旧幕府軍の兵士約3,000名と、新政府軍の兵士約10,000名が戦った箱館戦争。
旧幕府軍の構成メンバーとしては、榎本武揚、土方歳三など、よく知られた名前も多いけれど、そういえば新政府軍ってどんな人物がいたんだろう?
例えば函館護国神社にある「新政府軍の墓」に祀られている人物は・・・。
ということで、久しぶりに函館護国神社に行ってきました。
鳥居から敷地内に入って少し進んだところにある石碑。
この「招魂場(しょうたんば)」というのは、官軍、つまり新政府軍の戦死者の墓として、1869年に函館、松前、江差に設けられたもので、同年、箱館戦争で殉難した政府軍兵士を祀るために創建された「招魂社」が、1939年に函館護国神社と改称されています。
この石碑は、時の箱館府知事だった清水谷公考の揮毫とされ、高田屋嘉兵衛の弟・金兵衛が、失業していた人々に賃金を払って、近くの住吉の海中から大石を引かせて引き揚げさせた巨石「亀石」の一部が使われているとされています。
新政府軍の墓は、正門から入り、本殿手前を右に進んだところにあります。
こちらが、「旧官修墳墓」という新政府軍の墓。
1869年8月に、降伏した旧幕府軍兵士達の手によって造成され、165柱が祀られているとされています。
どんな人物が祀られているのかと調べてみたけれど、旧幕府軍と異なり、「はこだて検定」の公式テキストや歴史関係書物に出てくるような名前としてピンとくるような名前はなかったというのが正直なところですが、一人紹介するとすれば、旧幕府軍に潜入しての弁天岬台場にあった大砲破壊を手引きしたとされる、斉藤順三郎という人物がいるそうです。
旧幕府軍に潜入してスパイのような活動に従事し、それが露見して、新撰組によって逆さ吊りにされた挙句斬首されるという壮絶な最期を遂げた人物だそうです。
一つの知識として覚えておきたいと思います。
これは、薩摩藩戦死者の墓だそうです。
ちょっと目についたので撮ってみましたが、これは、箱館戦争に関連するものではなく、「二十七八年戦役 従軍烈士弔魂碑」という、1894年(明治27年)~1895年(同28年)の日清戦争で戦没した将士の弔碑だそうです。
新政府軍だけかと思っていたら、函館護国神社には、日清戦争や日露戦争、果ては太平洋戦争に至るまでの、13,000余柱の御霊が祀られているのだそうです。
この数までは「はこだて検定」のテキストには出てこないけど、受験用の知識として覚えておいて損はないと思います。