今からちょうど一年前、札幌市営地下鉄南北線の、南平岸~真駒内間が、地下ではなく地上、それも高架を走っていることについて、こんな記事を書いていました。
確かに、引用した番組では、実際に札幌市交通局の方がインタビューで、「予算の都合」と回答していたので、信憑性があると思って記事にしてみたのだけど、先日、何となくこっちの方が、信憑性も説得力もあるなという映像に出会いました。
毎度おなじみ、HBC「今日ドキッ!」の「もんすけ調査隊」。
最近私も講演を聞く機会があった、町歩き研究家の和田哲さんが答えています。
確かに、予算の件についても触れているので、「予算の都合」というのも間違いないとは思うのだけど、「五輪開催までの開通が至上命題」→「工期短縮が重要」→「定山渓鉄道跡地を活用すれば、用地問題もクリアでき、工期短縮に繋がる」というのは、確かに説得力があると思います。
実際、高架区間が、昭和44年(1969年)に廃止された「定山渓鉄道」(札幌市内から、温泉街として有名な定山渓を結んで走っていた、全長27.2kmの鉄道)の跡地を活用しているのは事実なんだけど、このことについて、たまたまWikipediaを見たら、こんなことが書いてありました。
「貨物輸送がトラックに奪われ始め、旅客も徐々にマイカーに流出していった。これに加え、北海道警察本部から、国道上の踏切が交通上の障害になっているとして、高架化するか廃止して線路を撤去するなどの適切な処置を取るよう勧告された。こうした劣勢の中で、札幌市が地下鉄南北線を建設することに伴う用地買収を申し出た。定山渓鉄道はこれに応じる形で鉄道部門の廃止を決定し、昭和44年(1969年)11月1日をもって全線廃止となった。」
これがそのとおりだとすると(Wikipediaにも間違いはある)、「廃止された定山渓鉄道跡地を買い取った」というのは、違っているということになりますね。
表現は悪いかもしれないけど、札幌市が、用地買収を申し出ることで、岐路に立たされていた定山渓鉄道に引導を渡す格好になったということだから。
ただ、そうは言いつつも、五輪開催までに、大量輸送可能な交通機関を整備することが至上命題として挙げられたことから、工期短縮のために、岐路に立たされていた定山渓鉄道に目を付けたというのは、どうやらそのとおりと思ってよいのではと思います。
なので、細かい部分は色々あるとしても、基本的には、↑の映像で和田さんが仰っていることがそのとおりなのだろうなと、改めて思いました。
私は南区で生活したことはないけれど、小学生の頃から、南北線が平岸駅を出発して、地下から地上に出る瞬間は、とてもワクワクしていました。
それも、今も正直変わらない気がします。
その辺りの地主のかたから、霊園前から澄川にかけて地盤が硬すぎて掘れなかったと聞いたような記憶があります
子供達が通った幼稚園がその地下鉄カバーの横にあり、懐かしくてちょっと泣いちゃいました🥺
こんにちは。
そうでしたか、最寄り駅だったんですね。
お子さんの幼稚園も近くにあったということで、思い出深い場所をご紹介できて良かったです。
リンクを貼った映像でもインタビューに答えている方がいましたが、南北線高架の理由が地盤の硬さだというのは、札幌市民には広く浸透している定説的なもののようです。
でも、実際は違っていたということなんでしょうね。