英の放電日記

将棋、スポーツ、テレビ等、日々感じること。発信というより放電に近い戯言。

ちょっとこわかった話…『将棋論考』真部一男八段(当時) 『将棋世界』 2001年2月号

2023-04-26 22:13:52 | 将棋
 自室の本の整理をしています。
 『将棋世界』は、30年以上分溜めこんでいます。家のあちこちに散在していて、目についたモノから紐で縛っています。
 本当は捨てたくないのですが、家人の冷たい視線には抗えません。それでも、ざっと読んで、残す物を選別しています。羽生将棋で《これは!(残しておこう)》というモノはそっと隅に避難させています。

 羽生将棋以外で心に残るものは真部八段(当時)の『将棋論考』。
 今日、ご紹介するのは、『将棋世界』 2001年2月号掲載の「ちょっとこわかった話」
 2001年2月号なので、執筆したのは氏が48歳の頃。
 タイトルの「ちょっとこわかった話」というのは、落語で言う“まくら”。真部九段が“四段になりたて”の21歳の頃の話です。
 『論考』の本題は、第7期九段戦七番勝負第一局 升田幸三王将-塚田正夫九段戦(塚田九段の“九段”は“名人”、“王将”と並ぶタイトル)。当然本題も面白いのですが、“まくら”も面白いです。
 本来は引用は良くないと思いますが、お見逃し下さい。
(句読点や仮名表記が多いなど気になる点があるのですが、格調の高い文章だと思います)


「ちょっとこわかった話」
 私が四段になりたての頃、新宿は歌舞伎町で地元の町会の有志が提案して、「歌舞伎町祭り」というのが開かれた。
 地域の振興を考えた催しで、今風に言えば町おこしのようなもの。
 その一環として将棋大会が加わった。音頭を取ったのは当地で将棋道場も経営している実業家のF氏。
 F氏本人が大変な将棋好きであったから実現した企画であろう。
 その道場の正師範は芹沢博文九段で、私は副師範であった。
 そんな御縁で将棋大会の審判長に私が任命されることになる。
 審判長といっても副審がひとりもいないのだから、いってみれば社員のいない会社の社長のようなものだ。
 コマ劇場前の広い通りに盤が20面ほど並べられ、通行人の誰でもが参加できる気楽な会である。
 私の役割は中央に置かれていた事務用のイスに腰かけて、何となく全体を見わたしていればいいといった呑気なもので、手持ちぶさたで眠気を払うのが苦労といえば苦労であった。
 こういった時は指導対局でもしていた方が刺激があって、よほどいいのだが、参加者のほとんどが縁台将棋クラスであったから、そもそもプロという存在があるということすら認識されていないようだった。

 そんな、のんびりムードが一変する。
 少し前から何者かの視線が額に突き刺さるようだ。
 ただならぬ気配に顔を上げてあたりをうかがうと、2時の方角に男が立ち、背を丸めるようにしてこちらを睨んでいる。
 ひと目見てそのスジのお兄いさんだと感じさせる雰囲気だ。
 からまれる理由はありはしないのだが反射的に目をそらし、会の世話役の人達を見つけようとしたのだが、彼らは緊急避難をしてしまったようで、見当たらぬ。
 男はズボンのポケットに手を突っ込みずちゃらずちゃらと、こちらに近づいてくる。
 逃げ出すわけにもいかないから腹をくくった。
 なるようになれだ。
 私から、3mほどの距離を置いて男は立ち止まり、声をかけてきた。
「あんた、どこの組の者だい」
 きた!と思った。
 その日、私は黒の三つぞろいのスーツを着ており、エラそうに座っていたのだろう、見知らぬ同業者と思われたのかもしれない。
 何か答えなければならぬ。
 咄嗟に「日本将棋連盟です」
 男は眉間にシワをよせ、首をやや傾げ、ムムッといった表情。
 やや間があり今度は「組長は誰だ」
 私は迷わず自信を持って云い切った。
「会長は塚田正夫です」
 男は一瞬たじろいだように見えた。
 何が何だか理解しかねるといった様子で、口の中で聞き取れないような声で何やらぶつぶつとつぶやいていたが、もうそれ以上は聞かず、やがて踵を返して去っていった。
 思うに、組よりは連盟の方がデカそうだし、組長よりは会長の方がエラそうな響きがある。
 そんなこんなで、男もそれ以上のインネンをつけるのはやめたのかもしれない。
 当時私は21歳。若造にとってはまさに冷や汗ものの一幕であった。

 男が去った後、世話役の一人が寄ってきてこう云った。
「何があったんですか」
 今さら何をおっしゃいます、冷たいではないですかと、文句のひとつも云いたかったが、ぐっと胸にしまいこんだ。
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