英の放電日記

将棋、スポーツ、テレビ等、日々感じること。発信というより放電に近い戯言。

『ハンチョウ~神南署安積班~』 第14話

2009-07-14 19:49:39 | ドラマ・映画
 今回はあまり面白くなかった。

 須田刑事(塚地武雅)が、恋人らしき女性・幸子(清水美沙)の夫(会社社長)殺害の容疑で逮捕された。指紋や目撃証言などが挙がるが、幸子が須田を目撃したと証言したと聞き、須田は黙秘してしまう。
 須田が犯人であるはずがなく、班の仲間も須田をまったく疑うことなく信じて捜査するというのは、このドラマらしい。
 焦点は、「須田がなぜ黙秘しているのか」だった。真相は、須田が少年時代犯してしまった失敗により、幸子の父親が亡くなり、それによって、幸子が不幸になってしまった。その贖罪だった。

 とにかく須田の行動が中途半端だった。
 幸子が犯人だと思ってかばったわけではなく、幸子が須田が自分を不幸にした少年だと知っていて、自分を許していないことを知っての贖罪だった。
 しかし、ただ黙っていることが贖罪になるのだろうか?もちろん、自分が犯人だと罪をかぶることが贖罪になるわけではない。
 須田はわけもわからずに逮捕されたようなので、当然、事件の真相は知らない。
なので、まず、事件の真相を明らかにして、彼女が犯人であろうがなかろうが、そのあと、しっかり彼女を支えてあげることこそ、贖罪と言えるだろう。
 しかも、安積(佐々木蔵之介)に尋ねられて、「自分は刑事です」と無罪であることをほのめかすって、おい!

 刑事なら、捜査しろよ!心配する黒木刑事(賀集利樹)たちに打ち明けろよ!それが仲間っていうもんじゃあないのかよ!(『ごくせん』調でお読みください)

 不幸のどん底だと思っている幸子に、「自分は少年時代からついている」と言い切ったら、そら彼女は切れるよな。

 ☆些細な突っ込み
 2カ月ぐらい前の回想シーンが出てくるが、その頃って、須田刑事、足をけがしていて、杖をついていたのでは?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ゲームと勝負」「直感とヤマ勘」など

2009-07-14 16:55:51 | 将棋
7月13日の『将棋世界』6月号④の夕焼けさんのコメントに関連しています】

★一手にかける時間。これってどこまでがゲームでどこからが勝負なんでしょうか

 「ゲーム」や「勝負」の言葉の印象が、人によってさまざまだと思うので、まず、その定義を考えてみます。
 「ゲーム」というと、日本語的には、将棋やチェスなどのボードゲームをさすことが多いですが、最近はテレビゲームをイメージする人も多いかもしれません。
 それと、「所詮ゲームじゃないか」というような使われ方の場合、「お遊び」という意味で使われることもありますね。
 英語では、「ゲーム」はスポーツなどの「試合」を指します。

 「勝負」というと、「大勝負」という意味で「重大な分かれ目」とか「雌雄を決する」という意味で使うことがあります。(「雌雄を決する」という言い回しは、「男女共同参画」や「男女平等」という観点からすると不適切かもしれませんが、見逃してください)
 また、もっと広い意味では、単純に「勝ち負け」が決まるものを指します。
 「試合(将棋)に勝って、勝負に負けた」ということがあります。この場合、内容では勝っていたが、結果は負けだったという意味ですね。


 さて、夕焼けさんの場合、「ゲーム」は遊びで、「勝負」は真剣という意味合いだと思われます。
 これは私見ですが、将棋について言うと、遊びの場合、持ち時間を決めず、「待った」も認め、禁手(反則)も許してあげる。
 勝負(重たい意味に限らず、試合として行う場合)の場合、反則や「待った」は認めず、持ち時間もきっちり決める。これは、10秒将棋でも持ち時間9時間でも、同じだと考えます。つまり、持ち時間を決めるということは、競う条件をそろえるということですから、「試合」と考えます。
 将棋の場合、持ち時間を決めるという場合、時計係を頼むか、対局時計を置くことになりますから、時計係=審判みたいなものですから、その時点で試合(勝負)になってしまうでしょう。
 対局時計がない場合は、お互いに「1,2,3…」と時間を読み合う「10秒将棋」をすることがありますが、これは秒の読む速度が不正確ですし、10秒では指し手を読む頭脳勝負という将棋の本質とは離れているように感じます。


>その持ち時間なりの強さ、戦い方、考え方があろうかと思うんですよね。でも考える時間がまるっきりないと「勝負」というより「ギャンブル」的な要素が入ってくるんかも。「運」といってもいい

 おっしゃるとおりだと思います。基本的には、持ち時間をきっちり決めれば(反則、待ったなし)、勝負(試合)と考えますが、相手の指し手を考え、その対策を練ったり、工夫して仕掛けるといった指し手に考慮(意思)がないと、「将棋」とは別のもののように思います。


 あと、NHK杯のような持ち時間が短い将棋と名人戦などのタイトル戦のような長時間の将棋とでは、持ち時間が長い、特に2日制の将棋で負けたほうがダメージは大きいでしょうね。短時間の将棋で強いのは、思考の反射神経があると誇れますが。


★直感とヤマ感の違い

>直感なんて努力の積み上げた者のみが覚醒して出来るもんだと思ってます

 まさに同感です。このことは羽生名人本人もおっしゃっています。

>同僚から「もっと急いで打ってくれ」とクレームをつけられました。ワタクシの考える時間が長いようなんですよね。と言っても10秒たらずなんですが

 私の想像ですが、同僚の方は、オセロをトランプの「ババ抜き」や「ページワン」と同じように捕らえているのではないかと。
 もちろん、相手の表情や、場に捨てられているカードを見て切るカードを決めるということもありますが、引くカードは運や勘に左右されます。
 同僚の方は、オセロの手は読むものでなく、勘で決め手、その手がいい手か悪い手かは運で決まるモノと考えているのではないでしょうか?


★上達するには

 多少個人差があると思いますが、閃きだけで指す子ども(人)は、強くなりません。
 ある程度考えて、その決定した手が意思を持たないと、経験や技の積み重ねになりません。
 その意思が間違っていてもかまいません。「相手の角頭が破れそうだ。攻めてみよう」というのと、「とにかく攻めてみよう」と攻めるのでは、結果が同じでも、得られる経験地が違います。
 相手がただで駒を捨ててきた。「取るとどうなるか、考えたがわからないけれど、取ってみよう」というのと「罠かもしれない。取らないでおこう」というのでは、たとえ取って相手の策に嵌っても前者のほうがいい経験をしたと言えます。

 中には長考する子がいます。すごく読んでいる場合はいいのですが、初心者の場合は、「何をしたらわからない」か「複数の候補手が浮かぶが、決められない」ということがほとんどです。この場合は、経験が少なくて手の判断基準が無いと考えられので、その場合は、とにかく、勘でいいから指すよう勧めます。

 ある程度、棋力がつけば、子供の頭の回転は速いので、着手が早くなります。この場合は、放っておきます。負ければ、自然に考えるようになります。


 ただ、最近の子どもは、PCや先生に負けるのは気にしないのですが、友達に負けることを極端に嫌います。これが悩みの種です。
 あと、じっくり考えることができないという傾向が強いようです。 
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする