岩見沢散策の最後は、岩見沢駅からは徒歩15分くらいだけど、中心部と言えば中心部にある「岩見澤神社」へ。
「岩見澤」である点が興味深いです。
この神社は、明治17年(1884年)から翌年にかけて開拓のために入地してきた山口・鳥取等12県の士帰農者277世帯が、幾春別川という大きな川の左岸にて神祭を行い、同19年(1886年)に小祠を建てたのが始まりとされています。
同29年(1896年)の大火により社殿が焼失するという出来事がありましたが、翌年9月に二代目社殿の上棟祭が挙行され、昭和7年(1932年)には県社(旧制度の神社の社格で、国による「国社」と、地域単位の「郷社」の間の位置づけ)に列格されました。
御祭神は、「天照大神(あまてらすおおかみ)」と、「大己貴神」(おおなむちのかみ)の二柱で、良縁、商売繁盛、病気平癒、出世開運、家内安全、交通安全などの御利益があるとされています。
最近は、神社に行くと、狛犬の表情に注目するようになりました。
境内には、馬の像も設置されています。
先程も書いたとおり、昭和7年(1932年)は、この神社が「県社」に列格された年ですが、四代目の社殿が造営された年でもあります。
それを記念して奉納されたということなのかな。
全部は写真に撮れなかったのだけど、岩見澤神社境内の狛犬は、全部で六対もあるそうです。
これは表情が見えないけれど、何か秘められた事情とかがあるのかな。そういうのも興味深く思います。
馬の像の他に、牛の像も設置されています。
神社で牛といえば、全国の「天満宮」に設置されている、菅原道真の牛車にまつわる伝説を思い浮かべますが、これはひょっとすると、馬と対になっていると考えれば、開拓に貢献した牛馬への感謝という意味があるのかなと思いました。
(参考:天満宮の牛車)
他の神社の例に漏れず、ここにも、様々な由来を持つ記念碑が多数設置されています。
これは、「空知聯合青年団」の団員六十余名が、大正9年(1920年)9月16日より十日間、明治神宮御造営の奉仕に従事したことを記念するものだそうです。
こちらは、「支那事変」及び「大東亜戦争」において、従軍中戦傷病に侵された人々を祀るもので、「戦争の悲惨さを身を持って体験した者として、二度と戦争を繰り返すことのないよう訴え、日本の繁栄と世界平和を祈念する」という思いが込められているそうです。
こちらは、昭和34年(1959年)12月創立された「岩見沢詩吟会」の創立二十周年を記念するもので、詩歌を研修した同志の魂を後世に残し、未来の夢を碑に託すという思いが込められているそうです。
写真の数が多くなったので、次へ続きます。