北の風に吹かれて~独り漫遊記~

町歩きを中心に、日々の出来事を綴ります。 
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続:百貨店の歴史

2017-11-06 20:47:50 | 函館
先月の東京のレポを終え(「遠足」が予定どおりだったらまだ終わっていなかったのだろうけど)、「はこだて検定」も終わったら、また函館に関する記事を再開しようと思い、ネタのストックもしていましたが、再開一発目は、この話題にしようと決めていました。





今更説明不要の「棒二森屋百貨店」。
1937年に「金森森屋百貨店」と「棒二荻野呉服店」という二つの店が合併して「棒二森屋百貨店」となったという話を5月に書いていましたが、この時、「金森森屋百貨店」のルーツついて触れていながら、片割れである「棒二」の方にについてはその時点ではわからず、「よし、調べてみよう」ということで文章を締めていました。
あれから半年、色々と調べてみて、ようやく屋号の意味に関する記述を発見しました。

写真に、屋号を示す、ひらがなの「に」を模したロゴマーク(縦「棒」とカタカナの「ニ」)が写っているけれど、これは、縦棒を「ぼー」と読み、カタカナの「ニ」と合わせてと「ボーニ」としています。
この屋号は、棒二荻野呉服店の初代である荻野儀平の考案によるもので、縦棒の「ボー」とは、天秤棒のこととされているそうです。
この天秤棒によってバランスを保ちながら荷を担ぎつつ、「ニ」に描かれている二本の棒を杖として、担ぎ棒(天秤棒)が折れた場合の備えとしているというのがこの屋号の意味なのだそうで、このことから、軸をしっかりと確立させつつ、それにもしものことがあった場合の備えも万全にしておくという、商売に対する周到さが窺えます。

百貨店のルーツである「棒二荻野呉服店」は、1882年、近江(滋賀県)で呉服商を営んでいた荻野儀平が、上磯町(現在の北斗市)戸切地地区に商店を開業したのがはじまりとされています。
その後、北海道開拓の進展につれ、函館の発展がめざましいことに着目した儀平は、1889年に上磯町の店を閉めて函館市内で開業。開業した店舗は、函館市内でも随一の店舗として栄えることとなりました。
1911年、儀平の長男である荻野清六が家督を相続し、「棒二森屋百貨店」の初代社長となりますが、この清六は、ワンマン社長であったとされつつも、常に万が一のことを考えるということを運営の基本方針としていたそうで、ここにも、儀平が考案した屋号の精神が現れていると言えると思います。

しばらく函館駅前にも行っていなかったので、近いうちに、久しぶりに棒二森屋に行ってみて、ゆっくり店内を見て歩こうと思います。
そこで何か発見したら、また紹介します。
コメント
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