初夏の野に 狙いを定め 獅子の猫
中村 梅士 Baishi
今朝の気温は19℃、ずっと初夏が続いている感じで
ある。
もっとも梅雨入りしているのであるが、雨も少ない。
気候のよさか日中の暑さのせいか、昨日は夕方から金
縛り状態で仮眠が始まり、朝方まで12時間は寝てしまっ
た。
珍しいことである。
ランニングシューズが買い替え時期になった。
アシックスに決めてはいるが、サイズが難しい。
新しい靴はサイズが小さめで、自分も靴も、かかとを
痛めてしまった。
シューズ選びだけでも、沢山の情報と繊細な選択があ
るものだ。
走り方に応じた靴選びもある。
ともかく、試してみるほかはない。
今回は少し硬めでワンサイズ大き目のものを選んだ。
さて、どうだろうか。
カメラの趣味は、外に出る楽しみであり、健康に良い。
デジタルカメラの出始めは、CASIOのQV-10だった。
しかし、おもちゃに思えたものだ。
本格的だったのは、QV3000EXである。
334万画素は最先端に思えた。
なりは少し大きめだったが、軽くて画像も申し分なか
った。
どこかで失くしてしまった。
二台めを買ったがそれも遺失した。
タイに持参したときは大活躍した。
子どもたちが珍しそうに覗き込んでいた。
当時、オリンパス製の2000万画素のカメラもあったと
思うが、超高額な医療用だったと思う。
それが今では標準的になっている。
2000万画素クラスのカメラでも、フルサイズの一眼レ
フに慣れてしまうと、携帯カメラの画像は味がない。
ただ、日常的携帯性は便利ではある。
それで、通勤途中の風景として猫を撮ることにした。
写真であっても、動きのある写真、息遣いのある写真
は魅力である。
公園の猫は、まるで獲物に狙いをつけたライオンのよ
うに身構えている。
犬の、疑いを知らない忠実さや天真爛漫は人の心を癒
すが、猫の野生はドラマチックで面白い。
真夏の花、夾竹桃が五分咲きになった。
六月も五分、中旬になって、博多祇園山笠の飾り山の
小屋掛けが始まった。
肌寒い感じだが、着々と真夏の仕込みが進んでいる。
自分の仕事も夏の陣、本腰が入ってきた。
走り込むとしよう。
霊道を開くと言うメカニズムについて考えてみた。
仮説である。
三次元で覚醒している表面意識と潜在意識と言われる
本体意識とは霊糸線で結ばれているが、脳幹部でフィル
ターがかかり、通常は直通していない。
それでも夢を覚えていたり、直感やインスピレーショ
ンが働く形で情報が伝わることがある。
フィルターバルブが解放されて、霊道が開く状態にな
ると、霊感覚が直接働き、霊的能力が発揮されるように
なる反面、良からぬ霊も通行できるようになる。
強い霊がくると、支配される危険もある。
したがって、関門で悪霊を阻止できる本体霊のパワー
がないと危険である。
そうしたリスクを減らして、三次元人生に集中できる
ようにした生命の仕掛けが、霊道のバルブを閉じること
だったのだろう。
それでも、そのバルブをこじ開けられることがある。
体力低下、マイナス思考に囚われる生活、強烈な悪霊
の襲撃、滝行のような肉体行などが原因である。
バルブを開くと言うことは、関所を取っ払うことであ
り、いわば軍事的防衛体制を整えないと憑依による支配、
悪霊の奴隷になりかねないのである。
しかし、霊道を閉じていても、日頃から体力、気力、
メンタルの平静を訓練しておくべきである。
君子、危うきに近寄らずではあるが、戦いを余儀なく
されるのが世の常である。
ましてや、地獄への救済活動をする天使にとって、防
衛力は救済力ともなる。
軍事力を禁止したままの日本は、アメリカの庇護の下
で正常を保っているが、軟弱で不自由でもある。
悪霊、悪魔に対する兵士、それが出家の定めでもあろ
う。
エクソシストのプロである。
その覚悟無くして、「出家」はできない。
幸福の科学の職員が石のお地蔵さんのように見えると
いうフミフミの感想は、職員の軍人の姿を見ているのだ
ろう。
私利私欲に信仰との接点はない。
悪霊・悪魔と戦う覚悟無くしては、信仰の道は進めな
い。
そうした覚悟を持って、もう一度、「出家者たち」へ
の再評価と、自分の信仰を見直したいと思う。
しかし、ユーモアとクリエイティブを失っては、やは
り石のお地蔵さんにフリーズしてしまうのではないか。
そこに、もう一段の悟りがあるのだろう。
出家者たちのパワーアップと在家者たちのパワーアッ
プが共に求められている。
日本国独立宣言・神聖九州やまとの国
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