八月十五夜
つきごとに あふよなれども よをへつつ こよひにまさる かげなかりけり
月ごとに あふ夜なれども 世をへつつ 今宵にまさる 影なかりけり
八月十五夜
十五夜は月ごとに巡って来るけれども、世を経ても今宵八月十五日にまさる月影はないのだなあ。
中秋の名月を称賛しての詠歌。古来漢詩に詠まれてきた情景と詠嘆を踏まえての貫之の作歌とのことです。
八月十五夜
つきごとに あふよなれども よをへつつ こよひにまさる かげなかりけり
月ごとに あふ夜なれども 世をへつつ 今宵にまさる 影なかりけり
八月十五夜
十五夜は月ごとに巡って来るけれども、世を経ても今宵八月十五日にまさる月影はないのだなあ。
中秋の名月を称賛しての詠歌。古来漢詩に詠まれてきた情景と詠嘆を踏まえての貫之の作歌とのことです。
鹿の鳴ける
なくしかの こゑをとめつつ あきはぎの さけるをのへに われはきにけり
鳴く鹿の 声をとめつつ 秋萩の 咲ける尾上に われは来にけり
鹿が鳴く
鳴く鹿の声に誘われて、秋萩の咲く山の峰に来てしまったよ。
「尾上(をのへ)」は「山の頂」「峰」の意。鹿と萩の取り合わせも定番ですね。
初雁を聞ける
はつかりの こゑにつけてや ひさかたの そらのあきをも ひとのしるらむ
初雁の 声につけてや 久方の 空の秋をも 人の知るらむ
初雁の声を聞く
初雁の声が聞こえてくるにつけて、空が秋の気配を帯びてきたことを、人は知るのであるよ。
「久方の」は「空」にかかる枕詞ですね。
この歌は続古今和歌集(巻第五「秋下」 第459番)に入集しています。
たなばた
たなばたの うきふしならで よをふるは としにひとたび あへばなりけり
たなばたの うきふしならで 世をふるは 年に一度 あえばなりけり
たなばた
七夕の織姫と彦星が仲たがいもせずに過ごしているのは、年に一度の逢瀬があるからであるよ。
第二句「うきふし」は「憂き節」で辛く悲しいことの意。
夏神楽
ゆくみづの うへにいはへる かはやしろ かはなみたかく あそぶなるかな
行く水の うへにいはえる 川社 川波高く 遊ぶなるかな
夏神楽
流れる川のほとりの川社では、川波が高く、また神楽の音も高く響いているよ。
「川社」は、六月祓などに際して川のほとりに設けられる祠、またはそこで奏でられる神楽のこと。407 にも詠まれていましたね。