英の放電日記

将棋、スポーツ、テレビ等、日々感じること。発信というより放電に近い戯言。

テレビ画面について(大河ドラマ)

2012-01-17 16:45:30 | ドラマ・映画
(若干というか、かなり出遅れた記事ですが)
 兵庫県知事の「画面が汚い。あんな鮮やかさのない画面では、日曜日の憩いの時間にチャンネルを回す気になれないだろう」という発言に、批判が相次いでいる。
 一部に「同感」との賛同意見があったが、大半は「番組の演出や映像は効果的で良かった」「知事がテレビ番組の内容に介入するような発言をすべきでない」「大河ドラマは兵庫県の観光PRのために制作されているのではない」などの批判的な意見だったとのこと。
 「画面が汚い」という表現や、発言の場を考えると、やや古い表現だが、知事としての品格に欠けるような気がする。
 
 知事の発言はともかく、個人的には画面は鮮やかな方が好きだ。色がはっきり分かるということは、情報量がそれだけ多く、分かりやすいということ。それと、現実に近い色合いの方が、感情移入しやすい。画面自体に違和感を感じてしまっては、すんなり感情移入とはいかない。平安末期の乱れた世の退廃的な雰囲気を出す狙いと思うが、そう感じること自体、感情移入する主観的な位置ではなく、歴史やストーリーを追う傍観者的な立ち位置に視聴者を置いてしまうことにならないだろうか?
 もちろん、テレビという狭い画面を見るのだから、完全にドラマにのめりこめるわけでもないし、初めから傍観者としてドラマを観るというのも、否定できるものでもない。
 それに、画面に違和感を感じたとしても、それは観始めた数分だけで、そのうち、違和感は感じなくなってくるので、違和感や感情移入という観点からは、そうこだわることではないのかもしれない。雰囲気という点では彩度を押さえた画像、分かりやすさでは鮮やかな場面ということになるのであろうか。製作者の狙いもあるかもしれないが、私としては、こだわるのならストーリーや登場人物の感情の描写にこだわって欲しい。

 初回、第2回と拝見したが、平忠盛(中井貴一)の人生観を揺さぶる女・舞子(吹石一恵)との出会い。白河法皇の怪物ぶりなど、面白かった。
 不安材料は、出生の秘密がばれる前と、その後との、忠盛の教育方針ががらりと変わってしまったこと。(中井貴一さんは深みのある演技でよかった)
 実の親・白河法皇と育ての親・忠盛のふたりの父親をもつ清盛が、悩みどういう道を選ぶのかを、本人にゆだねる心からの放任主義と思われるが、初回、あれだけ法王の犬としての殺生行為に疑問や憤りを感じていたはずの忠盛が、黙々と職務をこなしているのは、納得のいかないところもあるが、これも深い考えがあってのことなのだろう。
 ここ数年の大河ドラマの出来を考えると、油断?せずに観ていきたい。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする