釧路市の郊外にある「文苑」というエリア。
他の地方から釧路に来た人は、音読みで「ぶんえん」と読んでしまいそうになりますが・・・、
正しくは、訓読みで「ふみぞの」と読む、釧路市内でも難読地名に分類されるエリアです。
そこで、どういう由来があるのか、ちょこっと調べてみました。
元々この辺りは、「愛国」エリアの一角だったそうですが、平成3年(1991年)1月に土地区画整理事業が始まった際、事業主体として「文苑土地区画整理事業組合」が発足したのが、「文苑」という地名の始まりだったそうです。
地名に使われている「苑」という漢字は、「ものを寄せ集めた所」という意味があるそうで、漢和辞典で用例を調べてみると、ズバリ「文苑(ぶんえん)」という言葉が掲載されていて、「文学者の世界・文壇」という意味であることが記されています。
この点について、地名の「文」は、昭和63年(1988年)にこの近くに設立された「釧路公立大学」という題額を念頭に置いたものだそうで、そう考えると、勉学に励む若者の集まりであるこの場所を、先述した「文苑」の意味になぞらえて、地名となることを見越して、区画整理事業組合の名前としたのではないかという考えも成り立つのかなと思います。
これが、その「釧路公立大学」。
この大学があるのは、「文苑」ではなく「芦野」というエリアで、また、この大学は経済学部だけの単科大学で、文学部は置かれていないのですが、「文」の文字が、この大学を念頭に置いていたということは、どうやら本当のようです。
ということで、地名の由来を書いた後で、昨日の記事の続き。
29年前の平成3年12月21日~22日にかけて、私は何をしにわざわざ釧路まで来ていたかと言うと、実は、この大学の前まで来ていました。
私は翌年の春、高校を卒業した後、豊平区にある「北海学園大学」に入学しましたが、平成3年12月の段階では、センター試験を経て、この大学を受験することを目標に据えていたので、当時はまだ「オープンキャンパス」なんてものはどこの大学でも行われていなかったけれど、受験勉強の息抜きとイメージ作りを兼ねて、ちょっと行ってみようと思い立って、はるばる釧路までやって来たという次第でした。
結果は、センター試験が散々な結果に終わったこともあり(それだけではないのだけど)、私大の中では第一志望だった「北海学園大学」に入学することになりましたが、29年前の今日、そういう目的で釧路に来ていたことは、毎年この時期になると思い出す出来事として、私の記憶に刻まれています。