昨日の続き。
現在は片側1車線のそれほど広くない道路ですが、ここに市電が走る計画があったということは、当然のことながら、道路の計画はもっと広かったということ。
だとすると、写真左側の高層マンションの敷地も、今ほど広くはならなかったということですかね。
真っすぐ進むと、中央分離帯が見えてきました。
道路が一気に広くなっています。
「二十四軒・手稲通」という幹線道路ですが、ここは、部分的に「西24丁目通」という通称になっています。
中央分離帯のある区間はそれほど長くなく、また、その割には交通量もそんなに多くありません。
ここは、職場から自宅まで、自転車で通勤するときにはよく通るのだけど、20年前、前回札幌に勤務していたときから、何でここだけこんな広くなっているんだろうと、不自然に思っていました。
実はその真相は、市電を通すことを前提に整備されたということだったのです。
「札幌駅前通」こと、「北5条・手稲通」との交差点。
なるほど確かに、中央分離帯の位置に軌道が設置されても、片側2車線で十分過ぎるくらい余裕がありますね。
(ここまでの経路)
市電には関係ありませんが、ついつい電柱をチェックしてしまいました。
「北町」とは、「円山北町」という、この辺りの通称を意味しています(行政地名ではありません)。
「北5条通」を札幌駅方向へ進むと、「西20丁目通」という道路との交差点に辿り着きました。
以前、「北1条通」を歩いたときの記事でも書きましたが、当時、現在の「北1条通」は「西20丁目通」の交差点までで、その先は一面の野菜畑だったそうです。
ということは、もしかすると、「北5条通」も同様だったのかもしれません。
そこでこの写真。
赤丸で囲んだ「中央市場通」という停留所は、札幌駅前から西へ向かう路線の終点でした。
そう、その「中央市場通」の停留所があったのが、この交差点の右上方向で、ここから、琴似方面へ市電が延伸される計画があったということなのだそうです。
せっかく軌道設置を想定した広い道路も整備したのに、その先で、用地買収がうまく進まなかったために、市電の延伸計画は頓挫してしまいましたが、もし計画どおり市電が延伸されていたら、後年の地下鉄東西線の計画にも少なからず影響は及んだことと思われ、琴似の町も、今とは違う発展の仕方をしていたのかもしれません。
この「中央市場通」から先の市電跡地も、後日ゆっくりと歩いて、痕跡でもあれば紹介したいと思います。
さ、今夜は、昨夜録画した「ブラタモリ」でも見ますか。
テレワーク続きで曜日の感覚がなくなりつつあるけど、明日は出勤、明後日は休暇の予定です。