将来(今の職場を退職した後)、郷土史の学習(「研究」と言いたいけれど、まずは「学習」から)を本格的にやりたいと思っていることは何度か書いてきたけれど、そのためには。有名な歴史スポットは勿論のこと、あまり知られていないようなスポットの発掘にもやり甲斐を見出してみたいと思っています。
昨日の「稲穂神社」に続き、今日もそういうスポットを見つけた成果を紹介します。
手稲区手稲本町にある「手稲コミュニティセンター」。
通称「コミセン」と呼ばれる、全国各地の自治体にある、住民の相互交流や団体活動の場として用いられるスポットです。
そこに、こんな解説板が。
かつてここにあった建物の解説が書かれています。
「無電」とは「無線電話」の略で、電波を利用して音声等の音響信号を伝達する技術のことで、ここにあった「軽川無電」というのは、陸軍の通信のための施設だったそうです。
今でも普通に聞く「無線通信」のことということでよいのだと思いますが、かつて、現在のNTTが「電電公社」、「日本電信電話公社」だった頃は、至る所に「無線中継所」という施設があったものでした。
実は私の父親が、電電公社の頃から無線関係の仕事に従事していて、見学なんかもさせてもらったことがあったので、懐かしく思い出しました。
そしてもう一つここにあったのが、「旧手稲町庁舎」「西区手稲出張所」という施設。
現在の手稲区は、平成元年(1989年)に西区からの分区で誕生したもので、それまでは、西区役所までかなり距離があることから、ここに出張所が置かれて、行政事務が行われていたということが分かります。
もう一つ、こんな立派な碑石も設置されていました。
北海道の鉄道の発祥とされる、手宮(小樽市)~札幌間の鉄道が開通した翌年の明治14年(1881年)に、手稲駅の前身である「軽川簡易停車場」が設置されたことを記念して建てられたものだそうです。
現在の手稲駅。
一日平均11,000人~12,000人が乗降する主要駅になっていますが、最初は一日一往復しか停車しない簡易停車場だったそうです。
先程の碑には「旅友会創立二十年」とも書かれていました。しばらく旅らしい旅に出ていませんが、駅を出発するときのワクワク感、高揚感と、戻ってきたときの達成感、充実感は、正に旅の醍醐味ですね。
先程のコミセンのすぐ側に、三つの碑が並び立っていました。
まずは、「開村五十年記念碑」。
「開村八十年記念碑」。
どちらも、かつての「手稲村」という村の歴史に関する碑ですが、異なる周年の記念碑がこんな風に並び立っているというのは珍しい・・・のかな?
「手稲村道路元標」。
これまでも、同じ名称の標を幾つか見てきました。
移民によって開拓された小さな町や村が合併してできた札幌市においては、地域ごとに、このように歴史を後世に語り継ぐ施設があることがすごく重要な意味を持っているのだろうなと思います。
三つの碑の解説板が設置されていました。
もうすぐ学校の夏休みだけど、小学生の自由研究にもオススメしたいと思います。