「仮面ライダーキバ」を見ていて思うこと。
ストーリーや登場キャラについても色々と思うことはあるが、何より、過去編を見ていて、舞台である1986年に思いを馳せることが多い。
ということで、今日は、いくつかの特撮関連誌でも企画されている、「プレイバック1986」。つまり、私の1986年を振り返ってみることにします。
私にとって1986年最大のトピックスは、小学校を卒業して中学校に入学したこと。
卒業式のことも幾つか覚えているけれど、やはり、真新しい制服(学生服ではなくブレザー)を着て、入学式に出た時のことの方が印象深い。
私の入学した学校は、1つ上の学年までは、1学年12クラスという超マンモス校だったのだけど、この年、近郊に新しい学校が出来たことで、1学年9クラスとなった。(それでもマンモス校には変わりないけど)
で、私が入ったのは、9クラスの最後の9組。小学校は5組までしかなかったので、「9組」という響き自体がすごく新鮮に感じられたのを覚えている。(その後、高校では、11組あるうちの10組になったけど(笑))
3つの小学校から生徒が集まってくる形になっていたので、新しいクラスの大半は初対面の奴らばかりだったが、割とすんなり打ち解けることができ、友達も沢山作ることが出来たように記憶している。
また、男女共に仲が良く、団結力のあるクラスだったので、学校祭とか合唱コンクールでも、大変な思いをしながらも、和気藹々楽しみながらやれた記憶がある。
担任の先生は、当時確か50歳くらいの理科の先生。
この先生は、ゲンコツの痛さで定評のある先生で、普段は温厚だが、何かイタズラをしたり、規律を乱すような行動を取った生徒は容赦なく叱り、時にはゲンコツを頭にということで、しっかりとした信念で生徒の指導に当たられていたのが印象深い。
最近の学校では、ゲンコツとかビンタなんてのはもってのほかみたいになっちゃってると聞くけれど、こういう先生を知っている世代の私としては、ちょっと寂しいような気もしたりして・・・。
学校生活以外では、当時の私はプロ野球に夢中で、この頃は、「週間ベースボール」を毎週買っていて、読者投稿コーナーにも採用されたことがあるほどだった。
当時好きだったのは西武ライオンズだったが、この年は、広島東洋カープとの日本シリーズで、3敗1引き分けの崖っぷちから、見事に4連勝して逆転Vを果たしたのが印象深い。とりわけ、伝説となっている、秋山浩二選手の、「バック宙ホームイン」は、見ていて本当にしびれたものだった。
そして、86年のプロ野球と言えば、先日、感動の引退セレモニーで最後を飾った、清原和博選手が西武に入団した年。
前年の秋、意中だった巨人から指名されなかったことで見せた涙は、小学生だった私も、何だかとても複雑な気持ちにさせられた。
この年の開幕直後、西武球場の南海ホークス(懐かしい~!)戦で放ったプロ初ホームランは、ちょうどテレビ中継で見ていたこともあって、今でも鮮明に覚えている。
あれから22年。「完全燃焼」とはいかなかった部分もあったようだけど、常にファンを魅了し、感動を与えてくれた清原選手、本当にお疲れ様でした。
今に通じる話で言うと、この年は、戦隊が「超新星フラッシュマン」で、メタルヒーローが「時空戦士スピルバン」が放送されていたのだが、当時は年齢が上がるにつれて、こうした番組に対する興味も薄れかかっていた頃で、実は、どちらも、途中で見るのを止めてしまっていた。
今にして思うと、すごく後悔させられることなのだけど、あれから20年以上経った今、あの時以上にハマることになろうとは、よもや想像もできなかっただろうと思う。
最後に1つ。
もし自分が、「キバ」劇中と同様、22年前にタイムスリップできるとしたら、どの場面に行きたいか?
考えたけど、22年後の状態を当時の自分に告げて、「フラッシュマン」と「スピルバン」を最終回まできちんと見るように言うぐらいしか思い浮かばないです・・・。(笑)
ストーリーや登場キャラについても色々と思うことはあるが、何より、過去編を見ていて、舞台である1986年に思いを馳せることが多い。
ということで、今日は、いくつかの特撮関連誌でも企画されている、「プレイバック1986」。つまり、私の1986年を振り返ってみることにします。
私にとって1986年最大のトピックスは、小学校を卒業して中学校に入学したこと。
卒業式のことも幾つか覚えているけれど、やはり、真新しい制服(学生服ではなくブレザー)を着て、入学式に出た時のことの方が印象深い。
私の入学した学校は、1つ上の学年までは、1学年12クラスという超マンモス校だったのだけど、この年、近郊に新しい学校が出来たことで、1学年9クラスとなった。(それでもマンモス校には変わりないけど)
で、私が入ったのは、9クラスの最後の9組。小学校は5組までしかなかったので、「9組」という響き自体がすごく新鮮に感じられたのを覚えている。(その後、高校では、11組あるうちの10組になったけど(笑))
3つの小学校から生徒が集まってくる形になっていたので、新しいクラスの大半は初対面の奴らばかりだったが、割とすんなり打ち解けることができ、友達も沢山作ることが出来たように記憶している。
また、男女共に仲が良く、団結力のあるクラスだったので、学校祭とか合唱コンクールでも、大変な思いをしながらも、和気藹々楽しみながらやれた記憶がある。
担任の先生は、当時確か50歳くらいの理科の先生。
この先生は、ゲンコツの痛さで定評のある先生で、普段は温厚だが、何かイタズラをしたり、規律を乱すような行動を取った生徒は容赦なく叱り、時にはゲンコツを頭にということで、しっかりとした信念で生徒の指導に当たられていたのが印象深い。
最近の学校では、ゲンコツとかビンタなんてのはもってのほかみたいになっちゃってると聞くけれど、こういう先生を知っている世代の私としては、ちょっと寂しいような気もしたりして・・・。
学校生活以外では、当時の私はプロ野球に夢中で、この頃は、「週間ベースボール」を毎週買っていて、読者投稿コーナーにも採用されたことがあるほどだった。
当時好きだったのは西武ライオンズだったが、この年は、広島東洋カープとの日本シリーズで、3敗1引き分けの崖っぷちから、見事に4連勝して逆転Vを果たしたのが印象深い。とりわけ、伝説となっている、秋山浩二選手の、「バック宙ホームイン」は、見ていて本当にしびれたものだった。
そして、86年のプロ野球と言えば、先日、感動の引退セレモニーで最後を飾った、清原和博選手が西武に入団した年。
前年の秋、意中だった巨人から指名されなかったことで見せた涙は、小学生だった私も、何だかとても複雑な気持ちにさせられた。
この年の開幕直後、西武球場の南海ホークス(懐かしい~!)戦で放ったプロ初ホームランは、ちょうどテレビ中継で見ていたこともあって、今でも鮮明に覚えている。
あれから22年。「完全燃焼」とはいかなかった部分もあったようだけど、常にファンを魅了し、感動を与えてくれた清原選手、本当にお疲れ様でした。
今に通じる話で言うと、この年は、戦隊が「超新星フラッシュマン」で、メタルヒーローが「時空戦士スピルバン」が放送されていたのだが、当時は年齢が上がるにつれて、こうした番組に対する興味も薄れかかっていた頃で、実は、どちらも、途中で見るのを止めてしまっていた。
今にして思うと、すごく後悔させられることなのだけど、あれから20年以上経った今、あの時以上にハマることになろうとは、よもや想像もできなかっただろうと思う。
最後に1つ。
もし自分が、「キバ」劇中と同様、22年前にタイムスリップできるとしたら、どの場面に行きたいか?
考えたけど、22年後の状態を当時の自分に告げて、「フラッシュマン」と「スピルバン」を最終回まできちんと見るように言うぐらいしか思い浮かばないです・・・。(笑)