湖面は見えないけれど、春採湖の側にある広場。
休日になると、野球やサッカーなどを楽しむ小学生(たまに大人も)が見られます。
そこにはこんな看板が立てられています。
事業の趣旨は分かるのだけど、こういう看板があるということは、何か、アイヌ民族の歴史に関わるような由緒ある場所だったりするのかなとずっと思っていました。
少なくとも、現在はそれらしい痕跡はありませんが・・・。
その広場の隣に、廃校になって建物がそのまま残っている小学校があります。
先日図書館で読んだ資料によると、かつてこの場所には、アイヌ民族のチャシ(アイヌ民族が築造した城砦)があったそうで、釧路市内のチャシとしては有名な「お供え山」こと「モシリヤチャシ跡」よりも歴史が古いものだったそうです。
それが、昭和29年(1954年)の小学校建設により取り壊され、現在は特段の痕跡もないということだそうですが、広場に設置されている看板は、もしかするとこのことと関係あるのかもしれませんね。
展開中という「イオル再生事業」というのも興味深いです。今後、何らかの施設が建てられたりするのかな?