には見えなかったのです。
 しかし、歩いた後の顔を目にして、驚きました。バランス良く整った顔。いつの間にかハンサムなお父さんに似た顔立ちに変わっていたのです。
 そして、左目の下に赤い一センチくらに傷があったはずなのに、それまで消えていました。・・・・
 今でも、お母さんから時折メールが届きます。
「欧太はその後、ひたすら歩き続けています。翔子さんの魔法の手を忘れません」


感想
 「生きていさえすれば、絶望はない」
翔子さんのお母様から発せられた言葉だけに重みがあります。
そのお母さんでさえ、翔子ちゃんを殺して自分も死のうと必死に思われていました。

 「ダウン症の子が医者になった」
偽情報でも信じたことで希望が芽生え、生きることができました。
希望を持つことがいかに大切かを物語っているように思います。

 翔子さんとお母さまは、書家と育てた母親だけでなく、多くのダウン症だけでなく、障害を持って生まれた子どもと、それに苦しみかつ自責の念を抱いている母子に希望という種を蒔かれているように思いました。
 そしてその種は、私もいただいたように思います。
自分にも何かできることがあるかもしれない。
そう信じて一歩一歩歩むと、振り返って歩いた足跡を見ると、きっとステキな風景が見られるのでしょう。
 信じるか信じないかはまさに自分の選択なのだなと思いました。

 ロゴセラピーでは「人生が自分に問いかけてくる。その問いかけにどう応えるか」と考えます。その問いかけに必死にもがき歩いていると、そこには意味が、価値が生まれてくると考えます。
 まさに翔子ちゃんとお母さん、そして早く亡くなられたお父様がそれを証明されているように思いました。

 NHK「こころの時代~宗教・人生~」では『夜と霧』の著者のヴィクトール・フランクルを6回にわたって毎月放映されます。4月から始まっています。
 ぜひ見ていただけると嬉しいです。