北の風に吹かれて~独り漫遊記~

町歩きを中心に、日々の出来事を綴ります。 
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木下父子の功績

2023-04-23 16:00:00 | 札幌

 

昨日の「放送記念碑」の側に、大きな像が建っています。

中島公園の中でも、このエリアはそんなに来たことがなかったので、今までも多分気付いていなかったと思います。

 

 

どういう人物なのでしょうか・・・。

 

 

右から「木下成太郎先生」と読みます。

 

 

「木下成太郎(しげたろう)」とは、慶応元年(1865年)に但馬国(現兵庫県北部)富岡藩の家老の長男として生まれた人物。

明治中期に自由民権運動に参加し、当時の自由党に加入していましたが、明治20年(1887年)に、保安条例により東京から追放されたのを機に、北海道室蘭市に渡り、その後道東に移住して、厚岸町での農牧業経営から町議、道議を経て国政に進出し、北海道の拓殖政策の遂行に尽力しました。

また政治以外では、武蔵野美術大学の創設者としても知られています。

この像は、朝倉文夫氏という彫刻家の作品で、昭和16年(1941年)6月に設置されたという歴史あるものですが、にしては新しい感じがするなと思ったところ、公園の隅に永らく放置状態にあったのが、5年前に市民有志によって修復され、この場所に建て直したものだそうです。

放置状態って、具体的にどれほど傷んでいたのかわかりませんが、それは大変残念な話ですね。でも、こうして有志の手によって修復されたというのは、素晴らしいことだと思います。

 

 

 

場所は変わって、中島公園からちょっと離れた所に、大きな石碑があります。

 

 

おや、こちらにも「木下成太郎」の名前がありますよ・・・。

 

 

 

「木下」は読めますが、その隣は・・・、彌(「弥」の旧漢字)と八が読み取れるということは、「木下彌八郎」という名前かな・・・。

なんてもったいぶっちゃいましたが、そのとおりで、「木下弥八郎」という人物の功績を称える碑です。

 

 

 

 

日本史の授業で出てきた「西園寺公望」の名前が刻まれています。

 

 

文政9年(1826年)に但馬国豊岡藩の家老の家に生まれた木下弥八郎は、56歳のときに来道して北海道開拓に尽力した人物ですが、「但馬国豊岡藩の家老の家」という出自と、「木下」という姓から「あれっ」と思うとおり、実は先程の木下成太郎の父親だそうで、中島公園付近に居を構え、中島公園をこよなく愛したとされています。

先程の木下成太郎の碑について書いている途中、「でも、何故この地に像があるんだろう?」という根本的な疑問が出てきましたが、そういうことだったんですね。

弥八郎の功績を讃えるべく、大正10(1921年)年1月に建立されたこの石碑の碑文は、時の総理大臣原敬の作で 、題字は元総理であった西園寺公望が手掛けたものです。このことからも、北海道の開拓に尽力した弥八郎の功績がいかに大きく、かつ高く評価されているかが窺えます。

 


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