年の瀬の 弦の調べの 喜びを
落ちるもみじの ひと時に乗せ
中村 梅士 Baishi
師走も真ん中にきた。
もみじも落ち葉となって過ぎ去りつつある。
床の中で四重奏曲を聴きながら、ああ、いい音だなあと
満足する。
一流の演奏が、上質のオーディオサウンドとして聴ける
というのはなんとも幸せなことである。
それは今だけの幸せかもしれない。
この世の幸せは儚いものだからである。
しかし、失うことよりも、今ある幸せを喜びたいと思う。
昨日のエル・カンターレ祭は仕事に夢中になっているう
ちに始まった。
全国3,500か所で衛星放送されたというから、数十万人
が視聴できたのだろう。
就寝して、守護霊の中継にアクセスした。
埼玉の会場がイメージに浮かんだ。
ステージに登場したのは、巨大な天御祖神の姿だった。
危機の警告と救世の思いが語られるのだろうなあと直感した。
そのうち、深い眠りに落ちてしまった。
文明の末期は唯物論的価値観に破綻するものである。
現代の唯物論はダーウィンの進化論とマルクスの共産主
義思想によって世界中に拡散した。
スターリン、ケザワ東、シュー菌平による残忍で大量の
虐殺が繰り広げられた。
資本主義国が次々と共産主義の謀略に侵食されている。
総裁が法を説かれたスリランカまでが中共の植民地同然
になったことは残念でならない。
そしてまさか、アメリカまでが・・・。
バイキン大盗領は所詮、黴菌でしかない。
文明末期の資本主義(自由経済主義)は、ベルゼベフの
拝金思想に染まっているものだ。
欲得商業主義である。
麻薬密売と同類であろう。
経世済民ではなくなっているのである。
もはや手遅れにも思われるが、エル・カンターレは、ま
だ未来は変えられると、信仰の勝利を確信されている。
末端の自分にはその道筋は見えない。
思い切った行動の時期かもしれない。
来年はそういう決断の時期になりそうである。
人生の最期になるか、転機になるか、どちらかだろう。
悔いなく生きねばならない。
日本国独立宣言・神聖九州やまとの国
New Asia Happiness Party