北の風に吹かれて~独り漫遊記~

町歩きを中心に、日々の出来事を綴ります。 
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札幌の銀行の歴史

2023-07-18 19:27:18 | 札幌

 

 

札幌市中心部にある「日本銀行札幌支店」。

個人的に利用する機会はまずないと思いますが、仕事では、同じ部門で、入ったことがあるという人がいると聞きました。

かなり厳重なガードという印象がありますが、中はどんな構造になっているのか、興味があります。

 

 

 

先程の建物から離れた所にある、信販会社の看板が出ているビル。

元々、「日本銀行」の札幌出張所は、この場所にありました。

 

「日本銀行」は、明治14年(1881年)、大蔵卿(現在の財務大臣)に就任した「松方正義」が、中央銀行を創立して通貨価値の安定を図るとともに、中央銀行を中核とした銀行制度を整備し、近代的信用制度を確立することが不可欠であると提議したことに端を発する機関で、その翌年、「日本銀行条例」が制定され、同年10月10日、正式に「日本銀行」として業務が開始されるに至りました。

業務開始後、全国各地に支店や出張所が開設されることとなりましたが、北海道には、明治26年(1893年)に、札幌、函館、根室(明治15年(1884年)2月から四年間続いた「三県一局時代」の「三県」の所在地)に出張所が開設されました。

その二年後、函館出張所が北海道支店に昇格し、同39年(1906年)に札幌出張所は閉鎖されましたが、昭和17年(1942年)、現在の大通西4 丁目に「札幌支店」が開設され、同36年(1961年)に現支店が現在地での業務を開始しています。

 

因みに、写真のこの場所には、日本銀行札幌出張所の以前は、全国の私立銀行第1号である「三井銀行」の出張所がありました。

明治14年の日本銀行創立の提議に当たっては、当時の「三井銀行」の為替方を廃止するという流れもあったそうです。

 

 

 

昭和17年(1942年)に日本銀行札幌支店が開設された場所には、現在、「北海道銀行」の本店が建っています。

戦前にも「北海道銀行」という機関はありましたが、現在の「北海道銀行」は、戦後の経済復興で高まる資金需要に応えるべく、昭和25年(1950年)に行われた全道中小企業会及び全道商工会議所大会において新銀行の設立が決議されたことを受けて、昭和26年(1951年)3月に発足したもので、現在は「道銀」の通称で、計144の支店、出張所を擁する北海道の主要金融機関となっています。

因みに、私のメインバンクもこちらです(本店ではありませんが)。

 

 

 

 

道銀本店の隣にも、銀行の看板を掲げたビルが建っています。

現在は「北洋銀行」の看板を掲げていますが、平成20年(2008年)10月までは「札幌銀行」という銀行の本店がありました。

私もそのイメージが強かったので、いつの間にか、「札銀」こと「札幌銀行」が「北洋銀行」と合併していたという感じです。

「札幌銀行」は、以前は「北海道相互銀行」、通称「道相銀」として営業していたことがあり、「どーそーぎん」という響きは、私も子供心に記憶がありました。

 

 

二つの銀行のビルは、こうして屋上が繋がっています。

災害時の避難用通路としての目的があるようです。

 

 

 

「札幌銀行」が合併した「北洋銀行」の本店は、こちらのビルにあります。

 

 

場所はこちらですが、私たちの世代だと、この場所にあった建物は、↓のビルが印象深いと思います。

 

 

お借りした画像を使用していますが、平成9年(1997年)に経営破綻した「拓銀」こと「北海道拓殖銀行」のビルが、ここに建っていました。

経営破綻後、「北洋銀行」に事業譲渡する形で消滅しましたが、この画像を見ていると、何故か「懐かしい」という思いにはならず、むしろ、リアルタイムの風景なのではとさえ思ってしまいます。

先程、戦前にも「北海道銀行」という銀行が存在していたと書きましたが、そちらは、明治24年(1891年)に札幌に設立された「屯田銀行」と、同27年(1894年)に余市町で設立された「余市銀行」を母体とする金融機関で、後に合併して「北海道商業銀行」となりましたが、戦時中の金融統制(一県一行主義)により、拓銀)に統合されて消滅したという経緯があるそうです。

 

 

 

現在の北洋銀行本店の地下には、拓銀時代から存在していた大型金庫が現存しています。

 

 

 

最後にもう一つ。

「北海道銀行」の「道」のない、「北海銀行」という銀行も、かつて存在していたと知りました。

かつて札幌もあった。「第二十国立銀行」閉鎖により、明治22年(1889年)、元尾張藩主徳川義礼の、同地の富豪とによる士商協力で、旧藩主一族の移住先である、道南八雲町の「八雲農場」の資金運転のため、「北海銀行」が業務を引き継いだとされています。

その後、道外資本の銀行へ合併される形で消滅したそうですが、小学生の頃に住んでいた八雲町の歴史に関する話ということもあり、関心を持ちました。

 


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