英の放電日記

将棋、スポーツ、テレビ等、日々感じること。発信というより放電に近い戯言。

『平清盛』 第3話「源平の御曹司」

2012-01-24 21:54:22 | ドラマ・映画
 困ったなあ……面白い。
 面白いので、レビューも書きたくなってしまう。書きたいことが、他にもいろいろあるのに……

 なので、簡単に。


 タイトルは「源平の御曹司」。確かに、義朝(玉木宏)あっての清盛(松山ケンイチ)で、今回は義朝がケンイチを引き上げたと言ってよい。
 なのだが、第3話を通して見ると、「清盛の決意」という気がする。しかし、清盛は主人公なので、毎回、何かしら決意を新たにするような気もする。確かに、第1回は自分の生い立ちを知り「強く生きる決意」、前回は実の父・白河法皇(伊藤四朗)に対する「平氏として生きる決意」、今回は「武士として生きる決意」で、毎回決意がある。

 それはさておき、登場人物もなかなか深い。
★忠盛(中井貴一)
 深い思慮で静かな面持ちで清盛を見守る。「清盛は平氏に、なくてはならぬ男である」と断言
★宗子(和久井映見)
 血の繋がらない清盛に、母としての愛情を注ぎ、実の子・家盛(大東駿介)にも長兄を立てるよう教育。無理をしている気も。 家盛も、なかなか爽やか。
★忠正(豊原功補)
 家盛を正当な平家の後継者と思い、何かと清盛を敵視。兄・忠盛に「兄上は姉上のお立場で考えたことがおありか?男子をもうけた正妻であるというのに、どこの馬の骨と分からぬ白拍子の子を嫡男として育てさせられる。正妻に要らぬ忍耐を強いて、何が統領ぞ!」
 と、異を唱える。宗子に惚れているのかも。
★璋子(檀れい)
 鳥羽上皇(三上博史)がわが子である帝(みかど・崇徳天皇のこと)への愛情が薄いと訴える。帝は璋子が祖父・白河法皇と密通して産んだ子ではないかと、鳥羽上皇は怒りをあらわにするが、「御爺様(白河法皇)の子ではござりませぬか。上皇様にも大叔父様に当たられぬ子でござりますから、「叔父子」とでもお思いになればいかがです」と、肝の太い発言。
 なかなか、腹黒く強欲で自分本位な女かと思ったら、サイトのあらすじによると「心の機微に弱い璋子には上皇の気持ちがわからない」だけとのこと。単なるKYなの?……筋金入りのKYだ。
★藤原家成(佐藤二朗)
 何を考えているか分からない。平家の味方?
★藤原家保(渡辺哲)
 顔が怖い
★北面の武士・佐藤義清(藤木直人)
 玉木宏と区別がつかない……

☆その他の突っ込み
・競べ馬って、勝負と言っても馬に左右されるのでは?
・鹿男(玉木宏)、馬に乗る……分からない方はスルーして
・清盛と鱸丸(上川隆也)だけが放免され、残りの郎党を助けるために脱獄ほう助の罪を犯すが、郎党が放免されない理由は何?清盛を京に残すために忠盛が手を回した?だとしたら、忠盛が根源では?……あれだけ清盛を叱責した忠盛だが

【ストーリー】(番組サイトより)
1132年、清盛(松山ケンイチ)の弟・平次(大東駿介)は元服し、家盛と名を改めた。そのころ清盛は、西海(瀬戸内海)で鱸丸(すずきまる:上川隆也)ら郎党とともに無頼の日々を送っていた。自称船の警護役として海賊と戦い、取り返した食物を盗まれた漁民に返していたのだ。しかし、賊と間違われた清盛は捕らえられて京に連れ戻されてしまう。そんな清盛を呼びとめたのは源義朝(玉木宏)、父の宿敵・為義(小日向文世)の子で、清盛の終生のライバルとなる男であった。義朝は清盛に、競べ馬(くらべうま:乗馬によるレース)で勝負しろ、とふっかけるが、清盛は相手にしなかった。
時は鳥羽上皇(三上博史)の世であった。源為義は義朝を「北面の武士」(ほくめんのぶし)という院の警護役にするよう、院の近臣である藤原家保(渡辺哲)、家成(佐藤二朗)親子へ願い出る。一方、鳥羽上皇は白河法皇と関係が深い忠盛(中井貴一)と清盛の忠誠心をはかりかね、忠盛を問い詰めていた。その場にいた家成は清盛が北面の武士になる気があるかどうかで忠誠心を試すことを進言する。しかし、その話を忠盛から聞いた清盛はきっぱりと断る。
鳥羽上皇の御所を守る北面の武士・佐藤義清(藤木直人)は、御所を訪れる鳥羽上皇の后(きさき)、璋子(たまこ:檀れい)の姿に思わず「花は盛りに咲き・・」と心を躍らせる。璋子は、鳥羽上皇がわが子である帝(みかど・崇徳天皇のこと)への愛情が薄いと訴えると、帝は璋子が祖父・白河法皇と密通して産んだ子ではないかと、鳥羽上皇は怒りをあらわにしてその場を離れた。しかし、心の機微に弱い璋子には上皇の気持ちがわからない。一方、御所を訪れた源為義・義朝親子は家成から、上皇が義朝ではなく平清盛を北面の武士に望んでいることを聞かされる。
清盛は検非違使(けびいし:今の警察)に捕らわれた郎党を牢から助け出し、その道すがら義朝と会う。清盛から「王家の犬になりたくないから、北面の武士には入らぬ」と聞くと義朝は落胆し、清盛を「甘やかされた御曹司」と言い捨てて去っていた。
やがて清盛の助けた郎党が再び捕まり、平氏の館に検非違使の役人が押しかけた。そこへ清盛がかけつけ、自ら責めを負うと言うが忠盛は許さず、「平氏一門が守っていたおかげで、お前は無頼の日々を過ごせたのだ」と清盛の生きかたの甘さをしかる。忠盛の弟・忠正(豊原功補)は、清盛に平氏と縁を切れと訴えるが忠盛はそれも許さない。いたたまれずに清盛は飛び出した。
その後、加茂の川原で修練する義朝の前に清盛があらわれ、競べ馬を申し込む。はじめは拒否する義朝だが清盛の熱意にまけて勝負をうける。勝負は義朝の勝利に終わり、落馬した清盛は自分の無力さを嘆きわめく。義朝はかつて清盛の舞う姿を見た時から清盛を目標にしてきたことを告げ、武士は王家の犬ではなく、王家を守っているのだという思いを伝え、去っていった。あくる日、清盛は北面の武士の一員として、鳥羽上皇の前に姿をあらわした。
コメント (6)
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