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先日紹介した「称名寺」の隣にある「実行寺(じつぎょうじ)」という日蓮宗の寺院。
1655年に、清寛という僧侶が、草庵を結んだのが起源とされる歴史ある場所です。
(「庵」とは、ごく少数の常住者が管理する仏教施設で、それより規模が大きくなれば「院」となり、さらに本格的な仏教活動を行うようになると、「寺」号を公称するようになります)
箱館開港後はロシア領事館としても利用され、現在の建物は、1918年(大正7年)の建築です。
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敷地内には、鎌倉時代の日蓮宗の僧、日持上人の像が設置されています。
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ですが、この記事で紹介したいのは、先の像やお寺そのものではなく、お寺の裏にあるスポットです。
何があるのでしょうか?早速行ってみましょう。
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お寺の裏はこうして墓地になっており、その中を進んで行きます。
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途中で、このような山道になります。
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3月中旬なので、まだ少し雪も残っていますが、この日は地面も乾いていたので、足下を気にすることもなく進んで行けます。
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五分程登って行くと、こんな場所に辿り着きます。
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そこに祀られているこの石が、今回紹介したいスポットです。
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これは、「夜泣き石」と呼ばれる石。
元は函館山の山頂にあったのが、1899年(明治32年)に、山の要塞化のため、小さくしてここへ下げられたとされています。
「夜泣き石」という名の由来は、昔、悪人に殺された母子が大きな石の下に埋められ、そこから毎晩泣き声が聞こえたので、日持上人が供養のため、「南無妙法蓮華経 大日天王大月天王 後五百歳中広流布」と石に墨書したところ、泣き声がやんだという話に由来しています。
日持上人が唱えたというその題目は、1816年に、この石に刻まれたとされています。
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最後に、この石の周辺についてさらっとご紹介。
読み取りにくいかもしれないけれど、「観音コース」と書かれています。
実は函館山麓には、西国三十三ヶ所霊場へ巡礼したいけれど、遠くてとても・・・、でもご利益には預かりたい・・・という人のために、1834年に、北海道三十三ヶ所霊場というのが置かれているのです。
1899年に、函館山が要塞として指定されると、三ヶ所を除いて、湯川村(現在の湯の川温泉付近)に移されることとなりましたが、これについても、機会を見て一度紹介したいと思います。