JR札幌駅と桑園駅の中間地点辺りに、このような標柱があります。
「延命地蔵尊」。どういう由緒のあるお地蔵様なのでしょうか。
ほほう、なかなか立派な造りですね。
しっかりと開かれた目が、何かをじっくりと見据えているようにも見えます。
これが延命地蔵尊の由来なのですが、「事故」とか「踏切」という文字が目に留まります。
お地蔵さまが見据えるのは、JR函館本線の高架。
鉄道を見守っているのかなとも思いますが、そういうわけでもないようです。
お地蔵様の近くの幹線道路。
真っ直ぐ行くと、定山渓方面に続く、通称「石山通」という道路になります。
その道路とJRの高架が交差する場所。
現在の函館本線の前身、官営幌内鉄道が走っていた明治~大正の頃、この道路と鉄道は当然のことながらまだ平面交差でしたが、この時期は、踏切があっても、まだ警報機なんて技術も発達していないため、渡る人も、耳をそばだてて列車の音が聞こえるかどうかで渡るかどうかを判断しなければなりませんでした。
しかし、この辺りは現在のような住宅街ではなく、まだ樹木が生い茂っていて見通しが悪く、冬には、列車の音が聳え立った雪壁に吸収されて聞こえにくくなり、そうした要因が重なって鉄道事故が多発し、誰言うともなく、その踏切は「魔の踏切」と呼ばれるようになりました。
やがて大正15年(1926年)、踏切事故の犠牲者の供養のため、地元住民たちは地蔵尊の建立を計画し、翌昭和2年(1927年)7月20日に完成したのが、高さ2.6mと、当時としては前代未聞と言われた巨大なお地蔵様でした。
碑文にもあるとおり、それまで「魔の踏切」で不幸にして命を落としてしまった人の数は、実に364人にも及んだそうですが、やがて踏切に警報機と遮断機が設置されて事故は大幅に減少し、昭和47年(1972年)の札幌冬季オリンピックの直前に現在のような立体交差となって、「魔の踏切」というのは過去の呼び名となったというわけです。
このお地蔵様は今回初めて訪れてみましたが、これもまた、しっかりと語り継がれていってほしい歴史だなと思いました。
「魔の踏切」は、延命地蔵尊のすぐ北西に位置する、道路と鉄道が交差する箇所です。