忘れ柿 山里深く 賑わいぬ
中村 梅士 Baishi
柿の風景と言うのは良いものだ。
豊かだが、純朴で温かい。
鳥たちにとっては今年最後のご馳走でもある。
今日は高校時代に戻ったかのように、ずる休みを決め込
んだ。
恒例の行事だが、いつものような明朗快活な心境にはな
れないからである。
楽しい恒例の行事は次々と廃止され、卒業式や入学式も
縮小してスタッフ以外の参加は排除された。
卒論発表会以上にけじめの行事だろうに。
企業権力に対抗する穏当な方法が怠業である。
大人のずる休みである。
職場では長いこと、わがままで自由闊達な仕事をさせて
もらった。
しかし、状況が激変した。
CIAならともかく、AIを導入して、締め付けの強い管理
社会に組み直しているのである。
講師を小遣い稼ぎと見なしつつ、養鶏場のように管理し
ようというのだから厚かましい。
人に敬意を払わず、人件費を削り込み、しかも養鶏化し
ようというのが「新しい資本主義」の先駆とでも思ってい
るのだろう。
『メシアの法』『減量の経済学』にざっと目を通したが、
驚くべき内容で、何度も読み直す必要を感じる。
霊的人生観とこの世の存在形式との整合性は難しい。
霊界のヒエラルキーとこの世のヒエラルキーは大幅にず
れているからでもある。
人間の本質が霊だということは確信していても、この世
をいかに生きるべきかは難しい人生問題だ。
ともすると、事なかれ主義で安楽に過ごすことがまとも
な人間なのだという価値観が大勢を占めているであろう。
この世の最大の問題は貧困だという価値観こそが問題な
のだ。
貧困とは自己保身の恐怖感だからである。
貧困をどう克服するかという発想が、四苦八苦を呼び込
むものであるが、この世では動物的感覚が強いからだ。
結局、生老病死や貧困の克服が人生課題なのではない。
自己中心、自己保身を忘れて、人のために何ができるか
という「与える愛」の探究が仕事であり、修行とすべき課
題なのである。
人生の最後くらいは、霊的人生観に殉じたいものだ。
これが、武士道であろう。
組織にあっては「葉隠れ」である。
与国秀行さんの辻説法をU-Chuで視聴した。
現代のアングリ・マーラーが自分でもあるのだと告白し
つつ、そんな自分の地獄的魂を最後に救ってくれたのが大
川隆法総裁の『太陽の法』だったと。
人間にとって、手放してはならないのが信仰であり、宗
教なのだと訴える。
アングリ・マーラーならずとも、何のために生きている
のかが分からない迷妄の人生の中で幸福の科学に出会った
ときの衝撃は誰しも同じであろう。
キリスト教の信仰告白がトゥワイス・ボーンだったとす
るなら、幸福の科学の法との出会いはミラクル・ボーンだっ
たと言える。
幸福実現党の活動もまた、伝道にこそ本質がある。
国際情勢を読み解きながら必要な警告と智慧を伝えるこ
とも重要な政党活動であるが、信仰民主主義の政党として
は、その根底に伝道活動がなければならないのである。
幸福実現党には、信仰に基づいた政治の在り方を説く使
命があるというべきである。
小さな政策批判に終わってはならない。
常に信仰の大切さを語ってほしいと思う。
与国さんの辻説法はそのことに気付かせるものだった。
日本国独立宣言・神聖九州やまとの国
New Asia Happiness Party