北の風に吹かれて~独り漫遊記~

町歩きを中心に、日々の出来事を綴ります。 
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日の丸農場跡地

2021-06-25 19:42:10 | 札幌

一週間(の勤務)が終わりました。

来週も一日しか出勤予定がなく、後はテレワーク。

正直、そろそろ限界を感じているけれど、今日はそれでも、心配だったことが一つ解決するという収穫があったので、とりあえずは安心して週末を迎えられるかなと思ってます。

 

 

昨日まで紹介してきた「大学村」から北方面。

途中、かつて「烈々布(れつれっぷ)」と呼ばれていたという地域があったと書きましたが、その地域の名前が残されている「烈々布神社」の向かいに、このような名前の公園があります。

(「烈々布神社」の記事はこちら

 

 

かなり広い公園のようですね。

 

 

 

 

広いか狭いかは関係なく、基本的に私の町ブラは歴史散歩が中心なので、ここも実は、この碑を目当てに行ってきました。

 

 

 

「旧札幌村」とは、現在の札幌市東区ほぼ全域で、その北西側に、昨日までの記事で触れた札幌農学校第3農場がありましたが、「日の丸農場」は、その第3農場の東側に位置していました。

 

 

赤が「第3農場」、青が、現在の「ひのまる公園」です。

農場経営に取り組んだ「松本菊次郎」という人物は初めて聞きましたが、土地購入前の地主の「浅羽靖」という人物は、現在の「北海学園大学」の前身である「北海英語学校」の校長ということで、北海学園大学卒業の私は聞いたことがありました。

松本菊次郎は、この農地において、アメリカから輸入したトラクターなどを導入し、また、真駒内にあった種畜場から仕入れた乳牛を飼育して、近代的なアメリカ式農法を実践していたそうです。

その後、戦後の農地解放により小作人に解放され、用水路を共同管理する必要から、昭和24年(1949年)に、「日の丸水田組合」が結成されました。

やがて周辺の宅地化が進み、用水路も埋め立てられ、役目を終えた水田組合が昭和47年(1972年)に設置したのが、写真の記念碑というわけです。

 

 

 

先程の解説板に、「開拓時代をしのばせる大木が保存されている」とありましたが、そんな大木をこうして活用した休憩用の椅子。

年季は入っていますが、これもまた、歴史を感じさせられる施設なのだなと思います。

 

 

 

切り株がそのまま残されているのも、結構な数見られます。伐採されてどのくらい経っているのかな。

 

 

 

 

 

 

こんな可愛らしい遊具もあります。

滑り台やブランコ、鉄棒などもありますが、こういう珍しい遊具に目が行ってしまいます。

「ひのまる公園」は、全面積3万平方メートル以上の広い敷地を持ち、ヤチダモやハルニレなど、25種類約1,400本の木が生い茂る緑豊かな公園で、日陰が多いことから、夏場には避暑として人気の公園です。

これからの季節にはオススメですね。

 

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成墾記念碑

2021-06-24 20:18:00 | 札幌

皆様お疲れ様です。

テレワーク主体の生活環境の中、すっかり曜日の感覚がなくなっていますが、今日は木曜日なんですね。

自宅で座りっぱなしというのもかなり疲れますが、ということは今週の勤務もあと一日か・・・。まあ頑張ります。

 

 

内容としては昨日の続きになるんだけど、昨日の記事で、「『大学村』周辺の電柱をチェックしたけれど、電柱に地名表記はなかった」と書きましたが、実際のところは、こういうありきたりな表記でした。

電柱の地名の基準ってなんなんでしょうね。気になります。

 

 

なんてことを考えつつ、「大学村の森」周辺を散策していたら、一つの記念碑を見つけました。

 

 

「成墾記念碑」とあります。

「開墾」の「墾」なので、「大学村の森」にあった、札幌農学校第3農場と関係があるのかなということが、真っ先に頭に浮かびます。

 

 

それはそのとおりでして、明治42年(1909年)6月に建立されたこの碑に刻まれているのは、第3農場の成墾(開墾)に携わった当時の小作人53名の名前です。

 

 

「第3農場」があったとされる、旧「烈々布」と呼ばれた地域は、歴史関係の本から察するに、概ねこの辺りのようです。

条でいうと、北20条から北49条、丁目でいうと、東1丁目から8丁目という広大なエリアです。

第二次世界大戦後の昭和23年(1948年)、農地法により農場は自作者に解放されることとなり、同38年(1963年)には、全ての農地が売却され、小作農場は姿を消すこととなりました。

 

 

住宅地の一角に佇むこの記念碑。

台座部分は札幌軟石だそうです。

しっかりとフェンスに囲まれた碑というのも珍しいと思いますが、ここは北海道住宅の職員宿舎の敷地ということで、それも納得。

こうして農場としての歴史を後世に伝える役割を担っています。

 

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大学村の森

2021-06-23 19:05:42 | 札幌

 

札幌市東区に、このような名前の森があります。

近くに大学はありませんが、どういう森なのでしょうか・・・。

 

 

ここは、現在の北海道大学の前身である「札幌農学校」の第3農場があった場所です。

この場所の歴史は、明治19年(1886年)11月、札幌農学校の校長であった佐藤昌介が、北海道庁長官の岩村通俊に対して「札幌農学校ノ組織改正ノ意見」を提出し、農学校が管理する農場の収益を農学校の資金として扱えるようにする法律の制定を求めたことに始まります。

佐藤の意見が受け入れられ、同22年(1889年)、現在の札幌市東区北部の「烈々布(れつれっぷ)」と呼ばれた地域において、363ヘクタールの広大な農場が、道庁から札幌農学校に移管されましたが、その直後に、官庁が資産を所持することが法律で禁止され、農場経営の収益を農学校の資金にすることができなくなったことから、農学校は農園と開墾地を道庁に返還し、農学校卒業生の親睦団体である「札幌同窓会」がその払い下げを受けることとなりました。

これらの土地が第1、第2、第3農園と称され、そのうちの「第3農場」があったのが、現在の「大学村の森」ということになりますが、村の名称の由来はそれではなく、戦後の農地改革に伴う農場の解放後、農場跡であるこの地に、北海道大学の教官用住宅が、約80戸建設されたことだそうです。

そのことから、周辺一帯がいつしか「大学村」と呼ばれるようになり、その一角が、現在こうして、森として整備され、憩いの場となっているということです。

「大学村」というのが通称地名ということで、もしかしたらと思って、周辺の電柱を見て歩きましたが、残念ながら、電柱には地名が表記されていませんでした。

 

 

 

 

 

こういう看板が設置されているというのも珍しい気がします。

私も子供の頃は、こういう小さな山で遊ぶのが大好きでしたが、遊んでいる子供たちの心に、こうした先人の思いが届いてくれるといいなと思います。

 

 

園内には、なかなかの巨木もあります。

 

 

ハルニレというと、先日亡くなられた小林亜星さんがCMソングを作曲された、日立のCMに登場する木が思い浮かびますが、漢字で「春楡」と書くこの木は、北日本を中心とした寒冷地に分布する、樹高が最大で30mに達するものもある落葉高木で、生育に適した北海道では特に大木が多く、朝鮮半島やアジア大陸の東北部にも自生しているそうです。

 

 

 

「ハンノキ」は、北海道から沖縄まで日本列島に広く自生しており、山野の低地や湿地に広く生育しています。

土壌中の水分が多いと酸欠になって枯死してしまう木が多い中、ハンノキは耐水性があることで、湿地帯で広く生育しているそうです。

 

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青空に映えるバラ

2021-06-22 19:23:10 | 札幌

今日は用事があったので二時間休暇を取ったのだけど、用事が思ったよりも早く終わったので、ちょっとブラブラしてから帰宅。

どこをブラついたかというと、

 

 

大通公園の西12丁目広場。

小さな運河を中心に、その両側で、バラをはじめとする花が綺麗に咲いていると聞いていたので、少し見て歩きました。

 

 

 

 

真っ赤なバラが、青空に映えてとても綺麗に咲いていました。

 

 

「宴」という品種だそうです。

 

 

これはラベンダーでしょうかね・・・、ちょっと名前の表示板を見つけられませんでした。

 

 

 

花の品種なんて全く知らないけれど、アメリカ産なのに「フレンチ」とはなかなか面白いなと思います。

何ゆえ「フレンチ」なのか興味がありますが、ちょこっと検索してみたところ、「フランスのお姫様を飾るレースのような花」という記述が・・・ウーン、わかるようなわからないような・・・。

 

 

 

これは、名前のとおりなのかなと思いましたが、やはり、淡いピンクが花嫁を連想させるというのが由来のようです。

ただ、ピンクだけじゃなく、「ブライダルブルー」や「ブライダルホワイト」もあるそうです。

 

 

 

「ジーン・バーナー」。

何だか人名のようですが、やはりそうで、作出者の名前だそうです。

 

 

全部紹介しようとすると膨大な量になるのでここで終わりにします。

 

 

こちらはドイツ産ですか。

名前の由来は、5,000種を超えるバラのコレクションで名高いドイツの「ザンガーハウゼン」というバラ園の開園100周年を記念して命名されたそうです。

 

札幌市内散策の記事がかなり溜まっていますが、順番どおりにアップしていくと、この記事の順番が来る頃には、綺麗な花の時期が終わっているかもしれないので、リアルタイムでアップしました。

平日の夕方だったけど、写真を撮る多くの人が訪れていました。

ここはオススメです。

 

 

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撮影禁止につき

2021-06-21 20:41:27 | 札幌

 

藻岩山の麓にある「伏見稲荷神社」に行ってきました。

 

 

 

本家京都の伏見稲荷大社というと、千本鳥居が有名ですが、ここは、入口から数えて、計27本の鳥居があるそうです。

ということで、早速中へ・・・と行ったのですが、あいにく写真はここまで。

実は、これ以上先は撮影禁止なので、紹介したくてもできません。

これは大変残念ですが、調べて見たところ、他の参拝者の迷惑を顧みない撮影者が多いことから、商用での撮影を禁止しているそうです。

私のような参拝客は「商用」ではありませんが、その趣旨は尊重させていただきたいと思い、仕方ないと諦めて、デジカメはリュックにしまいました。

 

この「伏見稲荷神社」は、明治17年(1884年)に京都伏見稲荷大社の御分霊を札幌市南5条に奉斎し、明治40年(1907年)現在地に社殿を建立し、稲荷神社として創立の許可を受けています。

御祭神は、

 倉稲魂命(うがのみたまのみこと) 五穀豊穣

 大山祇命(おおやまつみのみこと) 安全祈願

 大国主命(おおくにぬしのみこと) 商売繁盛の神様

 事代主命(ことしろぬしのみこと) 五穀豊穣の神

 天鈿女命(あめのうずめのみこと) 芸能の神様

の五柱とのこと。

今の私個人にとっては「安全祈願」ぐらいしか捧げられるお願いはありませんが、コロナ禍で様々な不自由、制約が強いられている昨今の情勢を考えると、国全体の安全祈願と、商売繁盛、五穀豊穣、そしてエンタメ業界の盛り上がりによる経済活動の活性化ということを、欲張りかもしれないけど、一緒にお願いするのもよろしいかと思います。

 

 

最後にもう一度書きますが、今回掲載した場所より奥は撮影禁止の看板が設置されていますので、参拝に行かれる際はご注意ください。

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