コロナ禍での五輪開催については、これまでも述べてきたが(新型コロナウイルス 「その103」とか「その104」)、今回は純粋に五輪の存在意義の疑問を、忘れないうちに書いてしまおうと思った次第。
一昔前は、「スポーツの祭典」とか「参加することに意義がある」という言葉が聞かれたが、現代では選手が「人生を懸けて臨んでいる」感が充満している。報道もメダリストへの扱いも超加熱。
参加人数が絞られて、代表争いが過酷を極める競技もある。男女混合という意味に疑問(この件に関しては、アジア大会の記事で述べている)を感じる種目(陸上競技や競泳の男女混合リレーや柔道団体)ができた半面、体操競技は団体メンバーが5人から4人に減らされた(過去は6人だった)。
卓球も代表争いは熾烈を極めた。団体メンバーは3人。個人戦に出場できるのは2人のみ。他の種目としては混合ダブルスがあるが、普通のダブルスはない。
中国は単純に強さだけで(国際大会などの実績は考慮しない)ランキングを作ると、トップ15の内、中国選手が12人ぐらい入るのではないだろうか。五輪はそんな強い中国選手が2人しか出場できないので(他国に帰化して参加する元中国の選手はいるが)、代表になってしまえば、メダル獲得の可能性は世界選手権より遥かに高い。
冒頭の「五輪の存在意義の疑問」(これについても「オリンピックが競技を歪める その1」などで書いている)だが、今回、ソフトボールを観て、強く感じた。
ソフトボールは、1996年アトランタオリンピックから正式種目となり、2008年の北京五輪まで実施されたが、2012年のロンドン五輪で種目から外された。リオデジャネイロ五輪でも復帰はかなわず、2020年の東京五輪でも復帰は実現しないことがIOC総会で決定されたが、開催都市が追加できる正式種目として実施された。(次回の2024年パリ五輪では実施されない)
北京五輪で金メダルを争った日本とアメリカの両エース、上野、アボットが今五輪でもエースとして活躍していることがうれしい。称賛する。
ロンドン五輪以降、正式種目から外れてしまい、両者とも(他のソフトボールプレーヤーも)目標を失った。北京五輪後のソフトボール界の消沈ぶりに、上野は「北京五輪での大盛り上がりは何だったのか?」と述懐している。上野を立ち直らせたのは、宇津木監督の「これからは、他人のために投げなさい」という言葉だったという。
アボットも上野同様目標を失った。彼女は日本の実業団チームに入り、上野らと競うことに意義を見出した。おそらく、彼女は五輪に拘らず、プレーすること自体に楽しさや喜びを感じたのだろう。非常に大きい人間である。
東京五輪の決勝、日本×アメリカ戦は上野、アボットだけでなく、両チームすべての選手が激突?し、激闘、熱闘となった……素晴らしいゲームだった。
特に、2―0の6回ワンアウト、ランナー一、二塁という日本のピンチ。相手バッターのサードへの痛烈なライナー、三塁・山本優のグラブを弾き、レフトへ抜けると思われたが、その打球をショート・渥美が反応し、ノーバウンドでキャッチ。すぐさま二塁に送球し、アウト。ダブルプレーで、アメリカの逆転機は一瞬で消えた。
サードへのライナーにショートの渥美も当然サード方面に動いていたが、サードのグラブを弾いた打球はその勢いは少しも衰えていなかった。その上、サードのグラブに当たっていたので、ライナーの軌道は変わっていた。それをキャッチしたのである。文章にすると長いが、一瞬の出来事で、目撃した時は、何が起こったか理解できないほどの一瞬の出来事だった。(サードのグラブを弾いたので、起動がショート方向に逸れたのは幸運だった)
ショートの渥美は、アボットのチームメイトで、アボットからいろいろなことを学んだという。
【訂正】
安倍晴明さんから、「グラブを弾いたのではなく、グラブを持つ腕のリストバンドをしていた部分に当たって跳ねたように見えた」というご指摘があり、録画してあった映像を確認したところ、おっしゃる通りでした。
サード選手の腕のリストバンド部分に当たって、ショート方面に跳ねていました。
安倍晴明さん、ご指摘ありがとうございました。
それはともかく、上野もアボットも凄い球を投げていた(北京五輪時と比べると、球速は若干衰えていたかもしれないが)。
この凄さは、五輪でメダルを獲得したかどうかに関わらない。投球そのもの、プレーそのものが凄いのである。
なのに、メダルを獲ったかどうかで、その評価は大きく変わってしまう。
やっぱり、五輪はない方がいいのかもしれない。
一昔前は、「スポーツの祭典」とか「参加することに意義がある」という言葉が聞かれたが、現代では選手が「人生を懸けて臨んでいる」感が充満している。報道もメダリストへの扱いも超加熱。
参加人数が絞られて、代表争いが過酷を極める競技もある。男女混合という意味に疑問(この件に関しては、アジア大会の記事で述べている)を感じる種目(陸上競技や競泳の男女混合リレーや柔道団体)ができた半面、体操競技は団体メンバーが5人から4人に減らされた(過去は6人だった)。
卓球も代表争いは熾烈を極めた。団体メンバーは3人。個人戦に出場できるのは2人のみ。他の種目としては混合ダブルスがあるが、普通のダブルスはない。
中国は単純に強さだけで(国際大会などの実績は考慮しない)ランキングを作ると、トップ15の内、中国選手が12人ぐらい入るのではないだろうか。五輪はそんな強い中国選手が2人しか出場できないので(他国に帰化して参加する元中国の選手はいるが)、代表になってしまえば、メダル獲得の可能性は世界選手権より遥かに高い。
冒頭の「五輪の存在意義の疑問」(これについても「オリンピックが競技を歪める その1」などで書いている)だが、今回、ソフトボールを観て、強く感じた。
ソフトボールは、1996年アトランタオリンピックから正式種目となり、2008年の北京五輪まで実施されたが、2012年のロンドン五輪で種目から外された。リオデジャネイロ五輪でも復帰はかなわず、2020年の東京五輪でも復帰は実現しないことがIOC総会で決定されたが、開催都市が追加できる正式種目として実施された。(次回の2024年パリ五輪では実施されない)
北京五輪で金メダルを争った日本とアメリカの両エース、上野、アボットが今五輪でもエースとして活躍していることがうれしい。称賛する。
ロンドン五輪以降、正式種目から外れてしまい、両者とも(他のソフトボールプレーヤーも)目標を失った。北京五輪後のソフトボール界の消沈ぶりに、上野は「北京五輪での大盛り上がりは何だったのか?」と述懐している。上野を立ち直らせたのは、宇津木監督の「これからは、他人のために投げなさい」という言葉だったという。
アボットも上野同様目標を失った。彼女は日本の実業団チームに入り、上野らと競うことに意義を見出した。おそらく、彼女は五輪に拘らず、プレーすること自体に楽しさや喜びを感じたのだろう。非常に大きい人間である。
東京五輪の決勝、日本×アメリカ戦は上野、アボットだけでなく、両チームすべての選手が激突?し、激闘、熱闘となった……素晴らしいゲームだった。
特に、2―0の6回ワンアウト、ランナー一、二塁という日本のピンチ。相手バッターのサードへの痛烈なライナー、三塁・山本優のグラブを弾き、レフトへ抜けると思われたが、その打球をショート・渥美が反応し、ノーバウンドでキャッチ。すぐさま二塁に送球し、アウト。ダブルプレーで、アメリカの逆転機は一瞬で消えた。
サードへのライナーにショートの渥美も当然サード方面に動いていたが、サードのグラブを弾いた打球はその勢いは少しも衰えていなかった。その上、サードのグラブに当たっていたので、ライナーの軌道は変わっていた。それをキャッチしたのである。文章にすると長いが、一瞬の出来事で、目撃した時は、何が起こったか理解できないほどの一瞬の出来事だった。(サードのグラブを弾いたので、起動がショート方向に逸れたのは幸運だった)
ショートの渥美は、アボットのチームメイトで、アボットからいろいろなことを学んだという。
【訂正】
安倍晴明さんから、「グラブを弾いたのではなく、グラブを持つ腕のリストバンドをしていた部分に当たって跳ねたように見えた」というご指摘があり、録画してあった映像を確認したところ、おっしゃる通りでした。
サード選手の腕のリストバンド部分に当たって、ショート方面に跳ねていました。
安倍晴明さん、ご指摘ありがとうございました。
それはともかく、上野もアボットも凄い球を投げていた(北京五輪時と比べると、球速は若干衰えていたかもしれないが)。
この凄さは、五輪でメダルを獲得したかどうかに関わらない。投球そのもの、プレーそのものが凄いのである。
なのに、メダルを獲ったかどうかで、その評価は大きく変わってしまう。
やっぱり、五輪はない方がいいのかもしれない。
★五輪による歪みについて
>五輪が競技の価値を高めていることも事実
ある意味そうですが、競技の価値そのものよりが歪みを伴って高められています。
もちろん、晴明さんの仰るように「諸国民やアスリートの意向を尊重することで、歪みを少なくすることを目指すべき」というのが理想ですが、実現困難でしょう。
とにかく、利権を配することができたとしても、マスメディアがメダル獲得や代表権争いをクローズアップする限り、歪(いびつ)さは、なくならないと思います。
五輪の競技数や各種目の参加人数が限られ、4年に一度という希少価値がネック。そもそも、4年に一度というのは、選手によってはピークが合わないという悲劇も生じます。
まあ、五輪に関しては水掛け論になりそうですね。
★ワクチン利権について
>わたしが主張するのは、「ワクチン利権>五輪利権」ではありません。「ワクチン利権>国民の利益」「五輪利権>国民の利益」です。
現状を観ると、「ワクチン利権>五輪利権」という考察が成り立つのですが、晴明さんの述べた論理は、そのことを重視しなくても成り立ちますね。なるほどです。まあ、私は「ワクチン利権>五輪利権」は重要な要素だとは思いますが、それはスルーしましょう。
>ワクチン利権のためには、まずコロナを抑えている感を出して、五輪が開催できなくならない程度にはギリギリ抑えながら、蔓延させる必要があります。これにより、ワクチン利権も五輪利権も確保しました。
「蔓延させる必要」とは凄い理屈ですね。
確かに、 晴明さんの仰る「ワクチン利権>国民の利益」「五輪利権>国民の利益」「国民の健康上の利益は完全に無視」という論理には合致しますね。
《そうか、今回の五輪でも五輪の利権は確保できるのか》と思ったら、「五輪効果はほとんどなかった」のですよね。
>それぞれの1%が闇献金されたと仮定すると約300億円
300億円ですか……
この闇献金、誰が手にするのでしょうか?
政府首脳?自民党幹部?……その他大勢の自民党議員は蚊帳の外?
"選挙が第一”(国会議員であることが第一)の自民党ですが、今回の事態で政権の維持は困難ですよね。まあ、文句や非難だけあれこれ言うのがその他大勢の自民党議員ですから、闇献金でごく一部の者にだけ潤うというのも、有り得るのかもしれません。
★五輪によって、競技存在の価値が歪められることについて
これについては、今の五輪が歪みを生み出していることは同感ですが、五輪が競技の価値を高めていることも事実だと思います。なので、五輪を無くすのではなく、IOCを解体的に再編して利権ファーストを排し、諸国民やアスリートの意向を尊重することで、歪みを少なくすることを目指すべきと考えます。
★ワクチン利権について
わたしが主張するのは、「ワクチン利権>五輪利権」ではありません。「ワクチン利権>国民の利益」「五輪利権>国民の利益」です。ワクチン利権のためには、まずコロナを抑えている感を出して、五輪が開催できなくならない程度にはギリギリ抑えながら、蔓延させる必要があります。これにより、ワクチン利権も五輪利権も確保しました。そして、五輪効果とワクチン接種効果により政治利権も保たれるというのが政権の目論見だったのでしょう。しかし、五輪効果はほとんどなく、ワクチン接種効果も少なく、政権維持は困難になっています。
しかし、すでに政権は大きな利益を得ているのでしょう。日本のコロナワクチン市場は新聞報道によれば1兆6千億円、東京五輪の放映権料もネット上の情報から1兆数千億円と推測されます。それぞれの1%が闇献金されたと仮定すると約300億円!資本主義の世の中ですから、当たらずとも遠からずではないでしょうか。秘密口座の壁は厚いでしょうが。
★ワクチンの効果について
政権は、ワクチンの効果や副作用について、検証するとワクチン接種推進=ワクチン利権の支障になるので、全くやる気がないように思われます。国民の健康上の利益は完全に無視です。
ワクチンはかなりの売り手市場だと思います。
その状況で、日本の政治家が膨大な裏金を得られるとは考えにくいです。
★五輪について
私も、五輪の利権主義は排すべきだと思います(排するのは非常に難しいですが)
でも、個人的には、五輪によって、競技存在の価値が歪められることの方に、問題を感じています。今まで、散々語ってきたので、ここでは語りません(語り始めると、相当長くなります。今の私には、そんな根性はありません)
メダリストだけが持てはやされる現状は、好きではないとだけ言っておきます。
★ワクチン利権について
これまでの議論では、ワクチン利権>五輪利権でしたよね。
そうでないと、今回の五輪開催の状況は説明できません。
確か、ワクチン接種を遅らせたのは意図的(感染を故意に蔓延させて国民にワクチン接種を強要する)という事でしたよね。
コロナ感染拡大によって、五輪開催がぼろぼろ状態になり、政府(自民党)信用も地に落ちました。
よって、「ワクチン利権>五輪利権」「ワクチン利権>政治利権」という図式が成り立ちます。
私には、この図式が信じられませんが、ワクチン売買の市場規模と五輪開催による収益を比較するだけの材料と検証する根性を私は持ち合わせていません。
もちろん私は、その検証(どちらの市場規模が大きいか)には関心がありますが、それより、ワクチンの有効性が気になります。
以前のデータだと、ワクチン接種による感染予防効果が92%程度あるとなっていましたが、最近のコメンテーター(医師ではない人が多い)は、「発症しなくても、他人に感染させる可能性があるのでマスク着用は必要だ」とかいう方が多いです。
それに、ワクチン接種していても感染する例が多数あるようですし。
また、ネットでは「ワクチンは有毒で接種してはいけない」と主張するコメントを見かけます。
国も、製薬会社のデータをそのまま受け入れるのではなく、ちゃんと検証してほしいです。(例えば、「ワクチン接種後、抗体はどの期間、有しているか?」「ワクチン接種2週間以上経過しているのに感染した人の、抗体情況はどうなのか?」とか)
五輪がない方が良いかどうかという点については、確かに今の五輪は利権主義でダメだと思います。
しかし、利権主義を排し、国民ファースト、アスリートセカンドくらいでできるなら、五輪はあった方が良いと思います。
では、なぜ利権主義になっているのか。IOCの利権主義を支えているのは、明らかに開催国の政権でしょう。国民の税金や健康等を犠牲にして、IOCを儲けさせている。その裏では、おそらく秘密口座に巨額の闇献金を受けているのでしょう。闇献金の元はと言えば、国民の税金が放映権料などに形を変えたものであり、このような腐った構造が五輪を歪めているのだと思います。ワクチン利権による政権への闇献金が新型コロナ対策を歪めている(感染を故意に蔓延させて国民にワクチン接種を強要する)のと同じ腐った構造だと思います。
ダブルプレーの件、確認しました。
ええ、おっしゃる通り腕のリストバンド部分に当たって、ショート方面に跳ねていました。
後で、本文を訂正します。ご指摘、ありがとうございます。
奇跡的なプレーで、呆然と立ち尽くすアメリカ選手の表情が印象的でした。
>これ以外にも、上野のフィールディングやアメリカの外野手のホームランキャッチ、日本人のヘッドスライディングなどなど、いいプレーがたくさん詰まったいい試合でした。オリンピックから消えるのは本当に残念な競技です。
ええ、本当にいい試合でした。
五輪から消えるのは本当に残念です。
そして、本文の主張を繰り返すことになってしまいますが、五輪そのものがない方が良いという側面も大きいです。
記事が長期間なかったのは体調が悪かったのですね。ご自愛ください。
さて、女子ソフトのダブルプレーですが、アメリカの選手も何が起こったかわからないという表情で、奇跡的なプレーでした。
ただ、細かい点ですが、あれはサードのグラブを弾いたのではなく、グラブを持った手のリストバンド付近に当たって跳ねたボールをショートが取ったように見えました。これは追及する価値のある瞬間だと思うので、細かい点ですが書いておきます。
これ以外にも、上野のフィールディングやアメリカの外野手のホームランキャッチ、日本人のヘッドスライディングなどなど、いいプレーがたくさん詰まったいい試合でした。オリンピックから消えるのは本当に残念な競技です。
最後に、コロナワクチンについての新たな記事を期待しています。
>アメリカ・ヨーロッパの都合で、夏にやるのは正直・・・・
ええ、そうです。
ヨーロッパで人気のない競技は外されますし、テレビ局の都合で、決勝種目が午前中になったり。
>お金に汚染されすぎましたかねぇ~~~
理念を云々言いますが、お金最優先ですから……
無かったです。
正直、返上しても良かったような気も
するのですが、他の国はもっと酷そうだし・・・・
(笑)
本題から外れたので元に戻します。
やはり五輪はあった方がいいかな、
と、思っています。
「マイナーな競技」を見たいので。
でもぉ~~~、アメリカ・ヨーロッパの
都合で、夏にやるのは正直・・・・。
ベストパフォーマンスが期待できない以上、
最高峰の競技は見られないと諦めざるを
得ないので、金メダルにもそこまでの
価値があるかどうかが・・・・。
いや、その前に・・・・正直、ちょっと
お金に汚染されすぎましたかねぇ~~~。
う~ん・・・・。サッカーの五輪は
いらないなぁ~~~~(笑)
ではではっ。