コロナ禍で、今年は一度も利用することがなかった釧路空港。
このまま、昨年5月の上京が最後の利用になってしまうのかなあ・・・。
ま、それはそれとして、この釧路空港は、昭和36年(1961年)に現在地で開業し、今に至っていますが、釧路市内には、これ以前にも、「飛行場」が存在していたことを、つい先日知りました。
釧路市郊外の、一面原野状の土地。
ソーラーパネルがちらっと見える以外は、何も施設はありません。
なるほど、釧路市有地でしたか。
写真の位置は大体この辺りなんだけど、昭和12年(1937年)、北方防備の拠点として、この辺りに、50haの飛行場が着工されました。
しかし、札幌への定期便就航が計画されるも実現に至らず、戦局を受けて軍用に転用されるも、利用されることなく終戦を迎え、再び民間飛行場となりましたが、現在の釧路空港開港と入れ替わりに、廃止されたそうです。
住宅街と市有地の境。
古い地図によると、当時の空港は、フェンスの向こうの土地と現在の住宅街とに跨っていたようです。
ここにあった飛行場は、当時、全国に飛行場を建設するために発行された「愛国切手」という切手の売り上げによる基金を充当したことから、「愛国飛行場」という愛称で呼ばれていたそうですが、ここでピンときたことが一つ。
釧路市郊外の住宅街として有名な「愛国」というエリア。
「もしかして、地名の由来って、空港の愛称と同じ?」って思ったところ、どうやらそのとおりだそうです。
帯広市郊外にある「愛の国から幸福へ」のフレーズで有名になった「愛国」という地名は、北海道開拓と殖民が進められた明治期に、この地に愛国青年団という名の開拓団が入植したことに由来するそうですが、釧路市の「愛国」にはそのような由来があったのですね。
これは面白いネタを発掘できたと思ったので記事にしましたが、図書館で読んだ資料によると、「釧路で初めて飛行機が飛来した場所」は、ここではなく、別なエリアなのだそうです。
ということで、次回はその話を。