英の放電日記

将棋、スポーツ、テレビ等、日々感じること。発信というより放電に近い戯言。

将棋雑感 ~解説者と聞き手①~

2012-01-05 20:48:08 | 将棋
 将棋は面白いです。タイトル戦の最高峰の将棋も、一手指した方が悪く見える珍局も、一生懸命指している将棋なら、どんな将棋も面白いです(教え子たちの将棋は胃が痛くなりますが)。
 しかし、将棋は難しい。私のレベルでは指し手の意味や、勝負に機微などは理解できません。そこで、解説の助けを借りることになります。解説を見たり聞いたりして、「そうだったのか」と感心し、将棋の奥の深さ、面白さを感じることができます。
 しかし、タイトル戦などでは、控室の研究も及ばないことも多々あります。対局者が棋界最高峰であることや、真剣度や集中力の差もあり、さらに複数人の研究が足し算にならず、マイナスに働いてしまうなどの原因が考えられます。それでも、タイトル戦などでは、中継サイトでは感想戦の内容がアップされたり、『将棋世界』や『週刊将棋』では更なる検討がされていて、勝負の真の姿が伝えられるます。
 ところが、テレビ将棋(NHK杯将棋トーナメント)においては、番組中の解説がほぼすべてとなります。『将棋講座テキスト』で補正はされますが、そこまで読む人の率は低いでしょう。
 先ほど「タイトル戦は『将棋世界』や『週刊将棋』では更なる検討がされていて、勝負の真の姿が伝えられるます」と述べましたが、『将棋世界』や『週刊将棋』も購入してまで読む人は少数派と思われ、タイトル戦のテレビ中継の解説が、その将棋のイメージを大きく左右すると言えるような気もします。
 ともかく、テレビ中継は観戦者に与える影響は大きく、よって、その解説者の責任は大きいと言えますが、専門誌などの観戦記と違い、将棋をリアルタイムで、しかも個人、あるいはふたりで解説しなければなりません。タイトル戦では控室の検討結果を持ち込むことができますが、対局者とは読みや大局観の精度が落ちることも多いですし、研究と違う指し手が飛び出たら、自力で行わないといけません。

 なので、解説に多少の誤りがあるのは仕方がないことだと思います。しかし、避けて欲しい過ちがあります。それは、形勢判断の誤りです。
 たとえば、A棋士が微差のリードを保ち続け、そのまま勝ち切ったという将棋があったとします。しかし、解説者が形勢を見誤り、「優勢であったBが最後に間違え、逆転負けした」という解説をしたとしたら、観戦者は「Bが惜しい将棋を落とした」とか「AはBのミスに救われ勝ちを拾った」という記憶が残ります。実際はAの会心譜であったのにもかかわらず。


 NHK杯将棋トーナメントで私が不満に思うのは、解説者がある程度誤るのは仕方がないとしても、収録日から放送日までかなりの日があるにもかかわらず、将棋の真の内容を正確に伝えようとする熱意が感じられないことです。確かに、対局者の姿や表情を映し、対局者の対局心理を伝えることも大事ですし、編集(カット)によって対局の流れが細切れになることも避けたいことかもしれません。
 今年度、放送時間が10分短縮され、熱戦になればなるほど感想戦が短くなりました(ないこともあります)。対局中の印象や解説による形勢判断と両対局者の読みや形勢判断とが大きく異なることが、感想戦になって明らかになることは多いので、放送時間の10分の短縮は大きいマイナスです。
 なので、長考の部分は少しカットしたりして、一局のツボの部分の感想戦を入れるか、最後に感想戦を踏まえた上での解説を行っていただきたいです。
 それと、現代の将棋は初手から駆け引きが始まっています。なので、現行のように、最初の十数手、或いは二十数手をただ対局姿や盤面を映すだけなのはやめて、解説していただきたいです。(実際にも、解説が始まってから、初手に戻すことも多いです)

【やはり前置きが長くなってしまいました。続きは次回ということで】
コメント (2)
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