ヒヨドリに かじりし柿を もらわれて
梅士 Baishi
まだ暗いうちから、ヒヨドリが柿を食べに来た。
昨日のうちにまる一個食べてしまっていた。
食べかけていた柿を、ヒヨドリにやることにした。
ガラッと硝子戸を開けて鳥の盆を見たら、目の前にヒヨ
がいる。
逃げるのかと思ったら、手に持っている柿を見ている。
近づくと、我に返って飛んでいった。
昨年はほとんど近づかなかったヒヨドリだったが、今年は
よほど厳しい冬になるのだろうか、大接近である。
みずみずしいみかんも付け換えた。
すぐにメジロが飛んできて、チュンコ、チュンコと食べて
いる。
見飽きない、冬の小さな仲間たちであることよ。
【 危機のマネジメント 】
最近つくづく思うことがある。
仕事は真剣勝負。
上下関係だ、仲間関係だといって遠慮がちにするもの
ではないということである。
やるべきことをがむしゃらにやらなければならない。
かっこつけんじゃねえよ、といいたくなる場面が多々あ
る。
自ら実践しないマネジメントなんてありえないことである。
それでは人は動かないからである。
うまくゆかないことについて、「自分のやることに落ち度
はないのですが、この環境ですのでね」と深刻に語ること
がマネジメントではない。
それは責任逃れである。
やるからには結果を出す。
出そうになければ出るように早急に対策を打つ。
戦力が足りなければパートでも抜擢して使う、社員でな
くても使うのだ。
マネジメントとは監督ではない。
指揮である。
指揮で足りなければ自分も演奏側に回る。
演奏しながら指揮を執る。
一番汗をかくポジションなのである。
「ちょっとあんた、その指揮ずれてるよ」なんてのでは困
るのだ。
突撃間近の行進曲に、荒城の月では困るのである。
やはり、経営とは実力なのだ。
看板ではない。
解説・評論でもない。
亡国・民主党さんの国家マネジメントは、もう終わりにし
なければならない。
嘘つきの菅を総理にするとは・・・。
口先三寸の総理に、反日の仙谷というコンビが政権と
して実現してしまう日本という国は、一体なんなのだろうか。
せめて、防人となるべき企業経営までが、亡国民主党政
権のようであってはなるまい。
これから一年、真価が問われる。
国民まるごとの命運がかかっている。
戦さが始まっているのである。
立憲女王国・神聖九州やまとの国
梅士 Baishi